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マスメディアのマス離れ。
(2010年2月19日)
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cat-on-newspaper.jpg実は新しい本の執筆に取りかかっている。今週はほとんど自宅の仕事場にこもっていた。執筆モードなのでアタマは活性化するのだけれど、本で書くべきこと、なぜか本の内容と微妙にずれたアイデアばかり浮かぶので、それを毎日ブログに書いていた。
というわけで、"離れ"三部作のオチは、予想通り?マスメディアの話ということになる。
実は○○離れに絡む若者論のトーンにちょっとした疑問があった。
昔からの伝統的若者論というのは、彼らのマナーや言葉遣い、ファッションなどに大人が「苦言を呈し」一方で別の識者が「それなりの理解」を示しながらユルユルと論じられていた。まさに五輪選手の服装問題がそれである。
つまり若者の「規範の変化」についての是非が問題だった。漱石を読むとそういう会話も多いけど、まあ昔から繰り返される普遍的な話であろう。
ただ○○離れの話は「規範の変化」ではない。クルマに乗らない、酒を飲まないというのは「嗜好の変化」である。だから、企業にとっては重要な研究テーマだけれど、それ自体に「いいか悪いか」は関係ないのだ。
ところが、そうした現象は「深刻」であり、「若者の元気のなさ」や「コミュニケーション能力不足」とかいうキーワードで下手な味付けをされてニュースとして提供される。
結局、○○離れを「いけないこと」にしているのはマスメディアなのだ。

企業のほとんどは○○離れに対していろいろ知恵を絞っているが、マスメディアは違う。「新聞を読まない」のは「いけないこと」で、「ネットを楽しむ」のは「依存」として批判の対象になる。
こうして、本来「嗜好の変化」である「○○離れ」を無理して「規範の変化」にすり替える。この手の報道とそこに寄せられるコメントの気持ち悪さの本質は、この"すり替え"にある。
自分たちが変わろうとしないで、変わってしまった若者がどうしても許せない。
でも、そうしてマスメディアは本当の「マス」を見失っちゃったわけだ。何のことはないマス離れだ。
マスは単なる「大人数」ではないと思っている。部数何百万とか、視聴率が何%とかいうことは、もはやメディアの価値ではない。
頭数ではなく、その時代の「大きな潮流」がマスなのである。それはいつの時代にも存在する。いま、その潮流に参加している人は全国紙や地上波テレビのユーザーよりは少ないかもしれないが、問題は潮流の勢いと方向である。
淀んだ大海より、急流の渓谷。その先に次の海がある。でも、そこに飛び込めていないことが「マス離れ」の本質なのだと思う。




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