4月になると、入社式や入学式にまつわるニュースが報じられて、結構SNSなどでも話題になったりする。

今年は「あれ、見たことあるな」と思ったのがあって、それは「1986年と現在の入社式」という記事だ。これ、実は2010年の記事で一度話題になったのが、そのまま再度注目されたようだけど、ネタとしては結構前だ。また朝日新聞デジタルでも、入学式の黒スーツが取り上げらていた。

記事にも引用されていたけど、国際基督教大学の加藤恵津子・学生部長は同紙に「服装の統制は、言論や思想の統制と隣り合わせ。」と寄稿していたので、その流れなのだろう。

最近の服装を個性がなく画一的で無個性と捉えるのが、大人の流儀なのか発想なのか。でも、僕はその発想の方が画一的なんじゃないかと疑ってみたりする。

大学はもちろん、いまは職場でもカジュアルな服装が増えている。彼らにとって、入社式や入学式は、「とりあえずおさえておく」儀式だし、だったらそのまま就活で使うスーツを選ぶのも普通だろう。

先の学生部長は「服装の統制」というけど、その発想もまた見えない何かに統制されている気もする。

ただ、実際に日常の服装がどうなのかというと、たしかに「個性的」ではないかもしれない。 >> 「入社式とかの服装が画一的」、と嘆く発想が画一的?の続きを読む



ネットのニュースの見出しに「国会役立ってない若者3割」という見出しがあった。

日本財団が継続的におこなっている「18歳意識調査」(17~19歳が対象)で、そんな結果が出たそうな。

「国会は国民生活の向上に役立っていない」との回答が30.0%に対して、「役立っている」の20.9%。「分からない」は49.1%で、記事によると「日本財団は『若年層の国政への関心の低さを表している』としている。」とあるけど、まあこの質問自体がちょっと乱暴というか、立法府が役に立ってなければ、すべての法や政策はそもそも意味がなくなってしまう。まあ、直感的な役立ち度への評価という感じなのか。

ただ、元の調査を報告しているこちらのウェブサイトで詳細を読むと、これが結構面白い。

なんか、的確なのだ。というか、「関心が低い」じゃなくて、「これじゃ関心持たれないよな」という理由が明らかになっていて、まあ若者じゃなくても感じていることなんじゃないか。

「要約版」の9ページに国会が「有意義な場になっていると思わない理由」というのがある。上位から順に「議論が噛み合っていない」「政策以外のやり取りが多すぎる」「同じ質問が繰り返される」と続くわけで、「ごもっとも」としか言いようがない。

自由回答を見ていくとわかるんだけれど、特に野党には結構厳しい。

つまり、行政府というのは首相を始めとして、毎日注目されて批判もされる。一方で、立法府というのは野党の見せ場、というか「国会でしか見ることがない」と感じられるわけだから、評価対象になるのだろう。 >> 「国会が役に立ってない」という18歳意識調査が結構鋭い。の続きを読む



新元号を聞いた時、すぐにしたのはグーグルの検索だった。スクリーンショットを残しておいたけど、早大の川岸令和氏の名前がズラリと出てくる。単に「元号名の候補をチェックしたスタッフの気持ち」が知りたかったというだけなんだけどね。

「お、これならいける」と思ったんだろう。もし彼が憲法に関して国会でいろいろ言ってたりしてたらどうだったんあ?とかどうでもいいことを考えた。

もうこの画面は見られないので、記念に残してみようと思った。

「令和」と見た時、「これは漢籍ではないな」と直感的に思った。あとで、万葉集からの引用と知ったが「令月」という言葉を含めて、自然に根ざした文脈なのだろう。

なんだか「令」の字に反応して、「上から命令される」とか反応した人が僅かにいたようだけれど、今回説明があったように、令の文字はそれだけの意味ではないし、だから人名にも使われるわけだし。

半端な知性というのは、何か困ったもんだとつくづく感じた。

「名前をつける」という行為は、権力の行使ではある。なんか大げさだけど、子どもの命名だってそうだ。生まれたばかりの赤ん坊に一方的に名づけてしまう。地名は自然発生的でも、やがて公的機関が決めるようになる。

だから名前と言うのは「誰が決めたんだよ」「自分は知らないよ」という話になりやすいわけで、最近になって「フィリンピンなんて嫌だ」とかの国の大統領が言い出したりもするのだった。

この元号発表の前に話題になったのが、山手線の「高輪ゲートウェイ」だ。そして、反対署名を集めた識者と称される方々の反対理由を読んでいた、ふと気づいたことがあった。

なんか、おそろしく権威的なトーンなのである。投票1位で由緒ある「高輪」でいいではないか、とJR東日本の「強権」と批判しているようでいて、そこで述べられている理由を読んでいると違和感がある。

権力の行使を批判しているようでいて、単に「こっちの言うことを聞け」と言ってるだけで、結局は権力の引っ張り合いをしているんだなあという感じがした。

だから「名前を受け入れられない心理」ということにあらためて興味を持った。

個人的に、この元号は「すごくいい!」と思ったわけではないけど、「ああ、よく考えたなあ」と感じた。今回は事前に日程が決まっていたし、ネットで皆が勝手なこという中で大変な作業を乗り切ったなあ、と感心する。

「令和」がどんな時代になるかは、そこに関わる人次第なんだろう。だから、「いい名前」かどうかはこれから決まっていく。「ああ、ちゃんと働かなきゃ」と改めて思ったけどね。

だから積極的に関わって行きたい人にとっては前向きに捉える言葉だろうし、「なんか違うなあ」とかいつまでも言ってる人は、時代の傍観者だったり、知識ばかりで年とっちゃった人なのかもしれない。

元号でも駅名でも、「名前を受け入れるかどうか」は、人の見えない何かを見せてくれるように思う。

※そういえば「名前」に関しては「名前と人間」という言語学の名作があるのだった。これは言語学の隙を突いた傑作だと思う。



もう寝ようかという頃、やっと始まったイチローの記者会見を見ていたら、「引退」という言葉が出たタイミングで日本テレビがCMを入れて、結局その後はAbemaTVでついつい見続けてしまった。

いや、しかしこれはある意味歴史残るかもしれない。いや、日テレのCMじゃなくて、イチローの記者会見の話。スポーツ史に残るのかは専門外だけど、メディア史には残るんじゃないか。

というのも、この記者会見は「記者会見ってこんなものだよね」という視点からのイチローの言葉が何度も出てきて、そのたびに「記者 vs. イチロー」という構造が解体されてしまったのだ。そして、それを見ている視聴者も含めた三角関係の遥か上、ある意味「神の視点」のようなところからイチローは言葉を発する。

まず、第一声からしてそうだった。

「こんなにいるの? びっくりするわ。」

というのは、記者とイチロー、そしてモニターの前で固唾を飲む視聴者をまとめてどこかの高みから見ている感じだ。

いわゆる「メタ的視点」ということなんだろうけど、これがナチュラルに進んでいくのがイチローらしい。

「そんなアナウンサーみたいなこと言わないでくださいよ」

「それはいわない方がいいいんだよね。やぼったくなるから」

このあたりは、記者の質問をちょっと上から見て評してる。でも、「上から目線」的ないやらしさは感じない。

「僕には感情がないと思っている人もいますけど、意外にあるんですよ」

「何になるんですかね。元カタカナのイチローになるんですかね」

こんどは、自分自身をまた別の視点から見て、自分をからかっている。そうやって、この会見の間「ちょっと別のところから見ているイチロー」が何度もいた。

これが続いているうちに、もうこれはある種のメディア批評の極致なんじゃないかという気がしてきた。だって、何度も出て来て流行語にもなりそうなあのフレーズがそうでしょ。

「おかしいこと言ってます?」

もう、これ自分に向けてるわけじゃないわけで、記者の方に向いている。ふつう記者会見は、記者側が「相手の姿を明らかにしてメディアで伝える」プロセスなのに、この会見では「記者たちのセンスがメディアでバレちゃう」プロセスに反転しちゃったのだ。

でも、こんなのフツーはあり得ない。これ渦中の企業の首脳、たとえばあの自動車会社の社長が元会長のことをいろいろ話してから一言

「おかしいこと言ってます?」

聞いてみたい気もするけど、まあないだろう。

「なんか立派なこと言ってるけど、メディアの記者ってどうよ」と薄々誰もが感づいている時代に、それを軽々と明らかにしてしまった80分以上の会見。

でも、僕がイチローの矜持を感じたのは「生きざま」という言葉を発した記者の質問への返答だった。

「生きざまというのは僕にはよく分からない。生き方という風に考えれば……」

と切り返したのけど、これは痛烈だったなあ。いつ頃からか、やたら「生きざま」という言葉が流行ったのが何か嫌だったんだけど、イチローもそう思ったのか。

マスコミの言葉選びの”雑な感じ”が、一瞬にして浮かび上がったようだった。

かくして、イチローによってメディアは解体されてしまった。後に残ったのは「人々を代表して質問している」はずのメディアや記者たちの「ちょっと残念な風景」だ。

と、いまになってちょっと分析してみたけど、見ている間は心が揺さぶれることが何度もあった。選手を退いた彼は、これからいったい何を見せてくれるんだろうか。



電通の「日本の広告費」が発表されたが、驚いた。いや、ネットが地上波テレビと来年にも逆転しそうだとか、そういうことではない。発表されている文章が、昨年までとはどこか違っていて、味わい深い。

まず、新たな項目として「マスコミ四媒体由来のデジタル広告費」という項目が、「インターネット広告費」の中に“新設”された。

なんか健康食品の「植物由来成分」みたいだけど、これは「マスコミ四媒体事業社などが主体となって提供するインターネットメディア・サービスにおける広告費のこと」らしい。つまり「インターネット広告ばかり増えているようだけど、マスコミ四媒体もこれだけありますよ」ということだ。

で、「こんなにあるのか」と思うか、「これしかないのか」と思うかは、人それぞれだろう。でも、とにかくこういう項目ができた。

そして、本文がなかなかユニークである。新聞から、雑誌、ラジオ、テレビと淡々と続くが、インターネット広告になるとちょっと口調が変わる。 >> 電通「日本の広告費」の文章が、妙にはじけているのだけど。の続きを読む