少し前に、「ミーティングの際にパソコンでメモを取るのはNGか?」のような記事をネットで見た。これって、定期的に湧いて来る話で、僕は紙とパソコンを使い分けている。

どっちがいいというわけではない。

何かのファイルにメモしたい時や、そのまま、形にしたい時はパソコンを使う。

考えをまとめながら、構想を作りたい時は紙にする。

ただ、「パソコンは失礼」という人もいるようで、こうなると、もうよくわからない。そんなこと言ったら、メモだって失礼なんじゃないか。

さて、その一方で大学の講義ではパソコンを使うことは、推奨しない。というか「できれば、やめておけ」と言っている。

ただし「禁止」とは言わない。そういうルールを作ると「自分で考える」という大切なプロセスを学生から奪うと思っているからだ。教室の中で権威的に振る舞うことは簡単だが、思考を促すためには少し工夫がいる。

では、なぜ講義の際は手書きノートがいいのか?そう考える人は多いようで、これについては、米国などでも研究があってこちらの記事などに書かれている。「学習効率を下げる」という研究結果が次々に出ていたり、他の学生に悪影響があるというからだ。 >> 「講義でパソコン”禁止”」とは言わないけれど。の続きを読む



もう20年ほど前であるが、とある経営者から「お題」を授かった。

それは、組織に関するもので、彼の独自の発想を具現化できないかというものだった。

こんな感じの話だ。

「組織っていうのは、いま野球型からサッカー型になろうとしている。いちいちプレイごとにサインを出すのではなくて、いったんゲームが始まれば選手が主体的に動く。つまりマネージャーは戦略に徹すればいい」

まあ、ここまではわかるが次が難しかった。

「でも、究極の組織はテニスのダブルスみたいなもんじゃないか。高度なプロ同士のチームならマネージャーは不要になる」

まあ、ジャムセッションや室内楽もそんな感じだろう。ただ、これを実際の組織に落とし込むのは相当難しい。というわけで、いろいろシミュレーションしたものの実現するには相当根っこから会社を変える必要があった。

まだ、僕は30代の会社員だったけれど、この頃からピラミッド組織へのアンチテーゼのようなものは増えてきた。海外からもそうした話は入って来て、指揮者のいないオーケストラとかがもてはやされた。

なんでこんな話を思い出したかというと『ティール組織』という本が話題になっていたからだ。この本の世評は高いようだけど、僕の周辺ではちょっと反応が違う。「既視感があるよな」という感じで、人によっては相当にけなしている。

これは、所属組織や年齢の問題ではない。実際に現場の組織改革に取り組んだ経験のある人は、この本について覚めている。

たしかにフレームには説得力がある。組織の進化をカラーチャートのようにして、鴨の羽色に喩えるあたりのテクニックはさすがだ。同じ素材も、ソースと調味料で最新のレシピになるということだろう。 >> 意識高い大人のお子様ランチ?『ティール組織』【書評】の続きを読む



先の連休はどこへ行っても、「バレンタインモード」だったけれど、戦線の拡大はコンビニにまで及んでいる。

近所の店は広いこともあり、一番目立つところにゴディバが君臨していている。メリーやらモロゾフらを下に従えて、まさに王様。

しかし、ここはコンビニである。なんというか、「日本に来た某国の大統領が区議会で気炎をあげてる」ような感じがしないわけでもない。

そして、ゴディバは例の「義理チョコやめよう」というありがたい教えを、日本人に広めようとしている。
ここにあるゴディバは6粒1,000円だ。これが「義理」として贈る人がいるかどうかはわからない。1粒ずつにして配ってもいいのだから、そうなれば十分「義理」の範疇だろう。

でも、「ゴディバ結構大変なのかな」とも思ったりする。というのも、ゴディバの店舗は日本中に溢れている。贈答などでは一定のありがたみがあって、「間違いないブランド」だ。でも「考えて選びました」というブランドではないと思う。 >> ゴディバ、義理チョコ売ってるってよ。の続きを読む



昨日、会社を辞めるか迷っていた頃の思い出を書いた。

結局僕は辞めたけれど、それは「深い谷を飛び越える」ような感覚だった。マリオだったらやり直しはできるけれど現実は違うわけで、だからこそ踏み切れない人は多い。

ことに大企業に長く勤めるほど、谷を越えることは難しいだろう。

ただし、これからは多くの人がこの問題に直面すると思う。最近のメガバンクの方針が象徴的だけれど、「業績に関係なく人員削減」という流れが生まれてくるように思うのだ。

「人手不足だから売り手市場」という考えは甘いかもしれない。「今後も人手不足が続くなら、人手のかからないモデルにしよう」と考えるのが企業経営のロジックだ。

そこにAIなどの技術革新が加わって来る。

だから、大手企業に勤めている人ほど「いつか飛び出す」ためのシミュレーションをしておいた方がいいだろう。

では、出る人と出られない人にはどんな違いがあるのか?これは能力だけの問題だとは思わない。

で、敢えて言えば「どんな記憶に頼っているか」という違いじゃないかと思う。

僕自身を振り返ると、「想定外のことがあっても、どうにかなるだろう」と思ったから辞めた。それは、過去の人生で「どうにかなった」記憶の方が強いからだ。

ところが、多くの人は「頑張ったから、うまくいった」という記憶を頼りにしているようで、こういう人は会社を辞めにくいんじゃないか。

「どうにかなった記憶」の人だって、多分努力をしている。僕もそんな気がするが、人に説明しようとすると思い出せない。ただ、「運が良かった」話は思い出す。

「頑張った記憶」の人は、典型的には受験やらスポーツの記憶を頼りにする。仕事を始めても、同じような記憶を重ねていくようだ。そして「頑張って褒められた」という記憶もあるようだが、僕はそういう記憶がない。

でも、これからの社会は、というか既に今の社会は「どうにかなる」くらいで動いていかないと、うまくいかないんじゃないか。そして、日本は「頑張った記憶」に頼り過ぎていることが、いろんな問題の根っこにあるようにも思う。 >> 「大企業を辞められない人」の理由って何だろ?の続きを読む



自宅近くの、とは言ってもちょっと離れていて普段あまり行かないエリアに文房具屋がある。

この間、久しぶりに通ったらまだ営業していて懐かしくなった。

というのも、いまから15年ほど前にここで一度だけ買い物をしたことがある。履歴書を買ったのだ。

ちょうど40歳を前にする頃で、会社を辞める決断をしていた時だった。「辞める」と決めて、家族や親しい人に伝えたのはいいが、「この仕事までは」と頼まれたりして実際に辞めるまでには2年かかった。

そして、自分自身もまだ揺らいでいた。

何といっても、辞めた後の具体的な仕事の予定が全くなかったのである。

会社を辞めて仕事を始める場合、それまでの会社との取引を継続する人もいる。広告代理店のクリエイターの場合は、こういうケースも多い。クライアントの信頼があれば、所属に関係なく注文は来るのだ。

ただし僕は本社部門にいたし、そもそも広告ビジネス以外の仕事をしたかったので、それを当てにはできない。

そこで、いろいろ調べてみると「パートナー」のような形の社員を求めている会社があることがわかった。いまだと、「多様な働き方」として増えてきたけれど、当時は珍しかったのではないだろうか。

ちょうど自分のスキルが活かせそうな会社なので、応募してみるのもいいかと思った。

そして、ある日会社を休んで履歴書を買いに行った。 >> 会社を休んで、履歴書を買いに行った日。の続きを読む