ポジショニングについて、さらにもう少し。
ケラーのポジショニング論には、ちょっと分かりにくい概念が出てくる。「相違点連想」と「類似点連想」だ。
相違点については、分かる。差別化である。類似点連想、というのは「他のブランドと共通した連想」ということである。ケラーの言葉だと「ゲームに参加するための"プレイ料金"」ということになる。
ポジショニングの優れた例として、ケラーは「ミラー・ライト」(ビール)の例を挙げている。だが、面白いことにトラウトも著作の冒頭で、まず「ミラー・ライト」のケースを挙げているのだ。
ただしケラーのような理屈抜きに「ポジショニングの基本条件をはっきり押さえた直球勝負のコピーである」と評している。こんなコピーだ。
「ミラーのライトビールには、あなたが求めているものがすべて入っている。でも、カロリーは控えめ」Everything you always wanted in a beer...and less
ちなみに日本文の訳は「ポジショニング戦略」(海と月社)のものである。少々意訳であるが主旨はわかると思う。
コピーとして、日本の業界の常識からすると決して「クリエイティブ」とは言わないのかも知れないが、マーケティングにおける広告の役割を過不足なく満たしたからこそ、このよう時代が変わってもケースとして取り上げられるのだろう。
そんなことを考えていたら、こうした条件を満たしたコピーに出会った。

ポジショニングというと、十字を切った4象限上にブランド名やらをプロットして、ああでもない、こうでもないとやることだと思われている方は結構多い。
別に間違っているわけではなく、競争的ポジショニングという観点では、「それもあり」なのだけど話はそう簡単ではなくなっている。
そうあんると、今どき企画書にこういう十文字のマップを出して来て「ポジショニングでございます」というプレゼンテーションがあった場合は、そのプランナーとか代理店のスキルを一度疑った方がいいかもしれない。
なぜか?マップを作って空白を探すようなプランニングは、市場の成長期には結構効くのだけれど、成熟期になるとかえって危険だと思うからだ。
では、その危険な理由とは何か?ともう一段考えてみよう。
ポジショニングという概念は結構難しい。縦軸と横軸の十字を書いて、プロットすればいいというものではない。
それは「分類」である。
ポジショニングという発想はジャック・トラウトとアル・ライズの二人が書いた「ポジショニング戦略」という本が嚆矢とされている。この本の序文はコトラーであり、「マーケティング・マネジメント」でも、トラウトらの言葉を引用している。
だが「マーケティング・マネジメント」の12版では、様子が少々異なる。トラウトらについて触れられているが、その後に「類似点連想」と「相違点連想」という概念が出てくる。
これは共著者にケビン・ケラーが加わったからだ。
これが、なんとも分かりにくい。というか分からなくはないのだが「じゃあ、どうするんだ」と考えると、結構アタマを抱えてしまう。
そして、何とも文章が読みにくく思える。だが、これは翻訳の問題ではない、ケラーの英語が独特なのだと思う。
実は、この2人については思い出があるのだ。
マーケティングと広告との関係とか線引きについては、別に決まりがあるわけでもない。ただ、世の中には広告、特にマス広告をおこなわないマーケティング活動も山ほどあるので、広告を前提にして「マーケティングの変化」を論じると、本質を見失うのではないか。
広告=ラブレター論に「陥穽」を感じたのはそういう理由である。
ところが日本では広告業界がマーケティングについて発信している割合が多いために、広告を前提にした議論になるようだ。
近年の「AIDMAからAISASへ」というのも、その最たるものだろう。ネットの時代になってマス広告のような効果は変質する。それはそうだろうけど、AISASだって結局attentionを起点にしている。それは広告という「部分」からの発想である。
では、どんなモデルなのか?
ドコモが携帯機種のシリーズ名を一新するらしい。この記事が大変詳しく背景を分析しているが、ライターの石川温氏が書かれている疑問と同じことを僕も感じた。
この記事を引用すると、新たなシリーズは『これまでの「90X/70X」シリーズという区分けを廃止し、「STYLE(スタイル)」「PRIME(プライム)」「SMART(スマート)」「PRO(プロ)」という4つのシリーズに一新した。』ということらしい。
この変更に対して石川氏はこう述べている。
『特に疑問なのは、ドコモが「90X」といういまや「ブランド」と化した型番を捨ててしまったことだ。若年層の間では90Xを持っていることはひとつのステイタスにもなっていた。まさに90Xシリーズはドコモのトップブランドでもあったのだ。
BMWが1シリーズから7シリーズと数字で格付けが決まるように、ドコモの型番も、ちゃんとユーザーに認知されていた。これはauやソフトバンクがまねをしたくてもできなかったことだ。』
この指摘は的確だと思う。そしてブランド研究の立場から補足しておきたい。

「広告はラブレター」という言説が若い人の間で話題になっていたようである。佐藤尚之氏の「明日の広告」で展開された議論が新鮮だったらしい。
一方で、私などの世代のように80年代からせいぜい90年代前半に広告業界に入った者にとっては目新しい話でもない。むしろ、懐かしさを感じる。当時は「広告は私小説」とか「メッセージはラブレター」みたいなことを言う人は多くいて、ただ今にして思えば戦前生まれの人々であった。
比喩は本質を突くとは限らない。だが、この「広告=ラブレター」という議論をどのように捉えるかによって、その人が「何を生業にしているか」が分かる気がする。
この議論に共感し「ラブレターが届きにくかったり、興味を失ったいるのだ」という著者の議論に共鳴できる人は「広告業界」の人であると思う。
「ちょっと待てよ」と思うのは、マーケティングの世界で生きている人である。
今、私は広告業界の人と直接仕事をするのではなく、マーケティングの世界から広告を「one of them」として見ているのだけれど、そうなると「広告=ラブレター」というのは、特殊なルールを前提にしているのである。
それは「いいラブレターを届けて読まれればもてる」という前提だ。
しかし、今の消費市場はそんなものではない。
プロ野球に関心を失って久しい。というか、特に興味のあるスポーツもないのだが、だからと言って何の不自由もなく、見たいものは他にもある。
ただ、仕事柄「ああ、こうやってダメになっていくのか」と思うことはある。組織としてもビジネスとしても、日本のプロスポーツは「やってはいけないこと」に満ち溢れていて、そういうサンプルとしては貴重かもしれない。
プロ野球でいうと、「クライマックス・シリーズ(CS)」というのが、それに当たると思う。たしかに、その数試合の興行は効果があるかもしれないが、失うものの方が大きいのではないだろうか。
メジャーリーグほどの球団数があれば、ポストシーズンの試合もそれなりに多いので、いわゆる「ペナントレース1位」以外のチームがワールド・チャンピオンになってもある程度説得力はある気もする。だが、日本ではとりあえず上位半分でゴールすると、最終チャンピオンになる可能性もあるわけで、それはそもそもどうなのか?と。
ただ、もう少しビジネス的な観点で突っ込んで考えると、やはり問題が多い制度に思える。

動物でも加えて「ハイ、これは広告の世界のお話ですよ」とでもしない限り、もはや家庭を描くことは虚構でしかないないし、そこにあるはずの幸せも蜃気楼のようなものなのか。
なんて考えていると、究極の家族がCMに登場することとなった。
OTONA GLICO(おとなグリコ)の「サザエさん」である。
カツオやワカメやイクラが、それぞれ「大人」になって再開する日のお話で、まあ、アイデアから仕上げまでクリエイティブのみをとって見れば、大変にユニークな作品である。まあ、業界内の話題や評価は高いのだろうと思う。
だが、法事で再開する彼らの映像を見ていると、これは、もう幸福の極北としか表現できない、極寒の世界である。そこに「一家の幸せ」は存在しない。だが、それぞれの幸せが、孤立して共存しているような世界に見える。
2008年は広告の世界で家族の解体が明白になった年として、ある意味記念するべき年となった。

広告の件は一休みして、ちょっと気になる世論調査のことをもう一度検証しておこう。ちなみにこれは政治に関するコラムではなく、マーケティング・リサーチについてのおさらいと、報道数字に関する基本的な吟味についてのお話である。
8月の福田改造内閣で、報道各社ごとの支持率がなぜ異なるかを検証した。その際に考えるべき着目点は2つあった。
①支持率が高い調査では不支持率も高い
②「関心なし」が低い場合は、支持も不支持も高くなる
③その結果「支持+不支持」の数値は大体80~90とばらつく
④そこで各社を比較するためには「支持率シェア」で見る
ここでいう支持率シェアは「支持率÷(支持率+不支持率)」である。つまり相対シェアだ。
本来の支持率は絶対シェアで見るべきだが、報道各社によって「支持率+不支持率」の数値がばらつくので、比較のためには相対シェアで検証しようということである。
さて、今回は最も高い日経が53%で、最低の毎日が45%であった。
高い順に左から並べて、支持率シェアを見るとおもしろいことがわかる。
実際の物価高騰以上に、人々が不景気を感じて、支出を抑える。そのため消費が縮み、さらに不景気になる...という循環は今に始まったことではない。
98~99年頃に研究開発の同僚とそういう議論をしたことがある。当時は「モノ余りになっていて買うものがない」とか「貯蓄に回って消費に回らない」という辺りが論点だった。誰かが「現金だと貯金するなら"買い物券"でも出せば」と言ったら「そんなことしても使途金額の総和が増えるわけないだろう」と先輩に一蹴されていた。
その後「地域振興券」という名の"お買い物券"が登場したが、その結果は御存知の通りである、広告会社の片隅で与太話としても通用しない発想が、政府の政策になったのだから、まあ、何と言おうかである。
一方で、実際に気分が景気に影響していることは最近のデータでもわかる。
日銀の「生活意識に関するアンケート」の最新リポート(pdf)の3ページにある「景気判断の根拠」を見てみよう。