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女子と男子。
(2010年2月23日)
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GirlBoy.gif昨週書いた「離れ」論は、いろいろ反響があった。ちょっと気になる男女の件を書いておきたい。
クルマ離れ、というのは男性がクルマを所有することが「モテ」に直結するという事実、というか思い込みがあったから2ドアクーペなどがやたらに売れていた。女性の価値観が変わればそうした需要はなくなる。
酒離れ、というけれど、どちらかといえば戦後の成長期が「飲みすぎ」だった可能性もある。特に好景気下の男性の縦社会は酒類と相性がいい。飲みに行く理由は山ほどあって、飲めない人も無理して飲んで酔うことで帰属を確認できた。
これも環境が変われば、飲酒の動機が減るのは当然だ。
考えてみれば女性の免許保有率は上がったし、酒も飲むようになった。若い女性が何かから「離れた」という話は聞かない。むしろ「進出」の方が多いのではないか。
ラーメンも鉄道もカメラも落語も。かつては男性文化の典型だった分野で女性がいることは当たり前だ。
そう、かつての若者は男女間で消費力に差があったのだ。雇用格差はもちろん、学生のバイトだって女性のできることは限定的だった。だから、「昔の若者」を消費面で語る時に、実は「昔の若い男と今の若い男」の比較になっていることが多い。
このあたりをわからないまま「離れ論」を垂れ流すメディアの論調もまあテキトーである。

僕が気になるのは、いつの間にか社会に出ても「女子・男子」になってきたことだ。何でだろう?
これは僕の仮説だけれど、女性が自らを「女子」と定義して、その鏡面に「男子」を置いたのだと思う。
リリーフランキーの「女子の生きざま」を会社の後輩の、それこそ「女子」な女性が大喜びしていたのが10年以上前だけど、おそらくその頃から、着実に女性は女子となってきた。女子は、いつまでも女子で、独身でも妻でも母でも、「女子」となる。「女子」であるならいつまでも消費行動の自由が許容されるので、大変都合がよい。
そして「メガネ男子」あたりからの「○○男子」は結局女子の消費対象として生まれてきた。
女性は自らの意志で女子となり、男性は女性の意志によって男子とされた。気づいた企業やメディアは「女子化」「男子化」をあおり、虚像もまた再生産される。
そして、それに気づいた男性はやがて「男子」になろうと思う。その時に、とりあえずクルマや酒は「男子」に必要ないことに気づいたのではなかろうか。
どんな時代でも自分たちが心地よく生きていくための本能が働く。その本能に追いつけない人が、理屈をこねるのだ。




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