2011年01月アーカイブ

先週の木曜日(20日)にアップロードしたこちらのリポート「広告会社に見る『イノベーションのジレンマ』」が、想像以上に多くの方の目にとまったようだった。
一口にイノベーションと言っても、ビジネス領域によってその連想は異なるだろう。出典になった本が、イノベーションを計測しやすいハイテク業界のことを書いていたので、そことの「距離感」を感じる人が、自分の業界への適用を嫌がるのも、まあわかる。
ただ、あの本には、業界や時代を超えて「普遍的だな」と思う点がある。それは、「組織の能力は無能力の決定的要因になる」ということだ。
組織を「個人」に置き換えても構わない。ビジネスパーソンだけではない。研究者でもアーチストでもアスリートでも、こうした壁にあたったケースは多いのではないだろうか。
いずれにせよ、得るところの多い再読だった。



(2011年1月13日)

カテゴリ:マーケティング
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伊達直人が、いきなり注目である。日本を代表するはずの「直人」があまり評判がよろしくない中で、まあ「直人一族」としては悪い話ではない。
もっとも、単純に「善意が素晴らしい」という賛美する空気ばかりでもないだろう。何となくピント外れの類似行動もあるようだし、そもそも現金の寄付の方がいいのではないか?とかいろいろ議論はある。(現金寄付も出てきたようだが)
ただ、地震被災地に「使えない衣類」を送りつけるような、勘違いの善意に展開してしまわないことを願いたい、と思いつつ、僕がこのニュースで感じたことは全く異なる。
「伊達直人という名前で、寄贈する」これって、ある種の消費欲求なんだろうな、ということだ。そして、人は「動機づけ」があれば行動するということである。
善意を消費行動で片付けるな、と言われるかもしれないけれど、じゃあ「伊達直人」という送り主の名前をつけるだけで、どうしていきなり「善行」が広がるんだろうか?

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(2011年1月3日)

カテゴリ:雑記
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あけまして おめでとう ございます。

特に抱負などを掲げるほどじゃないけれども、昨年後半に書いた本などの「自分自身に対する影響」というのも結構ある。つまり、人が生きていく上での”情報”というものって、何なのだろう?という問いである。

今年は”情報”、とりわけメディア上からの情報について向き合い直ってみようと思っている。

社会人の最初のキャリアが広告制作であり、情報とコミュニケーションには何らかの「価値」を見出ししていたつもりである。ただ、会社を離れてみると、また情報の価値も相対的なものに見えてくる。

今年はテレビの地デジ化、というかBSを含めた多チャンネル化が一気に進み、一方でスマートフォンやタブレット端末も普及するだろう。相変わらず、大して興味はないのだけれど、90年代後半以降のITを梃子にした情報化は一つの節目を迎えるようにも思う。

iPhoneなども結構年配の人が使っているのを見るけれど、思い出すのはパソコンを全社に導入したころのエピソードだ。ある会社で(というかあちこちであったのだけれど)役員を集めてにパソコンの使い方を教えた。

その時に多かったのだが「マウスを空中で動かす」と「モニターにタッチする」という行動だったという。前者はともかく、後者について言えばたしかにわかる気もする。すでにATMとかタッチパネルだったのだから、ついつい触りたくなるのが自然かもしれない。

そういう意味でいうと、ようやく携帯端末などが「普通の電気製品」になったともいえる。ただし、僕は全く異なることを考えている。

今年は「スクリーンへの接触時間」を減らす、というか自分自身をきちんと管理しようと思っている。スクリーンとは、テレビ、パソコン、携帯電話のまあいわゆる「トリプル」なんだけれど、うっかりすると、生活の多くがスクリーンに拘束される予感がしている。そうだ、DSもPSPも持っているから、トリプルじゃ済まないことになるし。

みんながスクリーンを見れば見るほど、スクリーンの外に、人が気づかない機会があると思っている。今までも人が見向きもしないようなキャリアを歩んできたので、少数派になることは十分に「気持ちいい」ことなのだ。

さて、時代に逆らって、たまには自分のクルマのターボをブイブイ回して出かけてみようか、とか、とりあえずはくだらないことしか考ええないのだけれど。まあ、紙の本もザクザク買ったし、まずはジックリと小説でも読もうかと思っている。

今年もよろしくお願いします。