
若者がいろんなことから離れているなら、年寄りはどうなのか。
個人的に気になるのは「年寄りの常識離れ」である。
かつて老人は、集団の中で畏怖され尊敬もされた。長寿であること自体が稀だったので、それなりに生き残って来た人は生への感謝が強かったのだろう。
だから、社会においてそれなりの扱いを受けてきたのである。
しかし、今や老いることは単なる通過点である。生への感謝を忘れた老人は、常識すら忘れていく。
若者を責める論調はあっても、老人を指弾する人は少ない。「暴走老人!」という本があったけれど、むしろ老人に同情的なトーンでもある。
しかし、実際に困った年寄りは多い。スポーツクラブの更衣室で係員に注意されて逆ギレしていた人や、店でネチネチとクレームたらす人は本当によく見かけた。
「見かけた」と何となく過去形で書いたのは、一昨年秋の大不況から目撃件数が減ったからである。おかげでスポーツクラブも平穏だけど、不況の効用もそれなりにはあるのだろう。
ただ、老人予備軍がこれまた大変らしい。自治体の方に聞けば分かるけれど、団塊世代の大量退職は「住宅地のクレイマー」の大量発生をもたらした。
役所への要望を言うのは、子持ちの主婦が多かったという。しかし彼女たちの中には「改善しましょう」という姿勢を持つ者もそれなりにいたらしい。役人によってはその声を活かして予算を取ったりする。
ところが団塊男性のクレーマーは、単に言いっぱなしでかつ威張るのでタチが悪いという。
いずれにせよ加齢に伴って、周囲への悪影響は出ざるを得ないのだけれど、そんなの本人が謙虚になっていれば防げたりはする。
となると、「本人が謙虚にならない環境の年寄り」が問題で、かつ彼らが権力を持っていると周囲の不幸は計り知れない。そう、経営者の潮時の話だ。
あるコンサルタントに「なるほど!」と思う話を聞いた。どんな名経営者でも加齢とともに「短気になったら黄信号」だというのだ。このタイミングを逸して会社をグチャグチャにしてしまった人の事例を聞くと、背筋に寒いものが走る。
歳をとるとなぜ短気になるのかはわからないが、経営者などの場合、「なぜ、できないんだ」という感覚が強くなるからだと思う。「自分ならできた」という思い込み。しかし人は記憶を美化してしまう。
歳を重ねた結果「幼児的万能感」が復活するように思えるのだ。
経営者の「短気化=黄信号」は70前後で顕著化することが多いらしいけれど、恐ろしいのはこの傾向が若年化することである。耳にするのは課長やグループリーダーなど40代の短気化だ。きっと80年代までの記憶が脳内で美化されていて、現実が見えなくなっているのだろう。
そうやって黄信号が点滅している職場では、今日も若者が本当に大切なことから「離れて」いくのかもしれない。