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(2012年8月22日)

カテゴリ:広告など

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ひと月ほど前、電通のイージス買収に絡んで「電博の終わり」というエントリーを書いて、facebookでいろいろコメントをいただいたりもした。
迂遠な表現もあって、わかりにくかったようにも思うけど、博報堂にとっては機会だと思っている。電通があのような路線に入るので、「電博」の呪縛から解けるように思ったからだ。
というのも、昨年とある機会に電通、博報堂、ADK(いずれも単体)のいわゆる「種目別売上」を調べた時に改めて驚いたからだ。このグラフ、「日本の広告費」とADKは2011年の1~12月、電通と博報堂は2011年4月~2012年3月なので時期はややずれるが、大勢を見るには問題ないだろう。
何と、三社とも測ったような、というか申し合わせかのような売上比率なのだ。日本の広告費全体に比べてテレビは突出して多く、インターネットは少ない。テレビは全体では30.2%だが、電通は46.9%、博報堂は47.2%、ADKは48.1%だ。そして、ネットは全体で14.1%なのに対して、電通も博報堂も4%台。意外かもしれないが、新聞の比率は全体より低い。
簡単にいうと、テレビからの収益は十分においしいし、大事にしたくなることがわかる。これは広告会社にとっての「黄金比」のようなものなのだろう。そして博報堂は「小さな電通」であり「大きなADK」というポジションになっている。

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(2012年7月18日)

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電通が思い切ったことをやった。4000億を投じてのM&Aの目的などについては、いろいろと書かれている通りだろうし、あえては書かないし、将来について言えば全く分からない。ただし、この買収のカギを握るのは人材マネジメントに尽きるのだろうと思っている。
その一方で、ふと思ったのは「電博」という言葉は本当に無意味になるのだろうな、ということだった。
電通は単体で博報堂の2倍以上の売上げがあるが、博報堂はNo2だから得をしてきた面がある。代表的な代理店は「電博」というわけで、ドラマに出てくると「電王堂」とかになるのだ。
何となく「電通や博報堂」みたいなセットになっているので、それなりに競っているように見える。ただ、トラック競技で言うと最後の直線でそれなりの戦いになっているけれど、片方の選手は実は2倍の距離を走っているようなものなのだ。その上で、個々のプランニングの品質では競り合う局面もそれなりにあって、就職希望の学生などは時折錯覚を起こしたりするようだけど。
しかし、今回のM&Aで電通は競技場の外へ走り出してしまった。企業体としては、過去とはまったく異なる競争の世界へ突入したと思っている。

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就職戦線は厳しいと言うものの、学生によっては結構重複内定が多い。 知らない学生が、そんなことで相談のメールをよこして来ることもある。とある学生はXYZの三社から内定をとった。XとYは総合広告の上位で、Zは業態はやや異なるもののこちらも情報産業の雄である。 で、どこがいいだろうか?ということで大体学生の腹積もりは決まっているようだけど、会うことにした。 そこで聞いて驚いたんだけど、なんと内定後に採用担当者からこう言われたらしい。 「今年の広告業界志望の学生のレベルは低い」 わざわざ、どうしてそういうことを言うのか。Y社とZ社の担当はそう言ったと聞いて、思わず「その2社はやめたほうがいいだろ」と言いそうになったが、それが理由かはともかく、本人はX社に行くつもりのようだった。 しかし、これって、何なんだろうか。まず、採用担当として、というか社会人としてかなり傲慢なんじゃないか。これじゃ内定者だって、首を傾げるだろう。 それに、人気が低下したというなら、それは企業側の責任。ここで、内定者に八つ当たりしてどうするのか。 それより問題だと思うのは「学生のレベルが低い」と嘆く、人事担当者の気概のなさ。これには、驚く。 学生の質は、たしかに毎年微妙に変わる。しかし「今年のカツオの水揚げ」というような感覚なら、人事なんかやらない方がいい。魚は釣り上げた時点で価値が決まるが、人材は採用後にいくらでも変化する。 まっとうな会社なら、入社時の評価と20年後のそれを必ずしもきちんとトレースしているはずだ。そうすれば、入社時評価があてにならないことも理解しているだろう。 ちなみに、僕が見る限りこうした低下は特に感じない。まさか、と思うような逆転内定はどの業界でもなく、きちんとした企業にはそれなりの人材が集まっている。 そもそも内定者に、こうした話を軽々にするというのは他の業界では聞いたこともない。その上興味深いことに、こうした緩みは会社のパフォーマンスの反映のようで、人事の態度はXYZ三社の業績動向と奇妙な一致を見せるのだった。 ああ、怖い。



(2010年5月24日)

カテゴリ:広告など
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先週の土曜日は日本広告学会の集まりだった。
集まり、っていうか正式には「クリエイティブフォーラム」というもので、丸一日かけて「クリエイティブ」をテーマにいろいろな人が発表する。学会の大会では会員中心になるのだが、今回は広くクリエイターを招いた。
そこで、僕も研究報告ということで話したのだった。
テーマは広告なんだけど、社会やメディアの話をする中でテレビのことに触れた。
そこであらためて思った、というか話しているうちに気づいたんだけど、本当に今のテレビって「未来」の情報が少ない。
ノンフィクションでいうと、ニュースやスポーツ中継や討論番組は「現在」を伝える。
そして歴史など「過去」を伝える番組もある。ところが「未来」に関する話って、減っている気がする。2000年頃はNHKなんかで色々やっていた気もする。
時間軸だけで考えないで言うと「未知」の話が少なくなっていると思う。たとえばクイズ番組。昔は「世界なんとか~」みたいなクイズ番組があって視聴者に「未知の情報」を提供していた。いま、そうした番組は減ってしまった。クイズとか見ていると視聴者にとって「既知の情報」を出して、それを知らない芸人を笑うという構図である。
広告だって「見たことのない世界」がどんどん減ってきた。かつてのTVCMは「未知の世界」を提示して、そこに消費者を誘うというのが定番だった。今でもそういうのは多いけれど、関係者はその効果の低さにアタマを悩ましているのだろう。
そして、番組も広告もテレビには「現実」だけが溢れかえった。

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(2010年5月12日)

カテゴリ:広告など,雑記
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先週、小霜和也君と飲んだ。 彼は、いまno problem という広告プランニング会社の代表であり、コピーライターで、クリエイティブ・ディレクターだ。まあ、広告業界の人であれば、ご存知の方も多いはずだと思う。 彼と僕は、博報堂の同期だった。86年に入社して2人ともクリエイティブに配属された。その後、僕は幾つかの職種を経て2004年に辞めているのだが、小霜君は98年に辞めている。しかし、彼はずっとクリエイティブ畑の仕事をしていた。ただ、コピーだけ書いているわけではないのだけれど、本籍も現住所もあまり変わっていない、という感じである。 2人で飲むのは、これが初めてだった。 有体に言うと、まあ別にそれほど近しいわけではなく、まあ、何となくそうだったというわけだ。 きっかけは、昨年出版した”買う気の法則”の感想を、彼がホームページ経由で届けてくれたからだ。それから、また何ヶ月も経ってやっと会うことができた。 まったく異なるような道を歩んできながら、いまのマーケティングや広告の現状に対しても問題意識は驚くほど似ていた。それはそれで、単純にうれしかった。 彼は広告学校も主催しているが、そうして育成に関心を持っていることもまた、不思議だった。 そして、今月には単行本を出版するという。 僕たちの世代は、いわゆるマス広告が華やかだった時代を知っている。 ただ、知っているということが「知っている」にとどまっていて、それが現状の突破に結びついていない。そんな意識がある。 それに、過去の体験でも捨てなきゃいけないものはたくさんある。 一方で、メディアをめぐるテクノロジーの変化は早い。その変化をフォローすることは大切だけど、変わらないこともあるだろう。 変わること、変わらないこと。それを見きわめるための議論が重要なのに、極端な意見がどうしても目につく。 実は、小霜君と僕が話して頷きあっている内容をまとめて書いたら、とってもアタリマエのことしか残らないだろう。 しかし、そのアタリマエが忘れられたまま右往左往しているのが、いまの広告ビジネスの姿なんじゃないか。 そういえば思った。「あの人はアタリマエのことしか言わない」って人って、そのアタリマエができてない。その癖、どうでもいいような「名言」が好きだったりする。 気づいた方が、いいと思うな。