2016年01月アーカイブ

シカゴが来る。と言っても、シカゴのオーケストラだ。シカゴ響で、つまりCSOだ。クラシック音楽好きの中には思い入れのある人も多いだろう。

本だけではなくて、音楽についても今年は書いていこうかと思うわけで、正月3日目はそういうお話。

ベルリン、ウィーンと並んで「3大オケ」という惹句を考えた人もいた。「世界3大スープ」と同じで、これを言い出すのは大体3番目の関係者だ。別にシカゴ響が3番目かはともかく、欧州の名門オケと比して売り出そうとしたレコード会社の思惑もあっただろう。

というわけで、シカゴ響についての個人的な思い出を書いておきたい。

ショルティの演奏は1986年に上野で聴いた。ハフナーとマーラーの5番だったが、心底驚いた。トランペットのハーセスと、ホルンのクレヴェンジャー。終演後に立って挨拶する2人を見た時に、特に好きではないが「全盛期の王と長嶋」という連想をした。

あまりによかったので、翌週のバレンボイムのチケットをロビーで買った。残席があり、曲はワーグナーの「指環」からの抜粋などだった。

ところが、これが全く違うオーケストラだった。バレンボイムは金管を抑える。左手の掌を、管楽器に向けて弦楽器にうねうねとしたタクトを振る。シカゴ響という最高のエンジンにリミッターをかけていたような感じだ。

バレンボイムはベルリン国立歌劇場で「指環」を演奏した来日公演などが本当に良かったと思うが、どうもシンフォニーは辛気臭くなることがある。その後、2005年に「シルヴィ・ギエム 最後の“ボレロ”」という企画でCSOと来日したのだが、ボレロのトロンボーンがこけるは、「春の祭典」もグシャグシャで、まったく緊張感のない演奏だった。

この頃は、シカゴ響にとっても世代交代などで、過渡期だったんだろう。 >> 【音の話】柔らかな鋼、シカゴ交響楽団。の続きを読む