岩波書店の新卒採用が話題だ。「岩波書店著者の紹介状あるいは岩波書店社員の紹介があること」とHPにはある。。まあ事実上の縁故採用とも言えるが、せっかくオープンに方針を出されたのだから、僕が適切な「志望動機」の模範例を考えた。学生の皆さんはぜひ参考にしていただきたい。
=================================================================
私は、今回の御社の採用方針を見て、かねてからの御社の主張に合致すると思い、その一貫性に深く共感して、第一志望とするものであります。
まず、第一に御社は2008年秋以降の「派遣切り」などに対して強い批判をおこなってきました、それは、大企業と人材会社の構築したシステムにより人権がないがしろにされたことが原因だったと考えます。
それに対して、今回の採用方針は人と人のネットワークをベースとしたものであり、新たな人間関係と社会基盤の確立に寄与するものだと思います。
また、御社は震災後の原子力発電の安全性に強く警鐘を鳴らしてきました。地球という星の存続が危ぶまれる時に、あえて「限られた人々」だけを選ぶ姿勢は、旧約聖書の「ノアの方舟」を連想させます。
そこには、御社が常に社会をリードしてきた姿勢が反映されており、理想の日本を再構築する意気込みを感じることができました。
さらに、御社は一貫して「護憲」の立場を貫き、ことに憲法第九条を支持してきました。今回のようなきわめて特異な選考方法は、無用な競争を抑制するとともに、過剰な就職活動への準備を不要とさせる可能性を秘めています。
これは、「戦争の放棄」「戦力の不保持」を具現化するものであり、憲法の精神を実践しているのではないでしょうか。
以上のような理由から、私は岩波書店の一人として、お役に立ちたいと考えております。(575字)
=================================================================
志望される方は、ぜひ参考にしていただきたい。
■お知らせ:1/31の日経朝刊で新刊「世代論のワナ」が就活に関連して紹介されました。詳細はこちらのエントリーで。
| この記事をつぶやく |
どこからともなく、回ってきたエントリーシートのコピー。何せ「伝説」らしいので、僕にもよくわからないのだが。
=====================================================================
私は、自分自身を常に成長させることのできる人間です。私が学生時代に最も力を入れてきたのはホストクラブのアルバイトです。その経験から成長できた点は多くありますが、それは次の3つにまとめられます。
まず1つ目は、「ニーズを知る力」です。ホストクラブには実にいろいろなお客様が来ます。そうしたお客様などの声に丁寧に耳を傾けることで、的確なサービスをおこない、高価なオーダーを得ることで、店の売上に貢献しました。半年経った頃には店で「No.1」のポジションを得ることができ、「傾聴」の大切さを知りました。
2つ目は「まとめていく力」です。営業時間について所轄警察からご指導を頂いたことで、仲間たちのモチベーションが下がり、バラバラになりかけたことがあります。そんな時も私は笑顔を忘れず、声を掛け合う一方で、粘り強く署の方々のご理解を得るようにしました。その過程で地域の有力者の方々とも知り合い、またとないネットワークを作ることもできました。
3つ目は「やり遂げる力」です。ホストの仕事は店内だけに留まりません。時にはお客様のニーズにお応えするために全身全霊を尽くして奉仕することも望まれます。私は、つらい時でもあきらめずにお客様に悦んで頂くように工夫を続けました。そうした時に、丈夫な体を授けてくれた両親に改めて感謝しました。
ホストは戦略のビジネスです。常に先を読んで行動し、仲間と協調して、顧客に尽くすことが求められます。そして、私の経験は広告会社の営業としてきっと御社に貢献できると信じています。(643字)
=====================================================================
■お知らせ:1/30の日経朝刊で新刊「世代論のワナ」が紹介されました。詳細はこちらのエントリーで。
| この記事をつぶやく |
以前、就活を巡るエントリーで慶大生のことを「ゴキブリ」に喩える話を紹介した。ワラワラと人気企業に群がってきて、しかも落そうにも結構しつこい。これは、僕の学生時代から言われていた。
その一方で、慶応の学生は就活戦線で一定の強さを持っていることも事実だ。それは「根拠ない自信」によるものだと思っている。
「根拠のない自信」は、悪いことのように言われる。たしかにそういう人とはあまり付き合いたくない。しかし、それが必要な時もあって、その代表が就活の時期なのだ。
「根拠のない自信」は、「仮免」のようなものだ。若いうちから、「真の自信」を持つことは難しい。だって、経験が浅いのだから。だから、仮免によってとりあえずの自信を持つことは、実は大事なことなんだと思う。
問題は、その仮免のままで人生を乗り切ろうとして、たまたま40代まで来てしまったような人であって、これはたしかに困る。でも、「根拠のない自信」を手にいれらないまま、潜在能力を活かせない学生も多い。これは、もったいない。
よく理由はわからないのだけれど、慶応で学生生活を送っているともれなく、とは言わないがかなりの確率で「根拠のない自信」を得ることができるようだ。自分もそういう感覚を持っていた。その理由はわからない。また、その奇妙な自信は外部から見ると妙だとも思う。
ただひとつ、大切なことはまさに「根拠がない」ということではなかろうか。
偏差値の高さとか、そういう根拠はかえって脆いと思うのだ。
| この記事をつぶやく |

「人気企業ランキング」も発表されて、就職戦線も本格化してきた感じだ。
で、相変わらず企業が選考で重視する要素は「コミュニケーション能力」で、これは経団連のアンケートから来ているんだけど8年連続で1位なのである。
でも、どうしてそんなにコミュニケーション能力を求めるのだろうか。これは、新刊「世代論のワナ」でも論じたのだけれど、結構単純な理由だと思っている。
それは「今の会社員のコミュニケーション能力が低いから」というのが一番の原因なのだ。もちろん、事業ドメインの組み換え、「村」的職場の減少、グローバル化などもあるけれど、結局は「現時点での社員のコミュニケーション能力が低い」ことが問題になって、それで学生に求めているのだと思う。
少なくても「今の学生はコミュニケーション能力が低いから」という理由ではない。
それは、企業のいろいろな年代の人と付き合えばすぐに分かる。
だって、もっともコミュニケーション能力がに問題があるのは、まず経営陣なんじゃないか。アンケートを公表している経団連は、自分たちのトップのコミュニケーション能力をどう思っているのだろうか。
ていうか、何か彼らからの発信で心を動かされたことあります?
ちなみに前会長はこのたび、自社の社長に収まったわけだけど、「コミュニケーション能力」のある人々が周囲にいたんだろうか、とか思うわけですよ。
「じゃ、オレがもう一回やるから」
「......」
まあ、そんなわけでしょきっと。
昨年後半に話題になった、不祥事の老舗企業の経営陣はどんなコミュニケーション能力を持っていたのやら。。
一方で、研修などでプレゼンテーションのことが課題になることは多いけど、若い人よりも問題はマネージャークラスじゃないかと。彼らのコメントが「訓話」の域を出なかったり、どこかの記事のコピペだったりするのを見るとトホホ感が漂う。
そして、そういう社員が多いほど、学生にコミュニケーション能力を期待していて、それが空回りしていたりする。「いい学生が採れない」と言って、選考方法を変にいじってみたり。それで「学生の質が落ちた」とか。
違うのだ。いい学生はそういう困った会社に行かなくなっているのですよ。
というわけで就活中の学生は無理にコミュニケーション能力を上げようなんて思わないでいい。とりあえずアドバイスするとすれば「友達と徹底的にマジメな会話」をし続けること。それを続けられれば、大人との面接でも普通に話せるはずだ。
それが「コミュニケーション能力」なのである。
■このあたりのテーマも含めて一昨日の日経朝刊で新刊「世代論のワナ」が紹介されました。
| この記事をつぶやく |

橋下徹氏の現在の最大の功績は「文化人の能力」を明らかにしていることだと思う。テレビでの論争もそうなんだけど、その後にこういうダメな文章を残してしまうことで、ますます文化人の底を明らかにしていく。
これはある種の「ろ過プロセス」のようなものだ。ただ、そうやってダメな文化人がとかされた後に、澄んだスープになるのか、実はただの水でした、ということになるのかはわからないんだけど。
「反橋下」という人々が出てくるのは、それはそれで必然だと思うんだけど、じゃあなぜダメなのか。それは、正面から「意見」を言っていないからだと思う。
大雑把にいって「政策がよくない」のか「方法がよくないのか」という二つの切り口があると思うんだけれど、正面から政策の問題に切り込んでいないように見えるのだ。「都構想」や教育委員会の問題だってあるのに、すぐに「方法論」に逃げている。
そして「独裁的」だとかいう言葉になる。そうなのだ。選挙で勝ったということは民主的手続きで政策が支持されたのだから、どうしても文句が言いにくい。そこで手法にケチをつけるしかないのだろう。
しかし、それは実は多くの人々(有権者)の感情を逆なでしていることに気づいていない。そもそも日本人は「自分たちの多数意志」が政治に反映されないことにイラついてきた。かつての中選挙区制では政権が選べず、とりあえず政権を選んでも参院の半端な制度のせいで、前に進まない。
そのフラストレーションが、もっともわかりやすい首長選に向かっている。
つまり「自分たちで選んだ」という人が多数派なのに、「独裁的」「少数派切り捨て」という、「戦後民主主義文学」による批判は多くの人に嫌悪されるだけではないか。
民主主義は、多数が独裁するシステムだ。しかし、それを変えることもまた可能であり、それは有権者の仕事だ。半端な文化人への反発は、彼らがその大事な仕事にケチをつけて「自分たちの意見を聞け」と言っていることにある。だが彼らはそれに気が付かない。
何だか霞ヶ関より前に「文化人村」が解体されていくような気がしている。
■お知らせ:昨日の日経朝刊で新刊「世代論のわな」が紹介されました。詳細はこちらのエントリーで。
| この記事をつぶやく |