ゲルギエフといえば「難聴」というのが我が家でのキーワードである。
2004年にウィーンフィルと来日した際の、チャイコフスキーの5番のコンサート。友人夫婦が二組4枚入手したので、誘われたのだ。
サントリーホールであったのだが、席は二箇所に別れて、僕は迷わず2階の奥まった席を選んだのだけれど、彼らも迷わずにLAブロックを選んだのだった。
そして、コンサートの翌日に奥様の耳の聞こえが悪くなり医者に行ったら「音響性難聴」と診断されて1週間くらい聞こえが悪かったそうである。
そのような爆演であった。
昨日はそのゲルギエフとマリインスキー歌劇場オケのオール・チャイコフスキーで、いきなり「1812年」である。
今回もサントリーホール。舞台に近い人の耳は大丈夫だろうか。
結論から言うと、この日の演奏はきわめて室内楽的で見通しがよく混濁の少ない、それでいて締めるべきところは締めるチャイコフスキーだった。ピアノ協奏曲を挟んで、メインは交響曲4番だったけれど、最後の3分間に硝煙の匂いが少々漂ったものの、爆薬は浪費しないような演奏だった。
胸焼け覚悟で中華料理を食いに行ったら「油通し」はしてません、想像以上にヘルシーな味わいというか、素材優先、つまり楽曲が良く見える演奏なのである。
ゲルギエフは指揮台をおかず、アクションも小ぶりで、このオケと「通じ合って」いることを感じさせる指揮ぶりだった。
4番のシンフォニーは名曲なのだけれど、未だにつかめていない感じがする。5番はいわゆる「暗→明」の「運命型勝利シンフォニー」だし、悲愴は「暗暗暗暗」の異形の名曲だ。4番は調性などを見れば「暗→明」の構造だけど、そういうイメージではない。
むしろ、夢と現実が交錯するような、ミステリアスで"狂気"を感じさせる曲に感じる。この日の演奏は、そういう気分にはやや遠かった気もする。
ただ、狂気と破綻は紙一重である。楽章の提示部後半から展開部にかけては、トリッキーなリズムが続いて崩壊の落とし穴があちこちにある。かつて、といってももう30年以上前か、N響が信じられないくらいグチャグチャになった前歴があって驚いたけど、プロでも事故が多くアマチュアなら屍累々のような難曲だ。
ただし、彼らにとって、チャイコフスキーは「古典」なのかもしれない。だとすればこのアプローチは納得できる。このコンビは火曜にショスタコービッチを聞く予定であるが、その時に意図が分かるかもしれない。