東京に戻って、間もなく異動希望を出す機会があった。結果として約半年で、希望通りに研究開発セクションに移った。
もともと僕は、PRかマーケティングをやりたかった。大学時代に選挙理論と予測モデルを先行していて統計などの知識もあったし、もともと分析することが性にあっていたのだ。
もちろん制作で学んだことはいろいろあったけれど、「そもそもやりたいこと」に取り組みたいというのが希望の理由である、
だが、それは理由の半分、というより3分の1くらいかもしれない。
あとの3分の1は「どう考えても広告制作では一流になれない」という直感的確信である。当時の仕事仲間は2つ上に谷山雅計さん、2つ下に前田知己君がいた。現在二人とも独立して活躍されているのは周知の通り。一緒に仕事をしたデザイナーには1つ上に永井一史さん。
周囲がすごいので、とにかく自分に見切りをつけるには絶好の環境だったのである。
一方、ある意味素晴らしい環境だったので、希望して異動したことを驚く声が当然多かった。
この異動はちょうど30の時だったが、このタイミングは重要だったと後でわかる。あまり早い踏ん切りは後の後悔につながりかねないが、タイミングを逸するともう人生の選択肢は数少ないのである。
当時"キャリア"という概念はアタマの中になかったけれど、ほとんどの人が"??"と思うような希望を出して実行したことは、キャリアの観点からも決して間違ってなかったと思っている。
仕事をする上で「頑張り」と同じくらい、「見切り」も大切なのだ。
ちなみに制作を離れたかった理由の残り3分の1は「忙しいのが嫌い」だったからである。働くのは嫌いでないけれど、20代独身の頃ならともかく、30代で結婚もしたのに毎月100時間を越える超勤というのは、僕の理想的な生活とはかけ離れていた。
この辺りの価値観は人それぞれだし、「忙しいから制作は嫌です」というほどバカ正直でもなかったので、もっともらしい理由で異動をしたのだけれど。
当時に比べて、広告界という海は大荒れである。ただし「頑張り」と「見切り」のバランス感覚は、今まで以上に大切なのではないか。いろいろと若いビジネスパーソンや学生から話を聞きながら、15年前を思い起こす年末年始だった。