2015年02月アーカイブ

vaue昨日の東洋経済オンラインに掲載された『マクドナルドの「謝罪」は、何を間違えたのか』という記事を思って、ちょっと感じたことを書いておこうかな、と。

記事の主旨は、一連の不祥事に対してのマクドナルドのメディア対応が不適切であり、どうするべきかという視点での内容だ。たしかに、一連の事件における同社の対応はいろいろと問題があったとは思うし、記事全体の指摘はおおむね理解できる。そして、このような不祥事が起きた際には、「企業が平常時につきあっている経済部記者より、社会部記者が主導権を握る」という指摘のあとで、「社会部メンタリティ」について以下のような記述があった。

(以下引用)不祥事や事件に日々直面する社会部記者は、謝罪会見で不祥事を起こした企業の正当性を聞こうなどという気はない、と考えたほうがいい。彼らは、ひれ伏す企業のトップを国民に紹介することを頭に描きながら会見場にやってくる。マクドナルドは、そういった不祥事におけるマスコミの「社会部メンタリティー」を全く理解できていなかったといえる(引用ここまで)

これはあくまで一般的な「社会部メンタリティー」を指摘しているのであって、この文を書かれた方が同じメンタリティーを持っているかどうかはわからない。でも、この一文を読んだ時の「いやぁな感じ」ってなんなんだろうかと思った。

簡単にいうと、ここで書かれているメンタリティーを持った人には近づきたくないな、という感覚だろうか。そして、最近のジャーナリズムに対する一般人との意識のかい離が、なんとなく浮き彫りにされたと思うのだ。 >> 日本のジャーナリズムは「二流の桃太郎」なのか。の続きを読む