
"スマートな"消費者は余計なものを買わない。買ってしばらくしてから後悔することもない。高いだけでまずいレストランに行くこともなければ、名ばかり老舗ホテルで不快な思いをすることもない。
いや、実際にはそういうこともあるのだろうけど、その危険性はきっと低減しているはずだ。そうした消費者はネットを中心とした情報で武装しているからだ。
日本の消費者は本当に賢くなったのだろうか。自分の購買を後悔するような「オッチョコチョイ」な消費者は減ったのだろうか。
おそらく、そうだろう。大体オッチョコチョイも死語なんじゃないか。いざキーボードで入力すると結構面倒くさいし。じゃあ、何と言うのだろう。慌て者?粗忽者か?いや、それは戦前の語法になっている。
何でこんなことを言うかといえば、なんだかんだ言って、こうした「特にスマートじゃない消費者」つまりオッチョコチョイの購買が、消費市場をそれなりに活性化してきた面もあったと思うからだ。
日本の消費財メーカーの販売アイテムは異常に多く、その多くが翌年には姿を消す。これは、アカデミックな分析やコンサルタントの指摘によれば「非効率な消耗戦」だった。
ただし、オッチョコチョイの消費者がいた時代は、それでも何とかなっていた。企業も消費者も切羽詰ってなかったのだ。そして、販売促進費用が撒布されるプロセスで最もおいしい思いをしたのはマス広告の関係者だった。
未だに新製品の数は多いかもしれないが、もうオッチョコチョイは減っている。あえて確信犯でキュウリやシソの味を出すコーラがあるけれど、あれは一部の消費者がオッチョコチョイを演じてさしあげている、と考えた方がわかりやすい。
でも、「賢くない消費」というのは決してつまらないものではない。というか、「偶然」の絡んでいる消費の方が印象深いのではないだろうか。自分の経験では、そうだったりする。
おそらく「オッチョコチョイな人が減った」という発想は間違っているのだろう。誰にでも「オッチョコチョイな自分」が眠っている。堅く言えば「非計画購買」願望が多かれ少なかれあるはずだ。
だが、その願望が封印されているのだろう。そういう消費行動は人に自慢できないし、自分が愚かに見えてしまう。
そして、ネットは「スマート」を加速させた。
しかし消費者の「オッチョコチョイ」な部分を目覚めさせてあげるのはマーケターの重要な仕事なんじゃないか。それは無駄遣いを奨励することではない。消費行動の、というか人生の体験を豊かにするための手伝いと言っても大げさじゃない。
というより、そういう気概がなければマーケターは「拡声器の設計者」に過ぎないのだ。
インターネットは、もともと偶然性の宝庫だったと思う。リンクを辿っていくと、どんどん色んなことが分かっていく。そこから消費行動が生まれることもあるだろう。
ただし、最近はそういうことが減っている。同じような領域でリンクがグルグル回っているから、「カテゴリー内のベスト」を選択するにはいいけれど、カテゴリーを超えるダイナミックさがない。
ネットがマスとの差異化を強調するあまり、オッチョコチョイ消費の潜在力を生かしていないのではないか。そして、マスメディアは「ネット」のようになりたがり、ショップチャネルばかりが目立つ。
スマートに徹することは、豊かなのか。幸せなのか。
再考のときが来ていると思う。