「代替品」「割高感」「虚栄心」というのはどんなカテゴリーでも共通したキーワードになっている気もする。
代替品があって、割高感があっても「本人が好きだから買っている」というカテゴリーやブランドは、ダメージが少なく立ち直りも比較的早いだろう。
はなから代替品が効かないような、圧倒的に差別化できている商品なら「少々割高」と思った顧客は去るだろうが、まだ持つに違いない。
気をつけることは、このような構造は昨秋からのドタバタ以前から日本の消費市場では見られたことだ。
クルマのマーケットが典型だろう。
代替品は都市部においては顕著だ。地下鉄などはこの10年で相当増えて、都心への人口回帰も進んだ。
そうなると主戦場は郊外や地方になる。こういう市場では「一人一台」のようになっていくので、割高な商品は敬遠される。
そうなると、クルマは足であって、虚栄心を満たすためのものでなくなった。
かくして、日本の新車市場はしばらく軽自動車の天下になった。
音楽市場もそうだ。ダウンロードという代替品が出て、ディスクは割高に見える。実際はそれほどでなくても、「ディスクを所有する」という虚栄心が薄くなったことはたしかだろう。
そっか、日本のような成熟社会では「虚栄心」って、重要だったんだ。
それは所有するという行為とも密接に結びついている。
景気がよくなると、どうしても「バブルっぽい」ことが起きるのはある意味しょうがないんだろう、ということもわかる。虚栄心がGDPをコンマ数%上げていたのだ。
そして、後退期になると、そのバブルっぽいことがアッという間に負の記号になる。
結局、「十年間から変わらずやっています」という企業が強いように思う。それは規模の大小に関係ないのではないか。ハイブリッドにいち早く取り組んだメーカーも、高松のうどん屋さんも同じだ。
そういうプレーヤはメディアや広告業界にいるのだろうか?
汐留には、旧新橋停車場がある。日本鉄道の発祥の地であるが、当時の東京の「はずれ」にある。日本の大都市にあるJRのターミナル駅は、往々にして中心部から外れている。
これは欧州の都市でもそうだ。
つまり、駅というのは他所から怪しい者が来て、いかがわしいモノも売り買いされる可能性のある場所だった。中心部に作るわけにはいあかなかったのだ。
何かと何かが新たな手段でつながると、たしかに便利になる。けれども、同時に怪しげなものも往来する。
それは鉄道もネットも同じだ。インターネットで人と人が、今まででは考えられないようなスピードと広がりでつながるようになった。そこに流通するものは必ずしも健全であるわけがない。
道路や鉄道など交通機関が発達した時も負の影響があった。それはネットでも同じだ。進歩はリスクを伴う。
だから、ネットで起きるさまざまなマイナス面を誇張するような報道は、技術と社会の本質をわかっていない。
でも、報道に携わる人はそれほどアタマが悪いのか?
そんなことはないだろう。わかっていながら、ネットを「怖いもの」に仕立てようとしている気がする。マスメディア全般の傾向のようだが、特に新聞が激しい。

ちょっと前に電通から発表された「2008年日本の広告費」では新聞とネットの対比が話題になっていたようだ。伸びるネット、激減の新聞。このまま行くと今年に両者の比率が逆転するとも言われている。
たしかに新聞は減少している。だが、それは「ネットに押されて」なのだろうか。ネットが伸びたのは「新聞などに代わって」なのだろうか。
結論から言うと、その分析はちょっと違っていると思う。
このグラフは、同リポートの数字を整理したもの。新聞広告とネット広告(媒体費)、およびその合計を表している。(ネットの制作費は05年からの集計なので長期的な推移を見るにはこの2つの比較がわかりやすい)
グラフを見ると、両者の合計額は00年と昨年で微増なので、「新聞がネットに食われたように見えるかもしれない。
でも、読み込むと面白いことがわかる。
まず00年から02年までの新聞の落ち込みは1767億円。それに対してネットの伸びは255億円でしかない。同時テロの後の不況で、まずは多くの事業主が新聞出稿を控えたが、別にネットに流れたわけではないのである。
03年からの新聞の落ち込みはやや緩やかになり、06年までで721億円のマイナス。一方ネットは急伸して2785億円のプラスだ。新聞から流れたかもしれないが、それ以上に新たなニーズを捉えたと見るべきだろう。
そして、06年から昨年にかけて新聞の落ち込み幅はもう一度急速になり、1710億円。そして、ネットの伸びは1743億円である。
この2年を見ると新聞の減少分とネットの伸びはほぼ等しい。しかし、長期的に見ると別の構造がわかる。
BRUTUSを買った。
考えてみるとこの雑誌をかつて買った経験が思い出せない。会社にいた頃は、何となくオフィスにあったのを眺めていたが、それも20代の頃の話である。あ、Casaの別冊は持っているかもしれない。
買ったのは猫の特集だったからだ。
何となく広告などでも猫が目立つ気がする。もちろん最大の話題は携帯電話の「お父さん」役の白い犬だが、広告の本筋と関係ないところで、チョコチョコ出てくるのは猫のほうが多いように思う。
猫はジワジワ流行っているのだろうか?
調査の数字などを見ても、「日本人の好きな動物」だとトップは犬で、大体猫の2倍近い数字である。
ただ、何となく「猫」への流れは強まっている気もする。
猫の駅長とか、ねこ鍋とか。背景はいくらでも分析できるんだろうけど、やっぱネコが「来ている」ように思う。
そんなこと、何で気にするのかというと再来週に新潮新書から出す久々の新刊が「猫」に関係しているからなのだ。
タイトルは「ネコ型社員の時代」最近の社員を「ネコ型」と分析したのは2005年に出した本の中でのことだった。その後、いろいろ観察していると社員の、というか日本人の「ネコ化」が進行している気がして、こんな本になった。
まさか、こんな思いつきで一冊の本になるとは思わなかった。
世の中の景気がこんな時にふざけたような本を出すのもいささか気が引けたので固めのサブタイトルをつけてこんな感じになった。
ネコ型社員の時代~自己実現幻想を超えて~
もう何が何だかわからないのだが、僕のたっての希望で小林まことの「ホワッツ・マイケル?」から数コマ本文に引用して、オビも大きめにしてマンガを載せた。
そうなると、マジメな本だかふざけた話なのか、ますますわからなくなってしまった。
だが、マイケルのマンガは単純に面白いと思ったので、まあいいか、という感じである。
そんなわけで、世間の猫への視線も気にしつつBRUTUSを眺めていたのだが、写真の質も高く切り口も面白く、猫好きにとってもなかなか満足できるないようだったのではないだろうか。
ちなみに家の猫は最近になって、表情が豊かになってきたように思う。写真の顔は明らかに「怒っている」顔だ。これは、先般獣医に連れて行った後である。獣医に行くのが好きな猫はそうそういないだろうが、何も一日中こういう顔で人を睨まなくてもいいのにと思うんだけど。
麻生首相は新聞を溺愛し、近年の経営問題を憂え、助けようとしているのではないだろうか。
首相はどうやら「新聞は読まない」と言ってしまったらしい。しかも国会の答弁で。
そんなことを質疑で聞く方もどうかと思うが、答える方もどうなのか。理由は「偏った記事が多いから」というけど、何も国会で新聞に喧嘩売ってもしょうがないんだし。
それはともかく。これは、部数減や広告収入減少に悩む新聞社を救いたいから言ったのではないか。
これをもし支持率80%の首相なんかが言うと新聞にも痛いかもしれないし、ネットではお祭りなんだろうけど、支持率10%の首相の一言というのはどうなのか。
かたや「漢字が読めない」ことで名を上げた方が「新聞を読まない」というのは、新聞にとってこれ以上ないPRである。
「やはり子どもには新聞くらい読ませないと漢字が読めなくなるのではないか」
「新聞を読まないとやはり常識が身につかないのではないか」
そう思う人が増えても不思議ではないだろう。
もし新聞社が上場していたら「首相発言でストップ高」だったりするのかな。
ちなみに大前研一氏も「新聞は読まない」と言っている。新聞の購読と知性との関連性を考察することは大変に興味深い。
まあ変換ミスと言えばそれまでだけど、何もこういう大事なニュースで。埼玉大学、すごいぞ、とか思ったんだけど。ちなみに、「さいだい」この変換は僕のパソコンでは出てこなかった。
中川昭一は、もはや日本を代表する「グレート・コミュニケーター」と言ってもいいのではないだろうか。
彼の記者会見が問題なのは「飲酒疑惑」とか「しどろもどろ」とか、そういう水準のものではない。
ネタとしてあまりにも「面白すぎる」ということにある。
しかも、表情も言葉も動画的だ。そしてさらに凄いのは、国境を超えて「面白い」ということだ。
You Tubeでは"Japanese finance minister drunk at G-7"というわけで、他にも結構アップされている。
これは、「グローバルなコミュニケーション」で悩む、マーケターや広告関係者は見習わなくてはいけない。
「日本語だから通じない」という常識を、彼は覆している。とにかく、変なものは変だ。そして、あの眼の危なさ。眼の持つインパクトをあそこまで具現化したケースがあっただろうか。
あの鬼気迫るというか幽体離脱したような眼の前では、オバマやヒラリーは「ハリウッド俳優が演じる政治家」にしか見えない。
そして、所作。あらぬ方向を探して、それをサポートしようとする白川総裁のキャラもあいまって、無声映画でも通用するような振る舞いだ。チャップリンやキートンも、こんな演技はできないだろう。
もしかしたら彼はこの記者会見のおかげで大臣の座を棒に振るかもしれない。だが、彼はそうして身を挺して、「グローバルなコミュニケーションのあり方」を私たちに教えてくれたのだ。
あの会見が元で石もて追われるように、政界の中央から去る可能性もある。でも、しばらくしたら「泣いた赤鬼」に出てくる、「青鬼」さんのような人だったことが分かる日かもしれない。
しかし「GDP年率12.7%減」とセットのニュースになったということは、あまり運のいい人ではないのかもしれない。
【追記】このようなエントリーを書いたら、30分もしないうちに辞意表明の速報が飛び込んできた。かつてこうした理由での国務大臣辞任があったのかな。
上場している広告代理店が相次いで、というかお揃いで業績見通しを下方修正した。
こういう環境なので「仕方ない」ことにも見えるけど、色んなことの"ツケ"が回ってきたのかな~という気もする。
事業主と付き合っていると、「あの大騒ぎは何だったのか?」という話もよく聞く。"大騒ぎ"というのは「コンタクトポイント」「タッチポイント」「統合マーケティング」など、要するに「マス広告だけじゃないフル装備」のご提案騒動のことだ。
いざ頼んでみると「できる人がいない」「出てきてもいなくなる」とかいうことも多いようで、それじゃぁサスガにまずいだろと言う気もする。
原因は単純に見える。マス広告離れに危機感を感じた代理店が「マーケティングの総コストの維持」を第一に考えたからだろう。
たしかにマスメディア離れは観察される。だが、どんな市場でもフル装備でいけばいいというわけではない。
たとえば一般消費財。飲料、食品、トイレタリーなどスーパーやコンビニで売っているようなカテゴリーのものは、当然TVCMが一定の効果を果たす。ただ、店頭の価格政策に原資を投じた方が売上げに効く、と思われれば相対的に「割高」であることが問題なのだ。
ちゃんとしたクリエイティブと出稿計画を組めば、一定以上の効果は今でも十分に認められる。そうじゃなきゃ、広告しない。
一方、ネットの発達でストレートの広告が効かない。だからこれからはAISASだという議論の胡散臭さもここにある。
初めて会った男は「岡本」と名乗った。
「苗字は岡本。では、名前はなんだと思う?」
「え?」っと思わず僕は問い返した。
男「普通に考えれば、いいんだ」
私「ふつう、とは?」
男「まあ、岡本と言えば?」
私「太郎、でしょうか?」
男「普通はそう考えるな。だが君はストレートすぎる」
私「ハア...」
男「私の名前は俊一郎だ。岡本俊一郎。ちょっとズラせばいいのだ」
私「ズラす?」
男「岡本ではなく、岡野にズラすのだ。そうすれば、俊一郎だ。岡野と言えば、俊一郎」(なお、岡野俊一郎氏は日本サッカー協会元会長)
私「そうですか...」
男「そもそも、世の中はズレているのだ。偏っているのだ」
私「ハァ」
男「公平という言葉がある。だが、その"平"という字も不均衡だ」
私「左右に対称で均衡しているように思えますが」
男「上下ではどうだ?」
私「ハ?」
男「明らかに上が重い。不均衡ではないか」
とかいう会話の途中で目が覚めた。
こういう会話の夢を数日前に見たのだ。
しかし、なんなのだろうか。夢に出てくる謎の男は、私ではない。だが所詮は夢である。男の発言は僕の潜在意識ということになるのだろう。僕は、「平」という字が左右に均衡でも上下では不均衡、とか心の底で考えていたのだろうか。
これほどまでに、会話を記憶した夢もまた珍しい。岡野俊一郎氏が出て来ることにいたっては、全くの謎である。
ありがちなまとめだけど、ちょっと疲れているのだろうか。
なんとなく、書くことがない。
昨秋以来の、突風はおさまったように見える。金融機関の破綻、消費の落ち込み、雇用への影響まで一気に進行したが、いまは不気味なほどに静かに見える。
新聞の決算関連のページにここまで「減」の字が並んだのを見たのはいつ以来だろうか。だが、いろいろ現場で話を聞くと、烈風が続いているというより、一瞬の凪のように感じる。
吹き飛ぶものは、いったん吹き飛んでしまったようだ。そして、一方で4月以降の新年度のプランがフリーズしている企業も多い。
凪のように見える原因はこれだと思う。とりあえず3月までの減益決算までのメドは立ったが、4月以降の数字が見えていないということなのだろう。
かつての不況時の経験が思ったよりも生きない、ということのようだ。「見たことのない数字」という言葉もよく聞くが、「このままじゃ外に出せない」という意味である。発表しようにも、いつ出そうか......そんな感じの悪材料がまだ出てくる気もする。
一方で、長期計画のお手伝いもあるけど、いずれにせよ書けないネタだったりするし。
しばらくの凪の次には、局所的な竜巻や直下型地震が来るのかもしれない。意外な企業の破綻や再編も起きるだろう。
一方で、マーケティングや広告技法でも「新しさ」を求めるような話は聞かない。
まだ年初は「今年はどうなるか」とかアレコレ考えていたけど、不気味なほどに静かである。
僕のHPには、このブログの他にももう1つのブログがある。私生活のことをダラダラ書いていて「桃園雑科帳」という。こちらの方はずっとサボっていたんだけど、仕事のネタは「聞いたけど書けないこと」が増えて、最近はこちらにいろいろ書いている。
もし、よければこちらの方へもどうぞ。
読書、ゲーム、コンサート、食べ物など。ただ飲食店の名前は書かないので、どうしても気になったらお尋ねくださいな。