naoto_yamamoto:Blog / 桃園雑科帳
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カテゴリ[ 見聞きした ]
(2009年4月 1日)
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urawakeiba.JPG
会社を辞めたら、やってみたいなと思うことがあった。
平日の昼に競馬場に行くのである。本当は競艇場に行ってみたいのだが、まずは慣れている競馬から。というわけで先月の下旬、午前中に仕事を終えてフラリと浦和競馬場に行ってみた。
中央競馬の、地方開催は福島、新潟辺りの経験はある。地方競馬だと笠松や高崎、さらには岩見沢のばんえい競馬に行ったことがあるけれど、南関東は初めてだ。
パドックを見ていて思ったのだけど、中央に比して体重の増減が激しい馬が多い。独特の侘しさはあるけれど、終盤になるとそれなりに客も増えていい感じになってきた。
馬券は厳しかったのだが、よかったのはメシ。
結構立派でカラリと揚がった串カツが150円。これにビールと肉豆腐で、何とも幸せな昼飯である。
たらたらと駅まで歩いて、新宿で思い立ってスーツを買った。何となく一人で夕飯を食べたくなって、2軒ほど、ふらりと立ち寄る。
そう、この頃は今日より遥かに暖かかったのだ。
しかし、こんな寒い日に船出とは今年の新入社員は言われる前から「厳しい感じ」になるのだろうな。健闘を祈る。

2月は異様に忙しかった。
ワークショップや研修がやたらと多い。明日も終日仕事である。
昨日も終日外で仕事だったのだが、あとで「お楽しみ」があった。
宝塚歌劇団宙組の「逆転裁判」である。ゲームを舞台化してしまったのだ。日本青年館の公演である。
逆転裁判はDSの「甦る逆転」をやっていたのだが、途中で仕事が忙しくなったのか放っておいてしまった。そうしたら舞台化のニュースが入ってきて、妻がやり始めた。途中でやっているところに茶々を入れていたのだが、また放ってしまい、昨日見たのは全然知らないエピソードだった。
それも幸いしたのだろうけど、いや、面白い。幸いにして前から5列目という席だっただけど、基本的に法廷ものだけにこのポジションは最高だった。
成歩堂というか、舞台では「フェニックス・ライト」を演じた蘭寿とむは歌などはやや力技のところもあるけど、はまり役だったように思える。他の脇役なども、見事な三次元化なのだけど、極めつけは御剣検事、というか「マイルズ・エッジワース」で、どっちが元なのか?というようなハマリ方であった。
七帆ひかるにとっては「当たり役」とでもいうのだろうか。
宝塚が逆転裁判?と聞いた時は、かなり「???」だったのだけど、(おそらく多くの人がそう思ったはず)考えてみると「あれを舞台化できる劇団は他にあるのか?」というように思えてきた。

逆転裁判@宝塚宙組の続きを読む


「アメリカからの御馳走」とはシカゴ交響楽団の来日演奏会である。
シカゴ響をはじめて聞いたのは86年の来日で、ショルティ指揮のマーラーの5番。東京文化における語り草の名演だった。あまりに素晴らしく、まだ売れ残っていたバレンボイムの演奏会のチケットをロビーで買ったほどだ。
だが、数日後に聞いたバレンボイム指揮の演奏会は別のオケのようだった。バレンボイムは、露骨なほどに金管を抑えようとする。あれほど、掌をオケに向ける指揮は初めて見た。
その後ワーグナーの引っ越し公演のバレンボイムは何度か聞いて、別段悪い印象はないのだが、ことシカゴ響との組み合わせだとあまりいい印象がない。2003年はボレロの演奏でトロンボーンが冗談のようなミスをした。
指揮者を「シェフ」に喩える人があるが、そうだとすればオケは「素材」ということになる。シカゴ響は超一流の素材で、いわば最高級のビーフのような感じ。
それなのに、バレンボイムは肉の脂もうまみもすべて奪ってしまっていた。ヘルシオかあんたは。
そんな中での、ハイティンクとの来日だったが、「世界最高」の印象だった。
曲目はモーツアルトの交響曲41番「ジュピター」とR.シュトラウス「英雄の生涯」。トランペットのハーセスは退いたようだが、クレヴェンジャーは健在。あらためて「シカゴのブラス」を堪能したけど、印象的だったのは弦の素晴らしさ。
近年聴いた来日オケと比較しても、ベルリンより重厚、ウィーンより流麗、ルツェルンより精緻、コンセルトヘボウより強靭。
席がLAブロックだったこともあるがシュトラウスでビオラ以下の弦がグイッと弾いた時のインパクトはゾクッとして、間もなく幸せになる。もともと自主性の高いオケである。ハイティンクはそれを知り尽くしているから、結果的に音楽がクッキリ浮き上がる。
最高の素材のうまみを引き出すシェフ。下手のソースを使わず、グリルの炭加減だけで勝負する職人のようだ。
終演後、大学の先輩と妻と三人で新宿三丁目の北イタリア料理の店へ。
メインは豚のソーセージ、子羊、牛の炭火焼のグリル。ここのシェフもまたすばらしい。

初めてランランを聴いた。ピアノ・リサイタル自体もかなり久々だっけれど、単純に感動した。
うまくて、楽しそうで、聴いているだけで幸せになる。かっこいい。
サントリーホールの舞台に、一人で立って、黒い巨大な楽器に挑んで、自由自在に鳴らしてしまう。
最初のシューベルトのイ長調は、30代半ばから急に好きになった曲。想像以上に柔らかな音で始まった。後で思い起こすと、一楽章の構成など、まだまだ途上かもしれないけれど、2楽章以降の流れは気持ちよかった。アタッカも効果的で、フィナーレのメロディーが始まった瞬間の切なさと美しさは、泣かされる。というか本当に泣いた。
休憩を挟んで、バルトークのソナタ。振り返るとこれは今日のコンサートの白眉だったのだろう。
音が弾む。弾力があって、堅いゴムの鞠が躍動するよう。鍵盤を叩くのではなく、弾み上がる瞬間の音なので、暴力的にならない。体重を乗せるのではなく、ピアノから音を導き出している。
フィナーレは呆然。
ドビュッシーの前奏曲集は、低音の重厚さと高音の繊細さの対比が絶妙だった。ただ、構成的には少し冗長に思った。
で、最後はショパンのポロネーズ「英雄」。中学の頃にクラシックを聴くきっかけになったホロヴィッツの演奏が未だに好きなのだけど、「上書き」された感覚だった。
草書体。本当に気持ちよさそうに弾いている。最後のクライマックスでバタバタと音がするのでよく見たら、ペダルを踏むタイミングで左足でステージを踏み鳴らしていた。
若い頃のバーンスタインなど、指揮者では時折あるけれど、ピアニストではめずらしい。それさえも、音楽にしてしまうような圧倒的な感覚。
アンコールはショパンのエチュード10-3。つまり「別れの曲」そして、中国の春節にまつわる舞曲。(のようなもの)
来日したら確実に行きたくなるアーチストだ。何で今まで聴かなかったのだろう。
六本木で鮨を食べて、家の近くでワイン飲んで、夜中までいろいろCD聞いても寝付けなかった。
ちなみに、バルトークでは楽譜を開いていたが、これはいいことだと思う。暗譜をすることにエネルギーを使うなら、楽譜をおけばいいだけのことで、変な暗譜至上主義がピアニストの可能性を狭めるのはやめて欲しいな、と。
あのホールにいた多くの人はきっと幸せだっただろう。

板橋の区立美術館へ行った。12日までおこなわれている「新人画会展」が目的である。
実は、このメンバーの中の松本竣介の絵が気になっている。数年前NHKの日曜美術館で見たのがきっかけだったのだが、日本が戦争へとむかう不安の時代の中に、光を見出そうとする真摯な筆致が何だか気になった。
その後、朝刊の特集を見て日曜の朝早くに思い立って群馬の桐生にある大川美術館までクルマを走らせたこともある。
今回は同世代の画家の作品を集めていたが、松本竣介の作品はいい意味で特異に見えた。他の画家を含めて個々の作品を鑑賞するというよりは、昭和戦前から戦争に向かう時代の空気と、その中で生きてきた若い画家たちの「生の記録」を体験するような展覧会だったと思う。
初めて降りた下赤塚の駅からの道のりは、独特の雰囲気がある。城跡があるような場所で、大きな寺もあり、不思議な時間の痕跡がある町だった。
この美術館に行ったのは初めてだが、初めての「区立美術館」だというのも知らなかった。駅から歩いて20分以上かかるのが難といえば難だが、道のりが楽しいので今日のような日は気持ちいい。ただ展示室の照明が、全体にぼんやりしていて、どのようにしたいのかが少々気になった。
景気も悪いし協賛は減るだろうから、コストのかかる欧米の引越しは厳しいし、来年にかけては美術展もまた小ぶりになっていくのだろう。こういう時こそ、足元の作品を見直すいい機会だし、いい出会いがあったりするんだろう。

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午前中に一件ミーティングをおこなってから、三宅坂に行った。
ここに行くのは最高裁判所か国立劇場か社民党本部なんだろうが、お目当ては国立演芸場の初席である。トリが柳家小三治だったのだ。
市馬の達者な芸を皮切りに、まあ演者によって波はあれども。改めて「おめでとうございます」で始まる高座を聴くのは心地よい。
小三治は、たっぷりと「味噌蔵」を演じて、沸かせていた。もうそろそろ、流暢とか達者とかいうことを期待するのは難しいのかもしれないが、楽しい席であったことは何よりだった。
出演者の中では国本武春が、気持ちよかった。
新春恒例「手拭い撒き」があって、ちょうど左脇をすり抜けようようとしたのを、そのままキャッチ。何とも縁起がいい。
市ヶ谷までタラタラと歩いて、新宿三丁目へ。百貨店で、誕生日プレゼントにリクエストしたパジャマを妻に買ってもらう。セールだったので思わず二着。
どこで食事をしようかとおもったのだが、「味噌蔵」で味噌田楽の話が出てきたこともあって、名古屋名物の手羽先を出す居酒屋に久しぶりに行った。十数年前名古屋にいた頃には想像もつかないくらい、東京で店舗を増やした店だ。
昼席だったので終演も早く、飲み始めたのは17時半。
とりあえず、まだまだ緩めの正月である。

27日、またよみうりホールで落語を聞いた。「三人集」と称し、柳亭市馬、立川談春、柳家三三の出演である。
冒頭、談春は手馴れた「明烏」、市馬がネタおろしの「三十石」と続き、休憩後が本日のメインプログラム。
三三による「双蝶々」である。
これが、大変によかった。当然に噺が上手であるが、所作を含めて流れのいい舞台である。大きな噺で、なかなか聞く機会もない。演ずる方も気合が入るのだろうが、決して必要以上の気負いを感じさせない。
既に言われているのだろうけれど、来年以降に「伸び盛り」の噺家を聞くなら、筆頭に上がる一人なんだろう。
で、大晦日に書いているので今年を総括すると、あまり舞台を見ていない気がする。最も行くクラシックも、「まあ、いいや」で見送り。ラトル=ベルリン・フィルのブラームスは05年に聴いたし、ウィーン・フィルとムーティのコンビも同じ年に聴いてた気がする。
直前でもチケットが余っていたウィーン国立歌劇場の「ロベルト・デヴュリュー」を聴いたことが印象的だったくらいか。
来年は、1月下旬のランランのピアノ、2月初旬のハイティンク=シカゴ響と何となく派手な年明けだけど、そのあとはどうしたものか。
この世界は不景気のインパクトをかなり受ける。シカゴ響もチケットはあるようだし、その後に来るオペラなどかなり出足が悪そうだ。
落語などは比較的不況に強そうにも見えるが、そもそも興行というのは「衣食足りて」の世界である。この市場を近年支えてきた50代後半以降の人々は、「生活防衛」モードに入ると一気に縮小するので音楽、演劇さらにはアートの世界全般が影響を受けるのだろう。
ただ、本当に実力のある人だけが残るのは悪いことではない。未熟なものをメディアの力で売り出して一儲けしようとした人が淘汰されるのだけだと思う。
それでは、よいお歳を。

このような公演が着ていること自体を知らなかったのだが、前日にチケットを買って行ってみたのが「ソウルオペラ」と称する南アフリカのオペラ団。モーツアルトの「魔笛」を、カンタンにいうと「アフリカ風」にアレンジして公演するのである。
オケの変わりにマリンバ。一部トランペットやベルも入る。メロディーはそのままだが、いろんなアレンジが入ってくる。
想像以上に楽しめたんだけど、「魔笛」というのがもともと呪術的な要素が強い作品だし、もともと国籍不明だし、そもそもザラストロってゾロアスターだから、むしろ黒人の舞台の方がシックリくるようなストーリーなんだな、と改めて思ったりする。
帰宅後に「フツー」の魔笛を聞いてみると、みんな妙に「リッパ」過ぎて聞こえるから変。一部の歌手や楽器の瑕疵はあるけど全体的には「おもしろかった」で過ぎ去っていくいい感じ。僕は産経webの公演評で知ったのだけど、これは宣伝というかPRが足りないのか、自分が知らなかっただけなのか、公演スタート後に情報を知ったというめずらしいケースでもあった。
国際フォーラムCはオーケストラコンサートでは絶望的気分になるが、今回の舞台では問題ないと思った。1階席だけど。ちなみに3階席は客をいれていないみたい。
意外と椅子も大きくピッチも広く、音響以外では悪いホールではないんだな。
とりいそぎ。

(2008年12月19日)
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久しぶりに立川談春を聞いた。
「大工調べ」と「文七元結」である。
悪くはないのだけれど、違和感を感じたのは志ん朝のDVDを聞いたからだろうか。
今年の落語界は現役の中では談春を含めて、頑張った人も多いと思うが、一番話題になったのは故人である古今亭志ん朝の上下二巻にわたるDVD全集だった気もする。
あらためて聞くと、すべてにおいて自然である。理が勝っていない。
談春の師である談志の落語は、もともと理が強い。全集には談志も一文を寄せているが、同年代でありお互いに意識はあったのだろう。
いや、どちらかというと意識していたのは談志の側だったのかもしれない。

志ん朝の影と談春。の続きを読む
(2008年8月25日)
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11日からの週は都内で休み、17日からは東京を離れて、また戻って仕事をして、という断続的な休みだったが、まあ久方ぶりにゆっくりできたと思う。
本を読んだりしながらの典型的な室内型の休みだったが、13日に歌舞伎座で見た「駱駝(らくだ)」はかなり笑い転げた。
落語の「駱駝」は何度も聴いていて、今年の7月にも談春で聞いたばかりなのだが、歌舞伎は初めて。あそこまで笑うとは思わなかった。
ただ、死人が踊るというだけのことなのだが(だけ、と言ってもやはり凄いことだが)、ライブにおける笑いのツボというのは行って見てみないとわからない。
今まで最も笑った舞台というのは1996年のシティボーイズの舞台「丈夫な足場」の「ふとん祭り」、と言うのが自分の記憶に残っているのだが、そのとき以来かもしれない。
ふとん祭り、というネタは、とにかく舞台で息を切らせながらふとんを振り回す、という書いてしまうと本当に身も蓋もないのだが、結局俳優がカラダを張って動き回ると言うのは、映像では味わえない笑いであって、そういう意味では今回の駱駝と似ているのかも。
今年は秋に来るオペラやオーケストラのチケットもいまひとつ気が乗らないので、まったく手を出していない。ブラボーやブーイングの交錯する舞台よりも、予定調和的な伝統芸能の方が、何となく居心地がいいのかもしれない。