北教組関連のニュースで思い出したのだけれど、小中学校の頃の先生の影響力って、どのくらいあるのだろう。ブランドについては「超長期記憶」というカテゴリーの研究があって、子どもの頃のブランドイメージがその後どう影響するかを調べた研究があって、一定の関連を認めていたはずだけど。
僕が思い出したのは小学校の頃の先生の「政治的プロパガンダ」である。都内の区立小学校だったけど、まず1~2年の担任は大変分かりやすい左派の若手女性教師だった。
ギターを持ってきて
♪しあわせはおいらの願い 仕事はとっても苦しいが♪
という「しあわせの歌」とかがお気に入りで、こういうのは音楽の時間ではない時に教えられた。インターナショナルも聴いたと思う。もしかしたら道徳やホームルームの時間だったのかもしれない。
まあこの手の先生は珍しくなく、妹の担任の持論は「皇居の下に地下鉄を通せ」だったという意図不明なものだったりしていた。
しかし、今にして思うと5~6年のベテランの女性教師は、かなりすごかった。巨大で、かつ国政に強い影響力をもつ某宗教団体の熱心な「学会員」だったのだ。
それは結構授業にも反映されていて、6年の時には当時の会長で今もなお影響力を持つ某氏の詩が、模造紙に書かれて黒板の上に貼られていた。
なお、児童全員がその暗唱をおこなっていたのは言うまでもない。それ以外にも、道徳のテキストにはその手の話があった気もする
ただ、今となっては全くと言っていい程覚えていないが。
なお、この先生は結構最近まで選挙の前になると僕の実家に来ていた、と親から聞いた。
まあ、今の学校でこんなことやったら大問題だろうけれど、特にそういうこともなかった。中学校以降にその手の記憶はない。いったい何だったのだ、あの小学校は。
僕が入社した最初の3年くらいの間にお世話になった先輩が、8月末で定年退職になるという。そこで、かつての仲間が集まって送別会となった。
彼は、僕よりも12年前の入社で初めて会ったころはバリバリの30代だった。定年退職と聞くと少々、というかかなり感慨深いものがある。もっとも「定年」という概念から遠い世界にいるので、こういった送別会に顔を出すと、自分が会社というものから離れていることを思い、感慨も二重三重という感じだ
退職されるのは塚本廣昭さん。もともとはCMプランナーだったのだが、その後は音楽関連の仕事が中心だったらしい。「らしい」というのは、最近の消息をうかがう機会が少なかったからである。
集まった殆どは40代以上なので、最近のことよりも、昔のこととなると良く覚えている。僕が塚本さんに教わったのは「身銭切って遊べ」という一点なのだけど、これもまた実に良く覚えている。入社2年目の頃、青山学院の裏手にあるしゃれた中華料理のカウンターで、話してくれた。

日本における自殺者数の統計が発表された。
この朝日の記事だと、今回は30代が増えて、50代が減ったという。たしかに30代は増加傾向にあり、50代は減少しているけれど、実数であることに注意する必要がある。30代は第2次ベビーブーマーを含んでいる。また、50代は「団塊世代」が60代に突入したため、減少している。分母が多い層では実数は増加して、少ない層では減少する。人口当たりの自殺率で検証しないと深層は見えない。
毎日の記事の方が長期的な実数を20代と30代で見せている。これも率ではないけれど、興味深いことがわかる。80年代前半に30代の自殺が多いのだが、この時は人口ピーク団塊世代が30代なのである。
新聞の記事は、発表をそのまま書いているということがよく分かる。率で見た方が、遥かに有効な分析が可能なのだ。
というような新聞記者の能力分析は今さらなので、どうでもいい話。
やはり30代が増加していることは、明らかである。
自殺者増加の背景分析は他に任せるとして、いろんな企業でトレーニングやコンサルティングをしていると「頑張れ30代」という気分になる。
40になった頃は、さすがにそんなこと思わないけど、もう30代は遥かである。年寄り臭いとは思うが、やっぱ言ってみようかなと思うわけだ。
「30代」について印象的なのは、ちょうど入社12年が経った時の同期研修での社長の話である。「30代は一番、脂が乗り切っていい仕事ができる時だ」と言われたのだが、続けて「ピカソにしても、ミケランジェロにしても」と続けられたのには驚いた。

前々から考えていた本を書くことにした。
ある出版社から新書部門から依頼があったのだけど、それは実は2007年だったのでしばらく空いた上に、当初の依頼と全然違うテーマでもいいですか?と聞いたら快くOKしてもらったので、書くことになった。
最初は6月いっぱいに書こうと思ったら、4月末に静養先に電話があった。
「7月に出したんですけど...そうなると5月いっぱいで原稿をいただけますか...」
実は「GWはどうせ家にいるので結構書けます」とかその前に言っていたこともあり、「やってみます」ということに。手帳を見ると、5月の30~31が土日であることがわかったので「とりあえず6/1目標で」という弱気な結論となって、1日に東京に戻った。
僕は単行本を書く時に、まず一冊ノートを買う。まず章立てを作ると、ここに、いろんなアイデアとかキーワード、エピソードネタやチャートを作る。
ある程度見えてくると、キーボードに向かって一気に書く。
そしてPCに「book*」という名のフォルダを作る。*は最初に書いた単行本から単に数字を振っているので、今度は「book9」だ。同じ名のフォルダを、ブラウザのbookmarkに作って、気になるニュースやデータはそこに放り込む。
今回は、青学のB5のリポート用紙が手元にあったので、この表紙にbook9と書けばスタンバイ。
土曜日に、前職の職場の後輩の結婚パーティーに行った。
02年から04年にかけて入社した新人の研修を担当していたので、結婚パーティーや披露宴の案内をいただくことがある。
最近は週末の仕事も多いのだが、時間が合えば顔を出す。
今回もそうだったのだけど、毎回のように上映されるビデオの出来が素晴らしい。
広告代理店の社員が結婚する時のビデオ制作というのは昔からあったのだけど、最近のものはアイデア、編集、そして当人の演技まで含めて質が高い。
笑えるし、感動するし。
しかも、いわゆる「クリエイター」という職種が作っているとは限らない。人材の層が厚いのだろう。
一方で、「最近のCMっておもしろいね~」という話を世間一般でも業界でも耳にする機会は減っているように思う。
ただ、「アイデア」や「クリエイティビティ」と言われるものは、代理店の社内には、まだゴロゴロと転がっているのかもしれない、と感じるのだ。いや、ゴロゴロというほどではなく、コロコロくらいかもしれないが。それは、結婚式のビデオ以外でも、実際の作品でもいろいろなところで発揮されている。ただ、昔ながらの「広告」の枠組みでは見えにくい。
これは、ある意味でマネジメントの問題なのかもしれない。
舞台があれば踊れるだけの力はあるのだろうに、その舞台をセッティングできない。これは、プレイヤーではなくて、マネジャーの仕事なのだから。
なんていうことを考えつつ、あらためて橋田和明君、千賀子さん、おめでとう。
人の自慢話を聞いて面白いと思うことは稀だけど、この本についてはあまり気にせずに読める。
ロジャー・エンリコ『コーラ戦争に勝った!』(新潮文庫)を再度読み終えてみたが、お話としては面白かった。一度読んだ記憶があるのだが、おそらく入社間もない頃だったのだろう。
ぺプシが攻勢をかけた1980年代前半、そして85年にコカコーラが「ニューコーク」を発売して、90日ほどで元の味を「クラシック」として出すまでのマーケティング史上の歴史に残るエピソードが、リズム感のいい文体で書かれている。
もう絶版だけど、amazonでも入手できる。ただ、いま広告の仕事に携わっている人の勉強になるかというと、ちょっと違うかもしれない。
時代の変化を実感して、軽くため息をつくにはいい本なんだけど、そんなニーズってあるのだろうか。
「ああ、時代が変わったんだな」と思うことは幾つもあって、まずは「消費者に情報を届ける」という点について、本当に無邪気な程に単純だと言うこと。
お金さえあれば(実際あるのだけれど)テレビと新聞にド~ンと広告を打つだけで、情報は消費者のもとに届く。そういう時代のマーケティングなのである。
しかも、表面的な情報ではない。「ペプシ(コーク)の言わんとしたこと」がキッチリと届いて、しかも市場シェアに反映されるのだ。
また、ソフトドリンク市場が成長プロセスにあることもよくわかる。
彼らも新商品投入については悩むのだが、それでも結局は大胆に切り込んでいく。それはそうだ、ダイエットペプシが3年で2倍になり、3リットル・ボトルもガンガン売れている。市場が伸びれば、新製品の投入はたしかに容易だ。
それも、また昔の話である。
だが、僕が違和感を感じだのは、そういう理屈ではない。時代の「空気感」がまったく違うのである。
中学から高校にかけては、クルマに対する関心は一時薄れていた。どちらかというと鉄道の方が好きで、祖父にねだってブルートレインで九州まで連れて行ってもらったりした。先刻、その役目を終えた「はやぶさ」だったと思う。
免許がなければ、運転もできない。それだったら、鉄道の方が自分で乗れるから面白い。新玉川線の渋谷~三軒茶屋の開業日に乗りに行った記憶もある。
クルマへの関心が再度高まるのは大学に入った頃で、免許を取ったこともあるがそれだけではないと思う。
TVCMに関心を持ち出した結果、再度クルマの名前を覚えるようになったのだ。
なんと言っても、当時の広告においてクルマは花形であり、大学生を含む20代の日本人は、多分に大きな影響を受けていたと思う。
その中でもホンダのCMはマジックのようにクルマ好きの、というか多くの若者の心を捉えていた。
シティ、シビック、そしてプレリュード。80年代の前半は、少なくてもTVの画面の中ではHONDAの時代であった。

就職することにした。
2004年からずっとフリーランスでやってきたのだが、やっぱり会社員にはそれなりの面白さもあるので、今日から再びのオフィス通いである。
というような嘘の話でも書こうと思ったんだけど、この先がうまく続かず、下手に書くと本気にされて「あぁ、このご時勢やっぱフリーは大変なんだ」とかいう噂が立ちそうなので、とりあえずそういうネタはなし。
で、ネットが広まってから日本でも気の効いたネタが見られるようになったけど、「東京モーターショー、仰天の縮小計画」というネタは途中まで淡々と読んでしまった。
まあ、面白い方なんだろうな、と思う。
東京モーターショーが縮小される、という第一報を聞いたときにはまだ、具体的な内容が報じられていなかったので、ぼくは「ああ、部品メーカーとか大変だろうな」くらいにしか思わなかった。だから、欧米の有力メーカーが軒並みやって来ないと知った時にはかなりビックリした。
前回も前々回も、幕張まで平日に一人でフラリと出かけている。
この年代としては、フツーにクルマ好きである。モーターショーがきっかけで買ったモデルもあるし、何より晴海の時代からモーターショーというのは花形のイベントである。
祖父も父もクルマが好きで、家にはモーターショーのカタログがあった。それを見ていた僕は幼稚園児の頃に、街を行く自動車の「顔と名前」が一致していたそうで、親は「もしやこの子は天才では」と思ったらしい。
というようなタイトルの自己啓発本があるわけもないが、あってもかなり中途半端な内容になりそうである。
なんで、そんなこといきなり思い出しかと言うと、この間、母が誕生日を迎えたわけで。既に古稀を過ぎて、さすがに無理はきかないようだが、そもそも無理するようなこともないはずで、まあ、それなりに元気である。
で、ふと思い出したのだが、思い起こすと僕は「AIDMA」という概念を母から教わったのだった。高校生の頃である。
「広告にはAIDMAという法則がある」という話を聞いた。
これは、今にして思うと妙な気もするが母は大学生の時に広告研究会に所属していたのだ。それで、ちょうど自宅に「朝日新聞に見る広告の100年」とかいう本があり、高校に入ったばかりの僕がそれを熱心に見てたら、「AIDMA」の話になった。広告研究会で使っていた、古いテキストも後に見せてもらった。
よくもまあ、そんな昔の概念が未だに「現役」でいるもんだ。
ちなみに母はそういう環境にいたので、友人には電通や博報堂の幹部クラスもいて、場合によっては僕の上司になったりしたこともあった。母は、僕の就職以前から、そういう人のギョーカイ与太話を聞いていたこともあり、僕が代理店に行くことには両親とも抵抗がなかった。そもそも、銀座に買い物に出たついで、フラリと電通や博報堂に「遊びに行っていた」らしい。相手がヒマだと、お茶を飲んだりしていたという。
当時は、広告代理店への就職を親が反対することも多かったのである。
年末辺りから、どのテレビも狂ったように「派遣切り」報道に熱心である。
今週になってダイヤモンドと東洋経済がこの問題を「対正社員」の切り口で捉えているけれど、やっと問題の所在を議論するようになって来た気もする。
問題なのは、浅薄なテレビ報道が「派遣vs.会社」のような二項対立を煽ったために、真っ当な議論までに時間がかかるし、ほとんどの人はテレビ報道の内容から先を検討しないということにあるんだうな。
じゃ、なんでテレビはこんなに煽りの報道が多いのか。
それは、本能的に「視聴者が見る」ことを知っているからだと思う。テレビの報道を見ている限り、あまりアタマのいい人が作っているようには思えないのだけど、視聴率に関する直感だけは鋭いのだろう。
じゃあ、なんで雇用問題を集中報道すると「みんなが見る」と思うのだろう?。