「オレの愛したソニー」という連載記事が話題になった。

ソニーという企業は不思議なもので、社員でもないのにやたらとソニーに詳しいという人がいる。いわゆる「ソニー本」のマニアという感じだが、そうでなくても日本人の関心を惹く企業であることは間違いない。

個性豊かなOBたちのインタビューは、お話としても面白いし、経営を考える上で学ぶことも多い。歯に衣着せぬという表現通りで、存命の経営陣もバッサリだ。それにしても、現役社員の気持ちはどうなんだろう。

で、僕がずっと引っかかっていたのはタイトルだ。これは、編集部がつけたものなので、ソニー自体とは関係ないのだけれど、このフレーズにピタリとくる企業名はそうそうないのではないだろうか。

まず、「愛した」という時点で擬人化されている。つまり、ブランド・アイデンティティが強烈じゃないと成立しない。

そして、何といっても一人称が「オレ」だ。つまり、男性である。ここでは対象が「女性的」なパーソナリティでないと、成立しない。

「オレが愛したクレーム・ブリュレ」ならまあいいけど、「オレが愛した納豆蕎麦」では、成り立ってくれない。「カレー南蛮」も厳しくて、「一枚のせいろ」ならどうにかなるのか。

いや、そういう話ではない。 >> ソニーという女神を巡る、男たちの愛憎。の続きを読む



41Vw-Q7c1wL気がついたら、夏至も過ぎている。

日本では、夏至だからといって何があるわけでもない。おおかた梅雨のことも多いので、その陽の長さを満喫しきれないことも多いだろう。

冬至はクリスマスも近く、それは意図的なものとも言われているし、日本でも柚子湯とかの習わしがある。

欧州だと、夏至はそれなりの節目のようだ。「真夏の夜の夢」は、シェイクスピアの脚本やメンデルスゾーンの音楽で有名だが、この「真夏」という訳語はもちろん議論の対象になった。

もっとややこしいことに、内容自体は五月祭を舞台にしているので話はちょっとこじれる。ただし、欧州ことに北部では夏を迎えた大騒ぎというイベントは伝統的なのだろう。短いが、ずっと明るい白夜の季節でもある。浮かれたくなるのも、よくわかる。

もっとも、今年の欧州のように「夢であってほしい」と思う年もあるのだろうけど。

スウェーデンの作曲家、アルベーンに「夏至の徹夜祭」(夏の徹夜祭り)という曲がある。スウェーデン狂詩曲の第1番なのだが、この作曲家はこの曲しかしらない。

というか、デュトワ=モントリオールの「ラプソディ!!!」というアルバムを聴いて、初めて知ったのだ。 >> 夏の夕暮れに最高の一枚。デュトワとモントリオールの「ラプソディ!」の続きを読む



いやぁ、英国がやってくれた。僕は世論調査よりもブックメーカーの予想を信用していたので、そういう意味でも驚いた。

SNSなどで見ているけれど、周囲の人間はこの結果をマイナスに受け止めているし、市場の動きがすべてを物語っている。「つながる世界」の一端が綻んだのだから、日付変更線に近い東京がもろに嵐をかぶることになった。

僕なんかよりももっとたくさんの外国人と仕事しているような人は「周りには誰一人離脱派はいない」と言っていた。どこかで聞いたな、と思ったけれど「離脱派」を「トランプ支持派」と読み替えれば思い当たる。

つまり、いま現役世代でビジネスの前線にいる人と、それ以外の人には大きな溝ができているのだろう。これは、世界中、というか先進国中心に起きている現象だと思う。

英国でも50代以上で離脱派が優勢だったようだが、つまり「自分は世界とつながってない」と思ってる人なんだと思う。

国境を超えた「グローバル」な社会への嫌悪や懐疑が、想像以上に広がっているということか。

本音を言うと、僕だってそれほど「グローバルなつながり」に振り回されたくはない。自分の幸せは、半径10メートルで実現できればいいんじゃないか?と思う。 >> 高齢層が推した「EU離脱」で、ドリアン・グレイを思い出す。の続きを読む



cpl73a000000rnd7宝塚雪組公演 ミュージカル「ドン・ジュアン」

2016年6月22日 13:00 神奈川芸術劇場

«DON JUAN» un Spectacle Musical de FELIX GRAY/International Licensing & Booking of «Don Juan» NDP Project/潤色・演出:生田 大和

 

色男とかプレイボーイという言葉が死後になる中で、象徴的な固有名詞といえば「ドン・ファン」だろう。17世紀スペインの伝説上の男だが、モーツアルトのオペラでは「ドン・ジョヴァンニ」、つまりイタリア語になる。

この「ドン/Don」はスペイン語系の尊称なのだが、そこはそのままにして、「ドン・ジュアン」となるんだけれど、このプロダクションはフランスからのもの。

考えてみると、英語なら「ミスター・ジョン」になるが、そもそもMr.はファーストネームにはつかない、とかいう話を置いておいても、これは相当締まらない。田舎のお父さんのようだが、調べてみると三重の方にそういうホームセンターがあるようだ。

で、「ドンファン」の話はいろいろとアレンジされているが、すごく短く言うと、ドンファンがある娘にちょっかい出したことで、怒った親父の騎士団長に決闘を申し込まれるが返り討ち。その後もチンタラ遊んでいたが、やがてこの親父に呪い殺されるというような話だ。 >> ドン・ファンでも、ドン・ジョヴァンニでもない「ドン・ジュアン」@宝塚雪組の続きを読む



フジロック・フェスティバルが、ザワザワしている。

今年、政治団体の代表が出る、ということでネット上では疑問や不満が出てきた。その反論が出て、まあ収拾がつくわけでもない。みんな、いろいろ勝手に言っていて、それ自体がフェスなんじゃないかと。

僕は、最初に違和感を感じた人の気持ちがわかる。それは、「音楽と政治的メッセージ」云々という話ではない。毎年楽しみにしている、フェスの場に余計な風を吹かせないで欲しいんじゃないかと。だって、音楽ファンが期待してなかった人が出てくるんでしょ。

そのうちに、いろんな記事を見るようになったけど、可笑しかったのは「音楽はそもそも反体制」という説教記事だった。

ジャズもロックも、あるいは能もコミックもすべてのアートはそもそも反体制という有難いご託宣だ。もちろん、歴史的にはそうだろう。「若い人は知らないかもしれないけど」というお話だ。

ただし、それは「そもそも」の話だ。あらゆる音楽は聴衆と関係を結んでいく過程で、段々と変化する。当初は反体制・反権威かもしれないが、当然のように変わる。 >> 「音楽は反体制」という説教の息苦しさ。の続きを読む