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広告の作品性のお話②
(2009年1月21日)
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「作品性が高い広告」が機能する時には次の3つの理由があるのでは、というのが昨日の話だった。
1.多くの消費者が「実現したい消費行動」をアタマの中に抱いている。
2.しかしその行動にいたる「合理的な理由」を自分では持っていない。
3.そうした行動をする「理由」を人から教わりたいと思っている
例えば「大きなクルマを買いたい」と思っているけれど、「ちょっと贅沢かな」と思い合理的な理由を自分に持っていない。そんな時
「となりのクルマが小さく見えます」
「いつかはクラウン」
「きっと新しいビッグカーの時代が来る」
という「合理的な理由」を広告に教えてもらっていた。クルマの広告に品質感が要求されていた時代には、そうした背景があった。
そういう意味で、ステップワゴンのアニメは構造は同じでも、方向性という意味では画期的だった。
「大きなクルマを買いたい」けど景気が悪い中で合理的な理由がない時に
「子どもと一緒にどこ行こう」
というのはやはり広告が合理的な理由を教えてくれたわけである。
ただ、この「合理的」というのが曲者で、これは「本人の中で納得できる」という意味であって、価格性能比がどうこうという意味ではないんだけど。
また80年代の百貨店が「不思議大好き」とか「好きだからあげる」でビジネスできていたのも同じで、消費者が「買い物はしたいがどの百貨店がいいのか」というのを自分の中で持っていない時には、それなりの役割を果たしたのだと思う。
その時、三越や高島屋の顧客は別にそんなことを考えなかったけど、西武や丸井の潜在顧客にたいしては「オシャレな広告」があることで買う側が何となく納得していたのだろう。
そう考えると、広告の作品性の重要さが相対的に低下していることがわかる。
簡単に言えば、情報の発信側の優位性が低下した結果、消費者が自分で「合理的な理由」を見つけてしまうようになったことが最大の要因であることがわかる。
しかも「実現したい消費行動」自体が変わってきているのである

「燃費のいいクルマを買う」ことが目標ならば、自分でデータを比較すればいい。さらに価格交渉などをおこなうとかなり「これを買う」という理由が発見できる。
ここで「こっちの方がいいよ」と広告に教えてもらおうと思っているだろうか。
広告制作者が消費者に「啓蒙」しているという関係優位があるから、広告は「高み」にいる必要があった。そうなると作品性が重要になる。なぜなら高い所にいる人の言うことは「よく聞こう」と思うからである。
こうやってシミュレーションすると、さまざまなカテゴリーで起きている変化を実感できるだろう。人々は「広告に"購買理由"を教わりたい」と思っているのではなく、「購買理由を決めるための情報」を教わりたいのである。検索連動型広告などの役割が増大するのには、そうした消費者心理の変化がある。
ちなみにユニクロの「ユニクロック」がどのように機能してるか?もこの枠組みで論じられると思うけど、それはまた次回。




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