naoto_yamamoto:Blog / 広告って、なに?
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広告をめぐる今とこれからについて考えます。

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突然、丸の内時代のお話を復活。
僕は、珍しくあまり深夜残業が好きではなかった。そんなの普通だろう、と思う人もいるだろうが当時の制作現場は好きな人の方が多かった。
前にも書いたが残業は青天井だし、別に毎日タクシーで帰っても文句を言われない。
六本木などに食事に行って、タクシーに乗って帰る時は「プロダクションで打ち合わせしてたことに」なる。
その後、名古屋に転勤してから「東京らしかった」経験を思い出すことがある。それは昭和天皇崩御の前の頃に、深夜タクシーで帰宅する時のことだ。
丸の内から内堀通りに出て、皇居を左手に北上をする。間もなく、大手門のあたりを通ると、夜通し詰めている報道陣が目に入る。昭和63年の秋口から翌年の初めまで、こうした風景を毎夜に見た。
ある時から、乗るタクシーがそろってバロック音楽をかけ始めた。どうやらNHKが終夜放送を始めたという。1時間に1度ほど病状を伝え、その合間はずっと音楽をかけている。
「これは落ち着いてちょうどいいんですよ」とそれなりの評判である。
ああ、もう"その時"が近づいているんだな、と感じた。
まだ、24歳の半人前の社員が毎夜タクシーで、皇居を横目にクルマで帰って行く。「カン違い」をさせるのかもしれないが、単純なものでこの程度のことで生まれる「特権意識」というのにはいい面もあったと思う。
「お前らは普通の会社員と違うんだぞ」という洗脳があって、若い社員はプライドをくすぐられ、それがユニークなアウトプットにつながっていく。そんな循環がたしかにあった。
新聞記者が若いうちから黒塗りの社用車に乗ることに批判的な人もいる。だが、それもある時期には重要だったはずだ。そういう特権意識があって、初めて政治家と渡り合えたのかもしれない。最も意識だけが残滓のようになっているならどうしようもないが。
広告に限らず、ユニークな人材を育てたいのなら、適度に制御された「特権意識」を与えることが大切に思う。今どき、タクシーを使い放題と言うのはともかく、もう少し別のアイデアがあってもいいのに。(もっとも単純なのは報酬を上げることだけど)
「最近は午後9時になると、会社の照明がいったん消えるんだよ」丸の内時代の先輩からそんな話を聞いた。「修学旅行の消灯時間だね、まるで」メールの向こうで、苦笑している姿が想像できた。

年末辺りから、どのテレビも狂ったように「派遣切り」報道に熱心である。
今週になってダイヤモンドと東洋経済がこの問題を「対正社員」の切り口で捉えているけれど、やっと問題の所在を議論するようになって来た気もする。
問題なのは、浅薄なテレビ報道が「派遣vs.会社」のような二項対立を煽ったために、真っ当な議論までに時間がかかるし、ほとんどの人はテレビ報道の内容から先を検討しないということにあるんだうな。
じゃ、なんでテレビはこんなに煽りの報道が多いのか。
それは、本能的に「視聴者が見る」ことを知っているからだと思う。テレビの報道を見ている限り、あまりアタマのいい人が作っているようには思えないのだけど、視聴率に関する直感だけは鋭いのだろう。
じゃあ、なんで雇用問題を集中報道すると「みんなが見る」と思うのだろう?。

残酷な善意~派遣と地震と。の続きを読む

日銀調査.jpg
仕事などで若い人に話を聞くと、最近海外に行ったという声が多い。韓国やオーストラリアなど、円高が特にプラスに働くような方面だと、かなりの割安感があるようだ。
彼らの多くは株安の影響も受けていないし、雇用についても危機感はない。ボーナスの伸びがなかったりしても、それほどに節約志向になっていない。
もちろん業種によってはかなりのインパクトがあるはずだが、実感として景気の悪化を感じていない人までも心理的にマイナスになるのは報道の影響である。
である、と断言できるのは日銀の「生活意識に関するアンケート調査」でよくわかる。これは昨年の8月29日に書いたが、その傾向はますます強い。
この調査は、まず「景気判断の根拠」を聞いている(2つまでの複数回答)昨年夏ごろの原油高に端を発した物価上昇の際に「マスコミ報道を通じて」がグッと上がった。
その後、数字を見忘れていたのだが、秋以降には「自分や家族の収入の状況」が増えているのだろう、と思い込んでいた。
しばらくぶりにデータを見たら、結果は予想外だった。「マスコミ報道を通じて」がみごとな"一人勝ち"。
明らかに雇用問題をめぐる報道の影響である。
上位3つには入っていないが、「景気関連指標、経済統計をみて」も半年で7ポイントほど上がっている。
ここから、面白いことがわかる。

デフレなメディアたち。の続きを読む

東洋経済の今週号は、このブログをご覧になるような方には気になる内容ではないだろうか。「テレビ・新聞陥落!」という特集で、広告ビジネスに関することもいろいろと書かれている。
日本テレビの氏家齊一郎氏のインタビューがあって、「このかつてない厳しい環境を3年前から警告していた」と書かれている。ところが、3年前の、このインタビューではまったく強気。
広告費について「急に伸びていくということはないかもしれないけれど、安定成長期に入ったんだから、国内経済の成長と同じ程度には伸びていきますよ」と言っている。
まあ本文を読むと実際に危機感を持ったのはこの直後のようだ。
今回のインタビューでは「現在の広告減少は景気循環的なものではない。今進んでいるのは、もっと大きい構造的な変化だ」と言っている。興味深いのは、構造的変化とは「端的にいえば流通の寡占化の進行」という指摘である。
「メーカーなどの供給者はマスコミを通じて直接需要者に宣伝するよりも、強力な流通業者に、セールスプロモーションと称するカネを払って、自分の商品を売ってもらうほうが効率的という考え方になる」
つまり「ネットの発達で」云々以前の問題なのであって、これは、まったくその通り。ただ、どこかで聞いたことがある気がする......と思ったんだけど。
そう言えば自分で言っていた。こちらのインタビューである。

流通と広告の重要な関係。の続きを読む


一般的に言って、価格が重視される市場では広告の作品性の議論にはならない。ディスカウントショップが典型だけど、消費者の方が「安い方を選ぶ」という基準を持っているので、「こっちが安い」ということだけ教えてもらえばいいのである。
「こっちが安い」ことだけを伝達するのに、別段の作品性はたしかにいらない。
ユニクロなんかの場合どうなんだろうか。
「いまこれがこれだけの値段!」というのは同社のHPやチラシ広告で十分伝わる。ユニクロの価値の根源は価格である。
それでうまくいっている時に、いわゆる「ブランド広告」とか必要なのか?というのは一般的な疑問である。
これに対して、旧来の広告ビジネスは、いろんなデータを見せていた。ブランド価値調査とかを新聞社などと組んでやって、「これだけ広告したから調査で上がってます」というやつだ。
だが、これは広告出稿を促すロジックであって、ちゃんとした因果関係が証明されているわけではない。
そういう大げさなことをしないで、消費者個々人の心理をもう少し見てみれば、別のことがわかる。
最近の売上げを見ても、ユニクロのユーザーの満足度は高いと推察できる。「ユニクロを買うこと」は「実現したい」のではなく、「実現している」消費行動だと思う。
そのようなユーザーは、「何を教えてほしい」と思うのだろうか?
それはユニクロを買う「より合理的な理由」である。
たしかにユニクロは「安さと品質」のバランスで伸びてきた。だが、もう少し高いブランドを「本当は買いたいんだけど」我慢している消費者もいるはずである。
そうした消費者にが教えてもらいたいことは、こんなことじゃないかな。
「ユニクロを買うのは、"賢い"選択なんだよ」

広告の作品性のお話③の続きを読む
(2009年1月21日)
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「作品性が高い広告」が機能する時には次の3つの理由があるのでは、というのが昨日の話だった。
1.多くの消費者が「実現したい消費行動」をアタマの中に抱いている。
2.しかしその行動にいたる「合理的な理由」を自分では持っていない。
3.そうした行動をする「理由」を人から教わりたいと思っている
例えば「大きなクルマを買いたい」と思っているけれど、「ちょっと贅沢かな」と思い合理的な理由を自分に持っていない。そんな時
「となりのクルマが小さく見えます」
「いつかはクラウン」
「きっと新しいビッグカーの時代が来る」
という「合理的な理由」を広告に教えてもらっていた。クルマの広告に品質感が要求されていた時代には、そうした背景があった。
そういう意味で、ステップワゴンのアニメは構造は同じでも、方向性という意味では画期的だった。
「大きなクルマを買いたい」けど景気が悪い中で合理的な理由がない時に
「子どもと一緒にどこ行こう」
というのはやはり広告が合理的な理由を教えてくれたわけである。
ただ、この「合理的」というのが曲者で、これは「本人の中で納得できる」という意味であって、価格性能比がどうこうという意味ではないんだけど。
また80年代の百貨店が「不思議大好き」とか「好きだからあげる」でビジネスできていたのも同じで、消費者が「買い物はしたいがどの百貨店がいいのか」というのを自分の中で持っていない時には、それなりの役割を果たしたのだと思う。
その時、三越や高島屋の顧客は別にそんなことを考えなかったけど、西武や丸井の潜在顧客にたいしては「オシャレな広告」があることで買う側が何となく納得していたのだろう。
そう考えると、広告の作品性の重要さが相対的に低下していることがわかる。
簡単に言えば、情報の発信側の優位性が低下した結果、消費者が自分で「合理的な理由」を見つけてしまうようになったことが最大の要因であることがわかる。
しかも「実現したい消費行動」自体が変わってきているのである

広告の作品性のお話②の続きを読む

河野武さんのブログsmashmediaに「広告=作品論の是非」というシンプルかつ奥深い問題提起があって、僕も書いてみようと思ったんだけど、今日は大学の今年度最終講義の日で帰宅したら予定外に軽く飲んだ上に、これからまた自宅の近くで飲む気になってしまったので、今夜は軽めに書いておこうかと。
広告に作品性とか芸術性があるべきかどうか、というのはとても重要に見えて、実は業界の外の人にとってはどうでもいい話である。
だって、事業主にとっては利益が最終目的だからだ。
何で、広告業界の人が作品論が好きか?とかいろんな背景があるけど、結論から言うと「作品性があって、モノが売れる広告」もあれば「作品性もひどく、モノが売れない広告」もあるわけで、広告がこのどちらかなら議論にはならない。
問題は「作品性はひどいが、モノは売れる広告」が存在してかつ目立つ時代に、「作品性はある(つもりだ)けど、モノが売れない広告」を作り、かつそれで指弾されることが増えた「マス右派」の黄昏クリエーターが、ネット広告への嫉妬や無理解で議論を歪めていることがひとつ。
また一方で広告におけるターゲティング機能の役割を過剰評価している「ネット左派」の人の議論もまた極端になった結果、「広告=作品論と、その否定論は極右と極左な感じがしていて、大事なのはきっとその間にある」という河野さんの指摘はその通りだと思う。
では、「その間」について書いておきたいのだけど、何か今日はやる気がないので、大学からの帰りのクルマで考えたことだけを書いておきたい。

広告の作品性のお話①の続きを読む

100年に一度、というのは米国の金融危機で言われたが、それは米国が戦争で大負けしてない上に、本土が戦場になっていないからだと思う。
日本の場合、数十年前の大戦の方が今より遥かに大変である。
米国の場合「大恐慌以来」という連想なのだろうが、そのまま日本に持ち込まれているうちに都合よく使われている。
どうも発端は政治ではないか。
「100年に一度だから、いま解散するわけにはいかない」
あとは、どうにでもなる。
「100年に一度だから、人員削減はやむを得ない」
「100年に一度だから、上カルビを食べている場合ではない」
不況の連鎖なんて、このようにして起きるのである。100年に一度、というのは「消費にマイナスインパクトを与えたキャッチコピー」としては、大賞受賞と言ってもいい。
ただ冷静になればわかるのだが、普通に経済活動は進行していて、モノの売り買いはいたるところで行われている。成長への見込み違いがあるから「対前年比90%」でも大騒ぎになる。
いま、起きている負の連鎖は「成長を過剰に見込んだ」セクターで起きている。というか、バブルの崩壊というのは毎回のように「成長を過剰に見込む」ことが原因で、大体は不動産や金融で起きていたのだが、今回は製造業でも起きてしまったので、風景が違う。
そして「成長を過剰に見込んだ」もう1つの業種がメディアだったと思う。

「100年に一度」の本当の意味。の続きを読む

夫は商才があり、いわゆる「目端の利く」タイプだった。
妻の実家はかなりの土地持ちだったが、その土地を活かしてビジネスができると言い出したのは夫である。当時この土地は広大でも、旧市街からは外れていた。だが、やがて人の流れが変わるのだから、ここにいろいろな商店を誘致してその賃借料だけでもかなりになるぞ、と夫は言った。
戦後人口の急増に伴って、街は拡大した。夫の読みどおり人の流れは変わった。妻の家が持つ土地に出店を望む人は後を立たない。かなり、高値に設定しても後から後から店は増える。思い切ってビルを建ててみると、これがまた満杯となった。
夫は単に場所貸しをするのではない。飲食店、物販などの店舗も時代の先をいく店を発掘していく才があった。そのため、賑わいは増し、出店希望者は増えて、土地の価値はますます上がっていった。
転機が訪れたのは90年代半ばからだろうか。街を行く人の高齢化が目について、若い人が少なくなってきた。出店希望は相変わらず多かったが、昔から営業していた店の客が減って閉店したり、なんとなく寂しくなってきた。
そして、ふと気づくと今まで人がいなかった裏道に若者が集まり始めているという。
若者たちは、いままでの一等地の街はあまりカッコいいと思わなくなっているようだ。それよりも裏道にできた小さな店で、店主とやり取りしたり、場合によっては注文を聞いてもらえるような時間を楽しむようになっていた。
そのうち、段々と店じまいが増えてくると夫婦の間にも焦りが出てきた。

熟年離婚。の続きを読む

09年の気になることをパラパラと書いてきたが、もう1つあるのが若い男性の消費者である。
ここ20年の消費構造変動を規定した最大の要因は未婚率の上昇、つまり典型的な「ファミリー」の相対的減少だ。F1やM2のような性・年齢のセグメントは無力化しているのが象徴的である。
そして、未婚率の上昇を調べると面白いことが分かる。
男性はオイルショックのあとに上昇が始まっている。経済的インパクトで、結婚を先延ばししたことと、若い人の間で「モラトリアム」が指摘された時代背景が一因だろう。
そして女性は80年代後半から上昇する。こちらは86年の雇用機会均等法の実施と、バブル経済の影響だろう。
ここ20年くらいの消費の変化をso why?で解いていくと、この女性の意識と行動変化でかなりのことが説明できる。女性の可処分所得が増加して、男性の領域にもどんどん入ってくる。いま発売されているHanakoは「東京いい男カタログ」で、日経WOMANは「働く男子リアル図鑑」である。
女が男を愛でる、というのは愛でる側に経済的優位性があるからで、これはもう10年くらいズンズンと広がっているけど、先の特集を見ると、タイトルだけでも「身も蓋もない感じ」が滲んでいて、味わい深い。
PLAYBOYの休刊など「女性を愛でる」メディアは衰える一方である。
では、今後も女性が消費市場をリードするかというと、どうなのかな?という気もしている。

09年気になること④「食べられる男子」の消費。の続きを読む