2016年10月アーカイブ

img_1951 大仙厓展-禅の心、ここに集う 出光美術館

ポスターにもなっている「指月布袋画賛」は、誰が見ても「かわいい」と思うし、ちょっと気になる展覧会だ。

仙厓は、江戸時代の禅僧で、博多の聖福寺で住持をつとめていて、九州とは縁が深い。画は福岡市美術館、九州大学と並んで、出光美術館が多く所蔵しており今回はいわば「三大コレクション」からの出品となる。

「大」がつく展覧会なのだ。

もちろん、「かわいい」だけの展覧会ではない。風景もあれば、有名な「○△□」の抽象画も、ある。ただ、布袋や犬、猫などの描き方はたしかに「かわいい」。他の日本画でも感じるが、現代のコミックに通じるある種の潔さのようなものもある。

一方で、晩年には寺の跡を継いだ湛元が藩から処罰されて、仙厓が戻ったこともある。その頃に書かれた「不動明王」の絵などは、また異様な迫力を見せる。

しかも、亡くなる直前の作だ。ちなみに、彼は米寿まで生きた。 >> 「かわいい」だけではない幸福感~「大仙厓展」の続きを読む



資生堂「インテグレート」のCMがオンエア中止になりました。若い女性をターゲットにした広告でしたが、CM内の言葉を「セクシャル・ハラスメント」と捉えた視聴者からの声に配慮したということです。

このようなケースは他にもいくつか見られました。たしかに「文句を言われる可能性」は感じます。ただし、ハラスメントとは決めつけられないとも思います。これは人によっても意見が分かれるし、私としても白黒ハッキリ論じにくいテーマだと考えてます。

資生堂は女性向け商品を中心に、長いこと多くの広告を制作してきました。今回の件も制作側に悪意はないと思いますが、なぜこうした問題が起きるのか?

それは、「インサイト」と「ハラスメント」という異なる視点からの発想が、ぶつかっていることが理由だと思います。

広告やマーケティングの現場ではインサイト(insight;洞察)という言葉を使います。ターゲットのなる人の心の奥底にある意識、つまり「その人になりきって考える」というような意味合いです。

今回のCMでも20代女性のインサイトを掘り下げようとしたと思います。

また一般的にはそのためのインタビュー調査などもおこなわれます。そういう意味で、この広告の制作者はインサイトをつかむための努力をしたと考えられます。

さて、それでは、ここで別の視点で考えてみましょう。

今回の広告ですが、こうした言葉が「独り言」だったら問題になったでしょうか? >> インサイトとハラスメントの狭間で揺れた資生堂のCM。の続きを読む



一昨日に書いた、『「自分はこれだけたくさん働いた」と言うのは、もうやめよう。』という記事について補足を書いておきます。

過労が原因で自殺に追い込まれる場合、労働時間だけが原因ではありません。それは同記事にも既に書いています。

しかし「自分だってたくさん働いたけれど周囲にフォローされた」という声も、あちらこちらでたくさん目にしました。だから、「労働時間だけに目を奪われずに、職場として助け合うことが大切」という考え方は正しいと思います。

それでも、まず「長時間労働自体が問題」ということは改めて訴えたいと考えます。

理由は3つです。

まず、1つ目。「長時間働いたけど平気」という人はもちろんいます。一方で標準的な労働時間の人に比べて、「長時間労働で心身が蝕まれる」ということもたくさんあります。さまざまなケースから、長時間労働は人を追い詰める可能性を高めることはわかってます。

また職場全体の労働時間が長くなれば、互いを助け合う余力が低下するでしょう。

労働時間が長くなることは危険性を高めるのだから、そうしたことは早めに除去するのが当然だと考えます。

2つ目は、そうした「経験談」がネットなどで独り歩きすることで、何らかの「空気」になるリスクが高まっていると思うからです。直接聞く時には、より具体的な話として、いわば「注釈つき」で理解できますが、いまの時代では空気だけが先行します

もう1つの理由は、「強者の論理」で議論が進むことへの危惧があるからです。 >> 「長時間働いたけど大丈夫だった」が、強者の論理になることを心配する。の続きを読む



shibuya東京の街を歩いて、「昔はここに」という話になったら、十分に年寄りだと思うけれど、僕は20代の頃から結構好きで古地図の本などを買っていた。

ただ、時折「エ?」と思うことはもちろんあるわけで、先日『落陽』という朝井まかでの小説を読んでいたら、意外な文章に出くわした。

この本は明治神宮造営までのプロセスを追ったフィクションだが、関わった帝大の博士などは実名で登場する。当時の東京の描写もとても生き生きしていて引き込まれた。

そして、主人公たちが神宮の造営予定地に立つ場面があって、そこから見た風景が描かれる。

「淀橋の浄水場」はわかる。いまの新宿西口の高層ビルのあたりだ。「瓦斯蔵」つまりガスタンクも見当がつく。いまのパークハイアットだろう。あの敷地にはいまでも東京ガスの施設がある。

けれども分からなかったのが「渋谷発電所」だ。まず思いついたのが「電力館」なのだが、あそこは元々区役所があったところらしい。そして、検索してみると東京都交通局のウェブサイトに行き当たった。交通局はいまでも多摩川で発電するなど電気事業もしていることを初めて知る。

そして、「電気事業の歴史」というページの冒頭にはこうあった。 >> 「渋谷発電所」って、どこにあったんだ?の続きを読む



長時間労働で疲弊した社員が自殺したケースについて、会社側の責任を認めた司法判断が確定したのは2000年のことだ。この判決は会社の安全配慮義務などの責任を認めた画期的なもので、人事業務に携わる人はもちろん、法曹の仕事に関わる人にとっても重要なケースだった。

この時の被告となった会社は電通で、自殺した社員は新人の秋頃から勤務時間が増加し、入社2年目の夏に命を絶った。1991年のことだった。

それから四半世紀が経ち、昨日、電通社員が同様の状況で自殺して労災認定されていたことが明らかになったが、彼女も1年目だ。

今回の事件では、疲弊した彼女のツイートなどが残っていて報道もされているが、あまりにも悲痛だ。

この職場の実情についての推測などは一切するつもりはないが、改めて自戒をこめて一つのことを書いておきたい。

それは、単純だ。こういうケースについて、かつて長時間働いた経験のある人間が「自分はもっとたくさん、○○時間働いた」ということは全く意味がない。むしろ、苦しんでいる人をさらに苦しめるだけだろう。

たくさん働いても平気な人がいる。一方で、勤務時間に関係なく疲弊してしまう人もいる。実際に命を絶った人のケースはさまざまだ。だから労働時間の長さ「だけ」が原因とは限らない。理由が複合的なことも多い。

ただし、長時間労働が恐ろしいリスクになることはたしかだろう。睡眠不足は判断力を低下させて理性を失わせることがある。孤独な作業は、過度な心理的圧迫を招く。

そういう経験を乗り越えたとしても、それは長時間労働を正当化しない。

「自分は大丈夫だった」というのは勝手だ、という意見もあるだろう。しかし、そう言った言葉自体が、また見えない圧迫を生む。

そして、見えない圧迫こそが長時間労働がなくならない最大の原因だ。

「俺の若い頃は**時間働いた」「海外の連中だって無茶苦茶頑張るやつがいる」「私の睡眠時間はたったこれくらいだけど平気」

そういう言葉は、胸の中にしまっておこう。

それが、彼女の無念に対して、また同様の環境で苦しんでいる人に対して、まず僕たちができる最初のことじゃないだろうか。

【追記】ちなみに自殺については「自殺稀少地域」を分析したりレポートした下記の2冊がとても示唆的だ。職場にも応用できる話だと思うし、「稀少地域」の条件を満たしていない職場は多いと思う。こうしたアプローチはこれから重要になるだろう。