
マーケティングや経営論には戦争の比喩が使われることも多い。
ただし、比喩というのは「ほどほどにする」というのが望ましい。一つの体系と、もう一つの体系が完全に一致するというのは、実際はないのである。
したがって、マーケティングが戦争でも恋愛でも、別に「盆踊り」でもいいかもしれない。
「マーケティングは盆踊りだ」
それで、幾つかの共通点を挙げれば、命題としては成立する。でも、それは決してアカデミックでも、まして実践的でもない。ただの大喜利だ。
さて、実際に「近代戦の目的」というのは何か。以前自衛隊の人に直接聞いたのだけれど「より広い領土の確保」だと言う。したがって戦闘行為自体は当然目的ではない。
これは、「領土=シェア」と考えれば、それなりの意味を持つように思える。特に日本のように人口の減少が起こっている市場は、「限られた陸地」と同じだ。当然競合からのシェア奪取が重要な目的となる。
どのような人を標的にするか、というのは戦略レベル。どのような手段でその領土をいただくか、というのが戦術レベル。空爆か歩兵戦か?のような比喩も分かりやすい。僕も使うことがある。
ただし、先にも書いたように比喩というのは、ほどほどにしないと「たとえ話の整合性」ばかりが気になってしまう。
実は「領土=シェア」にも落とし穴はある。
まず、この領土には人がいる。そして、消費市場における人は、陸地における人と異なり、勝手に動く。自ら情報を獲得して、製品やサービスに不満があれば、別の企業のものを使う。
そう考えると、「領土=シェア」発想はかなり受身の消費者を前提にしているように思えるのだ。「囲い込み」という発想で失敗したケースはそもそも消費者像を読み違えていたケースが多いように感じる。
もう一つの落とし穴。それは、市場の規模は人口ではなく購買能力の総和で決まるということだ。つまり、人口が停滞していても、貯蓄などを消費に回し始めれば市場は拡大する。また支出の総和が限定されていても他のカテゴリーからお金が回る「消費の組み換え」が起きるかもしれない。これは機会である。
つまり「領土が限られている」という前提は疑ってもいい。
もっとも国内の多くの市場は停滞から縮小に向かっているので、競争戦略をしっかりおこなうことは必須だろう。しかし、新しい価値と市場を創造するのもマーケティングの重要な役割であり、その場合「戦争」の比喩には少々限界が出てくる。
そういう「価値創造」に関してどうしても比喩を使いたい人は、「恋愛」に喩えるかもしれない。しかし、そもそも比喩がなくても議論はできるじゃないか。
マーケティングに戦争の知恵を借用するのはありだと思うが、戦争用語でマーケティングごっこをするのは「ほどほど」がいいと感じるのだ。