naoto_yamamoto:Blog / 広告って、なに?
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広告をめぐる今とこれからについて考えます。

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日本人は農耕民族で、欧米人は狩猟民族。どうして、こんな話がいまだにアチコチで飛び交うのだろう。
ヒトはもともと採集・狩猟で生きていたが、何らかの条件が整い農耕を始めて、定住した。そこに古代文明が始まったわけで、西洋でも東洋でも「農耕」が現在の文明の前提になる。(僕の参照本は「銃・病原菌・鉄」)
ただ、日本人が米作文化で、欧米が肉食というのは確かにそうだろう。教科書にも出てくる「三圃制」は牧畜と農業の一体化を志向している。
それに比べると日本の肉食の歴史は浅い。だからといって、何も日本が突出して「農耕民族」というのは変だ。(僕の参照本は「肉食の思想」)
そんなの欧米の農業生産の規模を見ればよくわかる。
じゃあ、どうして「日本人=農耕」「欧米人=狩猟」な話になったのか。仮説を考えてみた。
その1。江戸時代まで産業革命がなく、かつ肉食文化がなかったため、欧米と比較して「農耕中心の国」という自己イメージが定着した。たしかに士農工商で、「石高」のように米が経済の中心になっていた面はある。
その2。敗戦直後には日本の就業人口の50%以上は第一次産業だった。しかし、その後地方から都市への人口移動が起きたが、これも米軍占領後の急速な変化だったので、反面的に農村が日本人の原風景として共有された。政治も農業に手厚かった。
その3。経済のグローバル化が進む中、日本と西洋の経営を比較するうちに、「でも日本人は農耕民族だから」というエクスキューズが変化を好まない人にとっては便利に機能した。防衛機制の一種かもしれない。
こう考えてみると「日本人は農耕民族だから」というのは根拠がない一方、"ある種の人"には便利なフレーズだったということが分かる。

日本人は農耕民族だから。の続きを読む

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広告と家族、についてもう少し考えてみたい。
さすがにクルマが幸せの象徴の座にいることが困難であることは、誰もがわかってきた。それは広告クリエイティブにおける中心地も変わったことを意味する。そうした中で、ここ最近広告費の面でも一番ホットだった業種は携帯電話だろう。
「だった」と過去形で書いたのは意味がある。普及率がここまで高まった上に、料金や契約システムの変化で顧客流動性の低いビジネスになったために、かつてのような派手な広告合戦は起こりえないのではないか、と思うからだ。
そして、携帯電話という商品と、「家族」や「幸せ」という面との相性は結構難しい。
クルマは、複数の人を限定された空間と時間に拘束する。したがって、その空間と時間が「幸せ」であることを描けば、まあそれがどんなに陳腐でも広告としては成立しやすかった。
一方で携帯は、人々を空間と時間の拘束から解放した。したがって、家族を描く時にはそれぞれを「離れ離れ」にする必要がある。

広告・幸せ・象徴~③「照れ隠し」としての動物たち。の続きを読む

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広告の件は一休みして、ちょっと気になる世論調査のことをもう一度検証しておこう。ちなみにこれは政治に関するコラムではなく、マーケティング・リサーチについてのおさらいと、報道数字に関する基本的な吟味についてのお話である。
8月の福田改造内閣で、報道各社ごとの支持率がなぜ異なるかを検証した。その際に考えるべき着目点は2つあった。
①支持率が高い調査では不支持率も高い
②「関心なし」が低い場合は、支持も不支持も高くなる
③その結果「支持+不支持」の数値は大体80~90とばらつく
④そこで各社を比較するためには「支持率シェア」で見る
ここでいう支持率シェアは「支持率÷(支持率+不支持率)」である。つまり相対シェアだ。
本来の支持率は絶対シェアで見るべきだが、報道各社によって「支持率+不支持率」の数値がばらつくので、比較のためには相対シェアで検証しようということである。
さて、今回は最も高い日経が53%で、最低の毎日が45%であった。
高い順に左から並べて、支持率シェアを見るとおもしろいことがわかる。

内閣支持率の嘘と本当。の続きを読む

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クルマは幸せの象徴であった。少なくても広告表現上はそうだし、現実生活においてもそうだった。現実と広告の世界におけるシンボルは一致していたのだろう。
とりあえず「あった」と過去形で書いてみたものの、いつ頃まで「象徴」であったのだろうか。もちろん、高度成長期はそうだろう。僕が入社したあとにバブルが来て、その頃も同様の文脈だった。
潮目が変化したのは、90年代半ばだと思う。この頃に複数の自動車のCMがきわめて類似したアプローチをとった。
「クルマを買うまでのプロセス」を描いたのである、
それまでのクルマの広告は、「商品をいかによく見せるか」が最大テーマだったといってもいい。そのために海外のダイナミックな景観を求めてロケに行ったり、走りのシーンにこだわり続けた。
そこにおけるクルマは「完成された商品」であり、その完成度の高さを競い合っていたともいえる。
一方で「買うまでのプロセス」を描くのは日用品(=コモディティ)の世界の常套手段である。スーパーマーケットなどの売り場が登場するのは、食品やトイレタリーでは、これまた頻出の映像だった。商品の完成度よりも、消費者との距離を縮めることが広告の役割だったのである。

広告・幸せ・象徴~②日用品としてのクルマたちの続きを読む

クルマ.jpg家の近くを散歩していると、駐車場の空きが目に付くようになった。もともとクルマがなくても生活には何の不自由もないエリアなので、そりゃそうだろうと言う感じではある。
新築の建売がずっと苦戦していたのだが、先日ようやく埋まった。カーポートがあるのだが、ふと見ると自転車が4~5台である。分かりやすいと言えば、分かりやすい。
だが、僕はクルマが好きだし、大人になったらクルマを持つのが通過儀礼のようだった世代でもあるので、感覚的には「何か寂しいな」と思うこともある。特に、一戸建てのカーポートが空いていると、そんな感じになる。
クルマと広告は縁が深い。自動車のキャンペーンをできるかどうか、というのが広告代理店の品質基準の一つであり、それは世界的に共通の概念だ、ということは十年ほど前は広告業界で普通に言われていた。
あらゆるメディアを駆使して、SP、PRなど総合力が求められる。準備期間も長く制作費もかかる。
そして、何よりクルマは家庭における、というか生活における「幸せの象徴」だった。これは甚だ20世紀的価値観ではあることは承知であるが、前世紀は広告ビジネスと自動車産業の蜜月の世紀であったとも言えるのだ。

広告・幸せ・象徴~①空のカーポートの続きを読む

電通の8月売上げ速報が出た。ご存知のように第一四半期の広告業界は調子が悪いらしい。細かく見ていないが上位の代理店は業績予想の修正を発表しているようである。
一方で、8月というのはオリンピックの月である。その前の月から特番などもあるので、助走がつくことも多いのだが今年の電通7月単体はトータルで91.3%で、テレビが93.6%ということで五輪効果は見られていない。
では8月はどうだったか。「単体トータル-テレビ」の対前年比の数字はこうだった。
101.7 - 109.1
というわけで、トータルで対前年比プラスは今年度初めてということになる。さすがに一定の効果はあるのだろう。これが高いのかどうか気になったので、過去の数字を見てみることにした。「マス離れ」がどうこうというが、まずは単純な数字を見た方がいろいろ示唆的だと思う。

02年は大変だった。の続きを読む


ここ数年の傾向だと思うが、広告費をマクロで観察していて気になることがある。広告費全般の伸びを支えるのは民間よりも「官」や「公」に近いものが多いのである。
つまり、広告ビジネスがゼネコン化しているのだ。
電通の「日本の広告費」2007年版の解説を見てみると、よく分かる。昨年の傾向は以下の通りである(HPより抜粋)
■年前半は、前年のトリノ冬季オリンピックやサッカーワールドカップによる高い伸びの影響が現われ低迷したが、年後半は、参院選や世界陸上、東京モーターショーなどがプラス材料となって持ち直した。
■業種別(マスコミ四媒体)では、「官公庁・団体」(参院選、環境関連の広告出稿が増加)、「エネルギー・素材・機械」(ガス、遊技機関連が活発)、「精密機器・事務用品」(デジタルカメラなどが好調)など21業種中11業種が前年を上回った。一方、「金融・保険」(保険、消費者金融などの広告が減少)、「自動車・関連品」「家電・AV機器」などが減少した。
つまり、スポーツなどのイベント、選挙、さらにはエネルギーなどの公共性の高い事業に関連したものが大きく影響する。
ただし、この傾向が今後の広告ビジネスに与える負の影響が一気に出てくるかもしれないと思う。

広告ビジネスのゼネコン化。の続きを読む