カテゴリ[ 雑記 ]
(2011年11月29日)

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高校の同期会があった。都立富士高校を1982年に卒業した者たちが、30年ぶりに再会した。この間、全学年の会はなかったので初めてのことだ。
仲のいい連中とはよく会っていたのだが30年ぶりの者も多い。160人を超える、つまり4割以上の出席というのはかなり高率だったと思う。愛着がある学校なのだ。
僕のいた3年のクラスは、なぜか本を出している者が集まっている。こちらのブログに書いている内藤忍君や、当日は不参加だった作家の有吉玉青さんも同じクラスだった。
富士高校から大学、そして会社でも多くの出会いに恵まれたが、高校というのはいわば「本籍地」のようなものである。同じように感じていた者も多かったのだろう。自分自身の根っこを形成しているのが、富士高校時代の経験にある。
もっとも、15歳から18歳までを過ごすのだから、高校というのはそういう要素を持っていることはたしかだ。陳腐な表現だが「多感な青春時代」だから、当然と言えば当然だ。ただし、当時の富士高校には独特の不思議な熱気があったように思う。
それはいまにして思うと「学校群制度」という妙なシステムが影響していたように思うのだ。
学校群というのは当時の都立高校の入試制度で複数の学校を「群」にして、合格者はどの学校に行くのかわからないという方式である。これは、学校間格差の解消を狙ったものだったらしい。
富士高校は西高校と二校で「32群」であった。西高校は元男子校の府立十中で、富士高校は旧第五高女だ。募集人員も西は男女比が3:2くらいだったと思うが、富士は50:50。中三の受験時に男子の多くは「できれば西」という心情だったように思う。

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(2011年11月4日)

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去る9月30日に、父が他界した。今年は、年初から父の健康状態がいろいろと思わしくなく、僕は初めての経験に直面していた。死去の前後も含めて、仕事への影響を最低限に抑えられたのは、今にして思うとわずかな救いだった。
一ヵ月が過ぎて、この間も単行本の入稿やクライアント・ワーク、大学の講義などは普通に流れていた。合間を縫って、色々な手続きをおこなって、一段落したところだ。
父は、典型的な「戦後日本の男」だった。会社員だったが、家のことは母に任せきり。夜は遅く、週末は寝坊するので、子どもの頃「父と二人」という記憶がほとんどない。後になって思うと、それほどのワーカーホリックでもなかったのだろうが、高度成長期は普通に働いても会社漬けになってしまうものなのだ。また、同居していた祖父があちこちに連れて行ってくれて、典型的な「お祖父ちゃん子」だったことも影響しているだろう。
僕が小学校に入る前後だったかと思うが、新聞のチラシに「塗り絵」があった。当時日立の「キドカラー」というカラーテレビのキャラクターで、オウムの「ポンパ」君というのがいたのだが、その塗り絵である。
僕はその塗り絵をこしらえた。そして、電器屋まで行くと何かもらえるようなのだが、その店が当時の年齢ではかなり遠かった。今にして思うと歩いて20分弱程度の所なのだが、子どもにはかなり未知の世界だったのだ。
そして、どういう経緯かは忘れてしまったが父が一緒についてきてくれた。店で何をもらったのか、覚えていない。ただし、父と二人だけで歩いたことはよく覚えている。
そして、その後はそういう記憶もないが、それを不満に思うこともなかった。
ただ、二人で歩いたことは嬉しかったのだろう。未だに「ポンパ君」のことはよく覚えている。

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(2011年1月3日)

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あけまして おめでとう ございます。

特に抱負などを掲げるほどじゃないけれども、昨年後半に書いた本などの「自分自身に対する影響」というのも結構ある。つまり、人が生きていく上での”情報”というものって、何なのだろう?という問いである。

今年は”情報”、とりわけメディア上からの情報について向き合い直ってみようと思っている。

社会人の最初のキャリアが広告制作であり、情報とコミュニケーションには何らかの「価値」を見出ししていたつもりである。ただ、会社を離れてみると、また情報の価値も相対的なものに見えてくる。

今年はテレビの地デジ化、というかBSを含めた多チャンネル化が一気に進み、一方でスマートフォンやタブレット端末も普及するだろう。相変わらず、大して興味はないのだけれど、90年代後半以降のITを梃子にした情報化は一つの節目を迎えるようにも思う。

iPhoneなども結構年配の人が使っているのを見るけれど、思い出すのはパソコンを全社に導入したころのエピソードだ。ある会社で(というかあちこちであったのだけれど)役員を集めてにパソコンの使い方を教えた。

その時に多かったのだが「マウスを空中で動かす」と「モニターにタッチする」という行動だったという。前者はともかく、後者について言えばたしかにわかる気もする。すでにATMとかタッチパネルだったのだから、ついつい触りたくなるのが自然かもしれない。

そういう意味でいうと、ようやく携帯端末などが「普通の電気製品」になったともいえる。ただし、僕は全く異なることを考えている。

今年は「スクリーンへの接触時間」を減らす、というか自分自身をきちんと管理しようと思っている。スクリーンとは、テレビ、パソコン、携帯電話のまあいわゆる「トリプル」なんだけれど、うっかりすると、生活の多くがスクリーンに拘束される予感がしている。そうだ、DSもPSPも持っているから、トリプルじゃ済まないことになるし。

みんながスクリーンを見れば見るほど、スクリーンの外に、人が気づかない機会があると思っている。今までも人が見向きもしないようなキャリアを歩んできたので、少数派になることは十分に「気持ちいい」ことなのだ。

さて、時代に逆らって、たまには自分のクルマのターボをブイブイ回して出かけてみようか、とか、とりあえずはくだらないことしか考ええないのだけれど。まあ、紙の本もザクザク買ったし、まずはジックリと小説でも読もうかと思っている。

今年もよろしくお願いします。



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新刊のお話、その2。
昨週末、新潮新書から「電通とリクルート」が発売された。またネコに持たせてみた。少しは売り子らしくなってくれただろうか。
中身は、2社の戦後史を追いかけ直して私たちの消費生活の「今までとこれから」を考えてみる、というものである。2社のビジネスを分析したり、ましてや内幕を書いてみようという本ではない。
ある意味、メディアや広告業界の外で生活してきた人が「ああ、情報ってこうやって影響を与えていたのか」ということを考えてみてもらえれば、という気持ちで書いた。一方で、「広告ビジネスはこれからどうなるのか」ということについて書いたわけでもない。業界の話ではなく、とある国の人々の30年程の航跡をたどった本だからである。
いわゆる「広告」というものを「発散志向」と「収束志向」という観点で整理をして、それが社会の中でどのような役割を果たして。今後どうなるのだろうか?という視点で考えた。あまり詳しくここで書いても仕方がないのだけれど章タイトルは
「元栓のうまみ、毛細管の凄み」「情報誌を欲したのは誰か」「『感動をありがとう』の正体」といった感じで、とりあえずamazonのリンクはこちら
なお、この本にはささやかな仕掛けがあって、それは最後の5行でわかるようになっている。できれば後ろから開かないでいただきたい。



(2010年9月2日)

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気がついたら、昨日で独立して丸6年だった。
今年は相変わらずひどい暑さが続いているけれど、「出かけなければならない日」は幸いにして4日くらいしかなかった。執筆する仕事がちょうど多かったので、そういうスケジュールになった。
おかげで猛暑の大変さを、なかば他人事のようにして過ごしていた。6時過ぎに散歩に出て、公園のラジオ体操に行ったら、夕方近くのバーに飲みに行くまで家で原稿を書いたり、調べ物をしたり、合間にゲームをやっていた。
こうした日々が続くとしみじみ思うのだけれど、独立して一人で仕事をできるかどうかは、能力以上に、気質の問題が大きいと思う。朝起きて、何をするかを全部自分で決めるという「自由」が苦痛になってしまうような人は、この仕事には向いていない。
昼飯だって、自分で作ってもいいし、食べに行ってもいいし、うっかりビール飲んで昼寝してもいいんだけど、昼休みのチャイムと社員食堂のほうが実はラクだという人も多いだろう。
仕事にいたっては、品質管理がまったく自分の基準だけである。うっかりすると、坂道を下るようなことになっていく。
そもそも仕事を受けるかどうかも自分で決めるわけだ。
最近ふと考えるのは「いつまで仕事するのか」ということだ。しかし、すぐに恐ろしいことに気づいたのだが「仕事ができるのか」という条件をクリアしないと、そんなことを考えてはならない、ということである。
そういう「考えてはいけない」ことをたまに考えてしまうというのはフリーランスの共通の体験なのだろうけれど、そのことをお互いに口には出さないのも、またフリーランスの面白いところではある。
そういうわけで、6年間。それにしても小学校の6年って本当に長かったんだな、とまったく見当はずれな感想くらいしか思うこともない。無事7年を迎えられたらうれしいな、というくらいが抱負ではある。