簡単に昨日の続きを。
過剰な低価格志向は社会全体の幸せを減じていくだろう、という小山薫堂氏の発想は「正しい」と思いつつ、書かれている文脈にどうしても「共感」はできないと書いた。
1つは「価格志向にならざるを得ない人」の存在の増加が無視されていることであるが、もう1つの理由について書いておきたい。
これは、消費者心理を学ぶ上で重要なことでもあるのだ。
僕が気になるのは「お金は欲しいものを手に入れるだけでなく、応援したい企業や焦点、作り手に拍手を送るために使うものです」という発想である。ここには購買行為に「倫理や正義」のような側面があるという発想になっている。僕はここにいささかの胡散臭さを感じるのだ。
モノを買うというのは「欲求の交換」だと思っている。もう少し上品に言って「満足の交換」。人はお金を出して欲求を満たし、お金をもらって欲求を満たす。それは、生理的欲求や所有欲を満たすというだけではない。別の欲求もあるのだ。
先の記事の例で言えば「おばあちゃんの店で買う」や「タクシー運転手へのチップ」は、「ありがとう」と言われることで支払った人の「感謝欲」が満たされたと考えられる。ちなみに「感謝欲」というのはマーケティングでは使わないけど、キャリアの世界では使う概念だ。
AIBOを3台買ったと言うのは、「応援」したいという欲求を満たしたわけで、当然賞賛欲求もあるわけだ。
ちなみに、僕は最近街の電器屋でテレビとレコーダーを買ったが、これは高い分だけ将来のアフターサービスに期待したわけだし、豆腐をスーパーよりも近所の店で買うのは単にうまいからである。ちなみにあまりおいしくない豆腐屋は消えてしまった。
豆腐屋もそうだけど、飲食店も大手のチェーンよりは個人の店にいくけれども、これだって質が高いことと「気に入りの店がつぶれては困る」という利己的な理由に基づくものである。
応援だの拍手だの、考えたこともないし、人に言うわけもない。
安いものばかり求める風潮は、結局は社会の幸せの総和を減じる。そして、気がつくとあなたにとって大切な商品や店は消えてしまうかもしれない。それでも、安いだけのものがいいのですか?それは、本当に合理的な行動ですか?
これを上手に表現できる広告クリエイティブがあればいいのだが、実は既にあるのだ。
「安物買いの銭失い」
「応援」とか「拍手」という胡散臭い言葉よりも、この身も蓋もない諺に知恵と温かみを僕は感じる。
はじめまして。
いつも、山本さんの絶妙なバランス感覚には
感心しております。
私もこの記事を読み「違和感」を覚えていましたが、
昨日と今日の記事でスッキリしました。
「安物買いの銭失い」
私も、マーケッターのはしくれ として、
肝に銘じておきます。
ありがとうございました。
こんにちは。最近思うんですが、90年代後半以降に買ったスーツはことごとくリサイクルに出しました。ということはそれ以前のものはまだ着られるんですよ。
そういう単純なことを学ぶことが大事ですよね。