年末辺りから、どのテレビも狂ったように「派遣切り」報道に熱心である。
今週になってダイヤモンドと東洋経済がこの問題を「対正社員」の切り口で捉えているけれど、やっと問題の所在を議論するようになって来た気もする。
問題なのは、浅薄なテレビ報道が「派遣vs.会社」のような二項対立を煽ったために、真っ当な議論までに時間がかかるし、ほとんどの人はテレビ報道の内容から先を検討しないということにあるんだうな。
じゃ、なんでテレビはこんなに煽りの報道が多いのか。
それは、本能的に「視聴者が見る」ことを知っているからだと思う。テレビの報道を見ている限り、あまりアタマのいい人が作っているようには思えないのだけど、視聴率に関する直感だけは鋭いのだろう。
じゃあ、なんで雇用問題を集中報道すると「みんなが見る」と思うのだろう?。
答えは単純。それは「自分は安心」という人が遥かに多数だからである。派遣切りのニュースを見て「大変だな。でも、うちはまだよかった」という人にとって、「自分より不幸な人」の話題は受容しやすい。
一方で「不況でも繁盛」のようなニュースは受容しがたいだろう。それは嫉妬心を刺激されるだけだからだ。
世の中において「不況で苦しいが、まあどうにか節約すれば乗り切れる」人が多数であれば、「もっとも災難を受けた人」の話題が、興味を集めやすい。
安全地帯にいる人間は、無邪気でかつ残酷な行動をする。
それは地震がおきた時と似ている。阪神大震災以降、多くの死傷者をともなう地震があった。だが地震というのは一部の地域は被害を受けるが、安全地帯にいる人間が圧倒的多数派である。
そして、家のテレビで延々と他人の不幸を鑑賞することになる。鑑賞する側に悪意はない。報道する側も必死である。
しかし、被災地に送られる義援品に大量の不用品が混在しているという事実は、鑑賞する側の無邪気な残酷さを反映している気がする。
今回の雇用問題の報道も「無邪気な残酷さ」を増長させる。そこから生まれる「無邪気な正義感」は「内定取り消し企業公表」や「製造業への派遣禁止」のような政策につながっていく。
規制を強めれば雇用は萎縮し、ますます弱者に皺寄せが行く可能性を多くのマスメディアは丁寧に論じない。義援の品が、かえって被災地を苦しめるような、「残酷な善意」の循環が始まっているように見える。それにブレーキをかけるのは雑誌やネットなどの役割と言うことになるのだろうか。
「自分より不幸な人」の話題は受容しやすい。
非常にしっくりくる言葉ですね。人の不幸な話や悪口が広がりやすいのも,人に話すことによって優越感のようなものを得ることが出来るからなんでしょうね。
幸せな話じゃ視聴率が取れないというのは寂しいものですね。
そう、寂しいですよね。視聴率は多数の意識の反映ですからね。送り手だけの問題ではないと思いますね。