100年に一度、というのは米国の金融危機で言われたが、それは米国が戦争で大負けしてない上に、本土が戦場になっていないからだと思う。
日本の場合、数十年前の大戦の方が今より遥かに大変である。
米国の場合「大恐慌以来」という連想なのだろうが、そのまま日本に持ち込まれているうちに都合よく使われている。
どうも発端は政治ではないか。
「100年に一度だから、いま解散するわけにはいかない」
あとは、どうにでもなる。
「100年に一度だから、人員削減はやむを得ない」
「100年に一度だから、上カルビを食べている場合ではない」
不況の連鎖なんて、このようにして起きるのである。100年に一度、というのは「消費にマイナスインパクトを与えたキャッチコピー」としては、大賞受賞と言ってもいい。
ただ冷静になればわかるのだが、普通に経済活動は進行していて、モノの売り買いはいたるところで行われている。成長への見込み違いがあるから「対前年比90%」でも大騒ぎになる。
いま、起きている負の連鎖は「成長を過剰に見込んだ」セクターで起きている。というか、バブルの崩壊というのは毎回のように「成長を過剰に見込む」ことが原因で、大体は不動産や金融で起きていたのだが、今回は製造業でも起きてしまったので、風景が違う。
そして「成長を過剰に見込んだ」もう1つの業種がメディアだったと思う。
メディアの価値というのは、「受け手が対価を支払う」と認めるか「広告主が対価を支払う」と認めるか、の2点からなっている。
まず前者であるが、人口が減少すれば対価の総和は低下する。対価の単価はどうなるかというと、これも低下する。なぜならメディの種類は技術革新に伴って増える一方なのだ。
広告主にとってのメディアの価値は、受け手の認める価値に比例する。
冷静に考えて、国内市場が成長しないのに国際化をしていなければメディアビジネスは縮小する。それなのにデジタル投資など「勝手に成長を見込んで」投資をしていた。
メーカーは世界不況の波をかぶっているが、それは国内市場が伸びないことを見越しての経営判断であって、それすらできないで輸出産業の雇用姿勢を批判するのはどうなんだ。
そういうのを「八つ当たり」というのである。
ちなみに100年前というのは大正を前にして、新聞などのマスメディアが力をつけていた時期である。新聞を取り締まる「新聞紙法」ができたのだが、それだけメディアが力をつけてきた時期であった。
そして、その時以来の岐路に立っているとするならば「100年に一度」ということも、メディア業界にとってはあながち間違いではないのかもしれない。