立川談春が、世田谷・成城ホールを舞台に「アナザーワールド」という会を始めるというので、その1月公演に行った。三夜連続で同じ演目のようで、前半が根多おろしの「鰍沢(かじかざわ)」で、後半がお手の物の「明烏」という一夜である。
明烏はいつもより、軽めでテンポのいい流れだった。前半がそれなりの大作なのでこのバランスは悪くないと思う。
さて、鰍沢だが何と言うか困った話ではある。野暮を承知で言えば「サスペンス」ということなのだろうが、そんなもので片付けられる話ではない。
しかもこの話、というか一応「鰍沢」を初めて生で聞いたのが、困ったことに昨夏の三遊亭白鳥の「鰍沢」なのだ。当然白鳥ワールドでこれはこれで面白いのだけれど、このおかげで変な「思い出し笑い」をしてしまうのである。
「鰍沢」を聞きに行く、というのは噺を楽しみに行くという行為とは違う気がする。ある種芸の出来を眺めに行くようなものになりがちで、それはそれで面白いのだけど。
結局、誰がやっても「演者にとっては難儀な噺だよな」という感想が先に立つ。何に似てるんだろう、この感覚。リヒャルト・シュトラウスの「死と変容」あたりだろうか。
鰍沢といえば、昨夏の「予習」のためにダウンロードして聞いた圓生の鰍沢が印象的だ。内容ではなく、その後に収録された自らによる「芸談」が面白い。
登場人物の「お熊」という女性を「いけぞんざい」に描いてはいけないのだと延々と力説する。そして、そういう描写は志ん生が持ち込んだのだと、かなり怨念のこもった批判を始めるのだ。
という本筋と異なるところが印象に残る。やはり難儀な噺なのである。