別に4つの派に分けたからと言って、業界関係者がどこかに属すべきだ、とか考えたわけではない。むしろ、こうした枠組みを脱した人や企業から、新たな機会を得ていくだろうということである。
それは広告主の視点に立てばわかる。彼らにとって、一番困っていることは何か?マーケティングコミュニケーションについて、ワンストップで相談できる社外スタッフがいないことである。
いるところにはいるのだろうが、きわめて少数である。多くの広告主は「いない」と感じているのが現状だ。
そうした中で、「広告ビジネス」の内側にいる人は何を意識するべきなのだろうか。
そして、ネット左派である。
彼らは「マス広告」に対して以下のような批判的観点を持つ。
*マス広告はそもそも必要な人以外に情報を届けており費用の面で非効率である
*仮に届いたとしても人々は容易に態度変容を起こすわけではなく、自ら情報を探索する
*そのためには消費者の検索などの行動に合わせて情報を提供することで購買を促進できる
いわばターゲティングの精緻化によって、広告の役割が大きく変わるというわけである。
当然ネット右派の人々も、ターゲティングの精緻化の意味はよく理解している。だがネット左派は、広告による態度変容についてかなり懐疑的であるように思う。
今後、このあたりの「左右大連立」がどうなるか。同じネット系でも、意外と温度差があるかもしれない。
さて、ネット右派である。
軸足はマス広告ではないが、基本的には「広告表現によって人の感情が動いて、態度変容する」という発想の人々だ。
出自はさまざまだ。もともと大手広告代理店でトラディショナルな広告に携わって来た人が、マスメディアのコミッション中心の企業体質と合わない部分があり飛び出したケースもある。また大手代理店のグループ企業で働いている人は、出自を問わずこのグループの人が多い。さらにネット専門で働く人にもクリエイターや営業を問わずに、こうした考え方の人がたくさんいる。
そして、こうしたネット右派の人にはチャンスが来ているように見えるのだ。
次に「マス左派」である。どちらかというと派手な賞とは無縁の広告ビジネスに携わって来たような人々だ。マーケティングやリサーチ部門にはこうしたキャリアの人も多いが、営業にも制作にもいる。
機能重視のトイレタリーなどは日本企業でも左脳広告が多いが、外資系勢力が増えてクルマ等に広がった。そう、マス左派は早くからグローバルの波にさらされてきたのである。
そして、こうした広告主はかなりの出稿量となることも多い。したがって、広告代理店にとっては「主食」のようなものなのだ。メディア担当者にとっても大切なお客様である。
それでは、まず「マス右派」の人々。当然、大手代理店に多く年長になるほど多い。そして、いまは経営メンバーにも入っている。
一方で若くなるほど、比率は下がってくる。簡単に言うと、勢力が急減している。
分かりやすい例は「広告批評」の休刊だろう。マス右派の教典が消えてしまったわけである。
衰退の理由は今さらながらに明快である。広告主が右脳型広告を求めるケースが減少したのだ。いまに始まったことではないのだが、賞などで評価されるものではなく、販売に直結するような解決策を求める。結局、広告から広義の販売促進へ軸足が移るようになった。
広告賞のリスト、特にテレビ以外のメディアの新人賞などを見ると驚く。その広告を知らない、というのはまああるとして、「広告主を知らない」ことが多い。つまりオーナー経営者などがパトロンとして機能している企業は、決して大規模でない。
つまりマス右派の広告活動はマーケティング活動、というか経済活動のダイナミックさとは乖離し続けているのである。
さて、「境界線上」と称して、広告の今までとこれからについて考えてみたんだが、今ひとつスッキリしない。
ブログでまとまったテーマを書いていて分かったのだけれども、単行本を書くときのように正確を期そうと思いすぎないほうがいいようだ。何となく「ザックリ」と捉えた方がいいように思うのである。
そこで今の広告業界にいるプレイヤーをザックリ4つに分けてみる、ということを考えてみた。
タテが「マス」と「非マス」(ネット)である。いわゆるオールドとニューはこの棲息エリアとある程度一致する。
ヨコが左脳(理性)と右脳(感性)である。最近は脳の左右の役割もそう簡単でないようだが、まあこういうのは血液型みたいなもんなのでわかりやすくしておこう。
そうなってくると、あとはちょっと乱暴だが4類型となるわけだ。