就職戦線、という言葉がある。受験戦争という言葉もある。
ただ、就職活動というのは戦争ではないと思う。じゃ、何で戦争化してしまったのか。それは、就活を「戦争」にすることでビジネスを成立させて来た人がいたからだ。
いわゆる就転職支援会社である。
大学入試のように「人気ランキング」で企業を序列化して、学生に情報を発信する。採用側と学生側の間を取り持つこうした企業活動を、はなから否定するわけじゃないが、いま相当な転機に来ているような気もする。
気の利いた大学生は、就活の途中で「就職と恋愛」の類似性を指摘する。見た目のいいものどうし、能力の高いものどうしが恋愛で結ばれるとは限らない。ジグソーパズルのように不定形同士が合うかどうか、という点で共通点がある。
もう少し考えると、面白いことがわかる。恋愛と戦争はまったく逆のベクトルを持つということだ。恋愛は生命の誕生につながるが、戦争は生命を奪うことにつながる。
就職が企業にとっても学生にとっても「生産的な行為」であるなら、ランキング化して競争をあおるような行為は、本質的に「就職」の価値の正反対にある。若い人の言葉だと「マギャク」という感じだろう。
アドテック東京、というイベントのパネラーを勤めた。9月3日の17時からのセッションで「マーケター・タレントの育成」、つまり人材育成をテーマとしたセッションである。
モデレーターがADKインタラクティブの横山氏、そして、東芝の荒井氏、スケダチの高広氏に、僕である。
「うちの会社は」というような"売りもの"があるわけでもないので、「身軽」なセッションである。質疑にもそれなりの時間を割けたし、そもそも台本無しにドンドン質問が振られるので、"飽きない"という意味ではなかなかのディスカッションだったと思っている。
会場の空気など、全体を通して感じたのは「ああ、"広告業界"の定義が変わるんだな」という空気感である。
広告=adに、技術=techがくっついてこれだけのイベントが成立する、というのは、見る人から見れば当たり前なのかもしれないけど、それなりに「昔」を知っている立場からみると、「隔世」な感じはするわけだ。
僕は朝型だ。
歳をとってそうなったのではなく、子どもの頃から夜更かしは苦手だった。深夜放送とか、聞こうにも聞けないのでそういう話題には入れなかった。眠いのだから仕方がない。
その分、「朝が辛い」と思ったことはないし、「親に起こされる」という経験もないまま社会人になった。大学受験の時も、起きるのは0時が限度でせいぜい23時くらいには寝ていた。受験の直前には、たしか朝は5時台から勉強したと思うけど。
今でもそういう習慣なのだが、結構「朝型」は増えている気がする。僕は自宅で起きて、8時前からは仕事しているのだけれど、最近はクライアントの方との間で、7時台にメールが行き交うことも増えた。ここ2年くらいだろうか。
「朝型の効用」というのは、多分10年位前からビジネス書などでも思い出したようにブームになるけれど、その合理性が広まってきたのか。たしかに、人より早く出勤すればラッシュは避けられて、オフィスも静か。効率はいいだろう。
自分も朝型なので、そのメリットはよくわかる。でも、あえて「夜型の効用」も指摘しておいていいと思う。
広告関係者の人は当然ご存知だろうが広告コピーには「キャッチコピー」と「ボディコピー」がある。
このボディコピーと言うのが、コピーライターにとってはなかなかの重労働だった。「だった」と過去形で書いたのには理由があって、最近は広告会社のコピーライターが長々とコピーを書くことが著しく減っているからだ。
一つには新聞や雑誌で「文字ギッシリ」のコピーが減少してきたと言うことがある。
もう一つは、カタログなどの制作が外部のプロダクションに任されるようになったので、広告会社の若手がそうした制作作業に携わることが減ってきたと言うこともある。
それは今に始まったことではなく、僕が会社に入ってまもなくバブルの頃に起きたように思う。ところが、その頃に僕は転勤したこともあって、結果的に長いボディコピーを書く文章が多かった。
ボディコピーはいかんせん地味な仕事である。ポスターに一行、で仕事が完結すればありがたいし、コピーライターの仕事をそういうものだと思っている人も一般には多いだろうが、何といってもボディコピーのニーズは現代のようにメディアが変化しても変わらない。
長い文章は、大切なのだ。
本を書いたりすると、あらためて経歴をたしかめられることがある。
今でもよくあるのが「制作にいたんですよね」という話で、それは人によっては気になることらしい。
会社をやめてまもなく5年になるけれど、制作の経験が直接的に活きるとは思っていなかった。制作スキルというのは継続性が大切なので「たまにやってみる」というのは、「コーチがプレイヤーに復帰」的な感じがするのである。
実際に制作から異動して、また戻ったというケースは聞いたことがないと思う。出たら出っ放し、あるいは生涯制作者という感じだ。
でも、最近になって入社した頃にお世話になった方の送別会とか行って、いろいろ思い出すと、たしかに活きていることも多い気がする。それはスキルというよりも「行動習慣」に近いものなんだけど、何となく書き留めておこうかと思った。
広告業界だけではなく、広くビジネス一般に通じることもあるだろうし。
まず、思い出すのでは「手ぶら禁止」という原則だ。つまり打ち合わせには必ず企画を持っていく、という習慣である。「何となく集まって」ということはない。
これって当たり前だと信じていたのだけれど、そうでもないらしい、「とりあえず集まりましょうか」というのは、どの業界でも結構ある。
僕が入社した最初の3年くらいの間にお世話になった先輩が、8月末で定年退職になるという。そこで、かつての仲間が集まって送別会となった。
彼は、僕よりも12年前の入社で初めて会ったころはバリバリの30代だった。定年退職と聞くと少々、というかかなり感慨深いものがある。もっとも「定年」という概念から遠い世界にいるので、こういった送別会に顔を出すと、自分が会社というものから離れていることを思い、感慨も二重三重という感じだ
退職されるのは塚本廣昭さん。もともとはCMプランナーだったのだが、その後は音楽関連の仕事が中心だったらしい。「らしい」というのは、最近の消息をうかがう機会が少なかったからである。
集まった殆どは40代以上なので、最近のことよりも、昔のこととなると良く覚えている。僕が塚本さんに教わったのは「身銭切って遊べ」という一点なのだけど、これもまた実に良く覚えている。入社2年目の頃、青山学院の裏手にあるしゃれた中華料理のカウンターで、話してくれた。
華々しく広告をやっていたり、何かと「ランキング」を発表する大手の就転職支援産業とか人材関連サービスの会社というのは、人を「煽る」ことが基本である。
「いま転職しなくては」「早く就活しなくては」
そうやって、人の大切な時間を振り回すのは、なぜだろう?そうやって、慌てて転職させたり、学生にスーツを着せると、皆が幸せになると思っているのだろうか。
そんなわけはない。そうやって、人々を煽って焦らせると自分たちの「ビジネスになる」ことを知っているからである。
そういう仕組みを知ったほうがいいよ。と学生には話しているし、本にも書いたけれど、どうやら煽る対象は学生だけではなく、企業にも向いているようだ。
ダイヤモンド・ビッグ&リードという会社が「大学生が選んだ新卒採用力ランキング」という調査をやっている。今年で3年目で、こちらのページに結果がある。
つまり、学生に企業の「採用力」を評価させてランキングしているのだ。
僕は、さまざまな業界のクライアントの仕事をしているので特定の企業をここで批判することはしない。たまにブランド戦略に疑問を唱えたり、業績を分析したりするくらいである。
ただ、このニュースについては自分の考えを明快にしておきたい。
それは、ソフトバンクのグループ3社が入社希望の大学生に対して「特別面接枠」を設けて、この枠に応募した学生には契約をとるための「営業活動」をさせ、その実績を評価に加味するというものである。
詳しい話は、こちらにもこちらにもある。
これが法令違反かどうか、厚労省も調査するというが、それが違反であろうがなかろうが、あまりにもひどい。
僕は、大学で「キャリア・ディベロップメント」を教えている。学生に対して特定の企業を勧めることもしなければ、その逆もない。だが、ソフトバンクのこの方法は強く批判するし、さすがに「問題がある」と言う事になるだろう。
理屈からしても、おかしいことは多い。実際は営業活動なのに報酬を払わなければ「ただ働き」である。窃盗罪ではないが、「盗っ人」と言われてもいいようなことだ。
就活はただでさえ、学生生活の貴重な時間を使っているのに、それで儲けるのか、ということになる。ちなみにこれはインターンとは全く異なるものだ。
しかし、一番の問題はこうした理屈ではない。
というようなタイトルの自己啓発本があるわけもないが、あってもかなり中途半端な内容になりそうである。
なんで、そんなこといきなり思い出しかと言うと、この間、母が誕生日を迎えたわけで。既に古稀を過ぎて、さすがに無理はきかないようだが、そもそも無理するようなこともないはずで、まあ、それなりに元気である。
で、ふと思い出したのだが、思い起こすと僕は「AIDMA」という概念を母から教わったのだった。高校生の頃である。
「広告にはAIDMAという法則がある」という話を聞いた。
これは、今にして思うと妙な気もするが母は大学生の時に広告研究会に所属していたのだ。それで、ちょうど自宅に「朝日新聞に見る広告の100年」とかいう本があり、高校に入ったばかりの僕がそれを熱心に見てたら、「AIDMA」の話になった。広告研究会で使っていた、古いテキストも後に見せてもらった。
よくもまあ、そんな昔の概念が未だに「現役」でいるもんだ。
ちなみに母はそういう環境にいたので、友人には電通や博報堂の幹部クラスもいて、場合によっては僕の上司になったりしたこともあった。母は、僕の就職以前から、そういう人のギョーカイ与太話を聞いていたこともあり、僕が代理店に行くことには両親とも抵抗がなかった。そもそも、銀座に買い物に出たついで、フラリと電通や博報堂に「遊びに行っていた」らしい。相手がヒマだと、お茶を飲んだりしていたという。
当時は、広告代理店への就職を親が反対することも多かったのである。
先週の「広告志望学生の対話」は、ある程度反響があったようだ。
実は、学生向きというよりも実際に広告ビジネスの世界で働いている人のアタマの整理に役立ってもらえないかと思って書いたのだけれども。
ちなみに「リアルだ」と思われた方も多いようだが、実際に話した内容を自分で思い起こして再編集しているので、そりゃリアルなのである。
ブログというのは、日記として書く人もいるけれども、僕は自分が「在る程度まとまって考えたこと」を書くためのツールとして使っている。
単行本にするほどのボリュームではないが、人に読んでもらえるかな、という内容のものを随時アウトプットしていこうということだ。
月曜からはまた5回まとめたシリーズを書こうと思っている。
タイトルは「丸の内の広告代理店にて」1986年に社会人になってから3年あまりを過ごした頃の話である。
昔の話だが、単なる昔話にするつもりではない。