(2017年3月24日)

カテゴリ:広告など
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なんか、ムズムズする。花粉でもなければ、証人喚問でもない。「綾鷹」の広告のことなんだけど、最新のコピーはこうだ。

「この国のもてなし」

緑茶にはもてなしの心が込められている。その精神を受け継ぎ、急須で淹れた緑茶の味わいに挑み続けるという。

その意気や良し。おお、うっかりして大時代的な表現をしてしまった。というか、だったら急須で淹れればいいんじゃないか。いや、それを言ってはいけないのか。

それにしても、「この国」というのが、どこかムズムズする。そういえば、綾鷹は以前にこんなコピーだった。

「日本人の味覚は、世界一繊細だと思う。」

ちなみに広告表現において「一番」のような最上級表現はむやみにしてはいけない。数的なものであれば根拠を明示するのだけれど、何といっても「味覚」だ。しかも製品のことを言っているわけではなく、文末に「思う」とある。

だからいいのか?というと、これもまた相当にムズムズする。

でも、綾鷹はこのムズムズ感において、一貫性がある。

つまり、「世界一繊細な味覚を持つ国民が、ペットボトルのお茶でおもてなしをする」ということだ。

こうやって書いてみると、やっぱりムズムズする。

しかし、コカ・コーラのほどの企業なのだから、こうした広告をするには理由があるのだろう。つまり、こうした表現を受容する人がたくさんいて、そういう人はあまりムズムズしない。

だから、広告をああだこうだ言うのは野暮なのであって、まあ今の日本がそういうことなのか。

と思っていたら、もう一つムズムズするものがあった。 >> 「綾鷹」の広告がムズムズする。の続きを読む



先週の木曜日に、国立新美術館の「ミュシャ展」に行った。噂の「スラブ叙事詩」は、あのスケールに浸るという楽しみはあるけれど、個々の絵を見ると「ダヴィッドのスラブ版」という感じもする。別に貶してるわけでもないが、褒めてるわけでもない。

会場に着いたら、チケット売り場には列ができていた。twitterでそんなことが書いてあったので、チケットは移動中にタブレットで買った。しかし、どうして美術館のチケットを買うのに、自宅住所を入れるのか。まあ、それは本題じゃない。

中に入って驚いたのは、結構な列ができてたことだ。ウワ!と思ったら、ミュシャではなくて、草間彌生だった。と思ったら、会場の入り口は空いている。この列は、草間彌生の「グッズ」を買う人が、レジに向かって作っている列なのだ。

待ち時間、40分。週末はもっとすごいことになったようだ。

前衛の旗手と言われた彼女の集大成ともいわれた今回の展覧会だが、人々が列をなすのは工業製品を買い求めるためだ。違和感、というには安直でなんとも不思議な気分だ。 >> モノはいらない、「証拠」は欲しい。の続きを読む



春だ。なんだか妙に冷える日が続いて今日も雨だけど、この連休は本当に春だった

単純に嬉しい。

別に遠出をしようとは思わないし、何といっても自宅から半径数キロの辺りが、自分にとっては一番春らしい。

生まれてこの方、東京区部の西の方で育ってきた。公立の小中学校から都立高校へ行ったのだけれど、校歌の歌詞には「富士」か「武蔵野」あるいはその両方がある。幼稚園の園歌もそうだった気がする。

つまり、区内と言っても「江戸」ではなくて、武蔵野だ。高校では、昔の「第三学区」が行動範囲だった。そして、この辺りの春が好きだ。

昼過ぎに、近所にランチに行く。カフェでもいいし、蕎麦屋でもいい。何となくみんな嬉しそうで、ビールを飲む人もいれば子供連れもいる。そして、若い人が入れ替わる季節で、それが何とも言えない空気になる。

もちろん、東京のあちらこちらで、また日本中でそうなのかもしれない。ただ、このエリアならではの特徴がある。 >> 春は武蔵野、「第三学区」あたりの多幸感。の続きを読む



(2017年3月18日)

カテゴリ:読んでみた

本を読むのは好きなのだけれど、あまりこまめに書評を書いてみたり、記録をとっていなかった。ただ今年から、ちゃんと読了した本だけを記録してみた。アマゾンのリストにもさすがに多くなってきたし、まあタイトルだけで一覧してみたいし。

3月16日までに読んだ本が29冊で、新年から11週。別に年間何冊とか目標立てていないし、まあこんなものだろうか。

もっとも、仕事のリファレンスだと、さらにいろいろと加わるが。

というわけで、備忘録的に読んだ本の記録。

「紙の世界史」は、文字とおり紙と人とのかかわりを追った本。インターネットの登場を「グーテンベルク以来」という言説が増える中で、印刷革命を扱った本は注目されるが、この本は「紙」に特化している。どちらかというと、ある種の素材産業史のような面もあるが知らなかったことも多い。また日本の和紙の価値もよくわかる。

「近くても遠い場所」は、現在の日本に「過去の痕跡」を探る、という試みの一冊。エッセイともいえるけど、ある種の研究書でもある。米軍の占領の痕跡から、江戸時代の風俗の残滓など、日本のあちこちらから「過去への遠足」を試みた本だ。著者の木下直之氏は、少し前にタモリ倶楽部にも出演したが、その時の内容はこちら

このころはまだ正月休みで、その後に読んだ「さよならの手口」「静かな炎天」は、若竹七海の近年のミステリー。その面白さは、こちらに書いてある。デビュー作の「ぼくのミステリな日常」もあらためて精緻だ。 >> 最近読んだ本など。【2017年1月】の続きを読む



あの学園をめぐる騒動で、教育勅語が話題になっている。

そういう学校に身内を通わせる気には全くならないけれど、自分の周囲を見ているとメディアや識者が「けしからん!」というほどに、みんなが怒っている感じでもない。

何でかなあと思ったんだけど、あの学園をめぐる話は時おりテレビでやってる動物ドキュメンタリーの「珍獣特集」を見ている気分に近い。珍獣を叱っても、しょせん珍獣だ。

一国の首相や家族の周りに珍獣が群がっているという構図はムズムズするし、嫌な感じはあるけれど、国会がずっと珍獣に振り回されているのも結構妙な感じがする。

あと、もう一つあるのが「所詮学校なんてそんなものだろ」という気分じゃないだろうか。教育勅語は確かにどうかとおもうけど、僕の小学校の頃は、先生の言ってることは相当偏っていた。まあ時代的には基本左なので「聞け万国の労働者」とか「インターナショナル」を歌わせていた先生もいた。

ただ、それに感化されるかというと子どもはそのあたりを見切っていたのだろう。そういう教育者が多かったとは言え、左派勢力は多数派にならなかった。

たぶん、「あの先生、また始まったよ」くらいの感じだったのだろう。

ただ、今にして思うと僕が小6の時に担任はすごかった。右とか左とかではなく、とある新興宗教の熱心な信者だったのだ。しかも、その宗教団体というのはいまや国政の一翼を担うあの政党の母体である、あの会だ。 >> 教育勅語どころか、僕が小6の時に唱和してたのはあの人の詩だよ。の続きを読む