2016年01月アーカイブ

それほど難しいことを書くつもりではないんだけれど、昨年のラグビーワールドカップで考えたのは「日本人」という意識もだんだん変わるんだろうな、ということだった。ラグビーの場合は、長いこと見てなかった人がいきなり南アフリカ戦が盛り上がったので、覗いたら「エ~そんなに外国人多いの?」となった感じだ。ずっと見ていれば別に驚くことではない。

どの国もそういうルールなのだ。

でも、「なんかモヤモヤする」という人も多かったとは思う。ただし、自分の周囲では少なかった。それは「日本人か外国人か」というような発想で考えている場合ではない、というくらい仕事の環境が変化しているからだと思う。で、そういう環境に身を置いている人にとっては、どこの国の人間かというより「どういうチームで働いて目的を達成するか」が遥かに重要だからだ。

逆に考えると「まわりが日本人だらけ」の環境の人にとって、外国人はいつまでたっても“ガイジン”なのだろうし、そういう人にとってモヤモヤ感はずっと続くかもしれない。

僕はふと思ったんだけど、「カタカナ」というのは、結構その辺りの心理に作用するんじゃないだろうか。日本語では表音文字が2種類あって、カタカナは外来語表記に使われるようになった。そうなると、漢字圏以外の外国人の姓名はカタカナ表記なので「代表一覧」とか見れば、一目でわかってしまう。

ラグビー出場国の多くはアルファベット表記で、もちろん綴りによって民族の系譜などはわかるかもしれないが、日本のようにハッキリとは見えないだろう。

そして、スポーツ界では、日本人と外国出身者の間に生まれた、いわゆる「ハーフ」の選手が活躍する傾向が強まってる。 >> 【今年気になること】「日本人」って何だろう?の続きを読む



というわけで、今年に気になることをタラタラ書いていこうと思うんだけど、まずは東京の街について。

五輪決定以降、東南の「引き」が強くなっているけれど、豊洲への市場移転もありこの傾向はまだ続くのだろう。そこに訪日旅行客が加わって、銀座の賑わいは続くのだろうが、そこに新たな施設ができる。春に数寄屋橋の東急プラザがオープンするが、本命は11月に予定されている6丁目の松坂屋跡地の再開発だだろう。(そのご工事の遅れなどもあり2017年春に開業となるらしい)

百貨店ではない商業施設で、1Fにはバスターミナルも備えるが、個人的に注目してるのが松濤から移転してくる観世能楽堂だ。観世流は最大の流派だし、都内能楽堂では断トツの立地となる。外国人客は今でも多いので、今後はさらに注目されるだろう。

そこで、個人的に注目しているのが「字幕」である。記事などでは「検討中」のようだが、おそらく導入するだろう。

現在字幕設備があるのは、千駄ヶ谷の国立能楽堂のみだけれど、これは相当助かる。歌舞伎だったら最近はどうにかわかるが、能は厳しい。詞章(台詞や歌詞)を手元に置きながら観る人も結構いる。外国人向けにはもちろん、日本人にとっても能に近づく好機だと思う。

オペラも字幕が普及してから、ファン層を広げていった経緯がある。立地も含めて「能ブーム」がじわじわ広がるかもしれない。

あと、新宿のバスターミナルも地味なようでインパクトが大きいと思う。中央環状の開通で羽田や成田との時間が短縮されたが、駅周辺の乗り場は分散していて待合室も少なく「難民キャンプ」状態だった。

新幹線が延伸しても、個人客を中心にバス需要は根強いし、中央本線沿いのように在来線特急しかないエリアはバスの人気が高い。なにより、全国から人が集まるという「玄関口」としての価値も高まるしオフィスタワーもあるので、賑わいは増すだろう。 >> 【今年気になること】銀座の能楽、新宿のバス、渋谷の気がかり。の続きを読む



※このエントリーには「スターウォーズ・フォースの覚醒」に関するネタバレがあります。閲覧の際はご注意ください。

スターウォーズの最新作を見た。作品にはいろいろな意見があるだろうが、僕としては十分に楽しめた。しかし、気になるのは共和国軍の人材と組織である。今回は相手の杜撰さに助けられた面もあるが、このままでは、どうなるのか。

というわけで、年末年始の休みを利用して共和国軍への提案を考えてみたので、拙速な感もあるが、説明したいと思う。

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SW1まず、最大の問題は将来を嘱望されている若手の流出ではないでしょうか。アナキンのダークサイド転落という痛恨の事例があるにも関わらず、今回も同様の状況が混乱を拡大させています。

これは、コア人材ともいうべきメンバーのモチベーション・コントロールの問題でもあり、若年時からの業務付与から見直す必要があります。

また、「フォース」に代表されるスキルの属人化も問題かと思います。たしかにこの能力には生得的な面が強いものの、その保有者の発掘についての組織的対応が遅れています。そして、その能力を発達させるための体系もありません。

そのように考えると、現在の課題はこと人材面だけにとどまらず、組織ビジョンに関わるのではないかと思われます。果たして、今後の共和国軍はどうあるべきか?という方向性がリーダーによって明示されていないことが、若年層の離反の潜在的要因かと思われます。

そこで、本日はこのような現状を踏まえた上で、共和国軍の将来についてご提案申し上げます。 >> スターウォーズ「共和国軍へのご提案」の続きを読む



シカゴが来る。と言っても、シカゴのオーケストラだ。シカゴ響で、つまりCSOだ。クラシック音楽好きの中には思い入れのある人も多いだろう。

本だけではなくて、音楽についても今年は書いていこうかと思うわけで、正月3日目はそういうお話。

ベルリン、ウィーンと並んで「3大オケ」という惹句を考えた人もいた。「世界3大スープ」と同じで、これを言い出すのは大体3番目の関係者だ。別にシカゴ響が3番目かはともかく、欧州の名門オケと比して売り出そうとしたレコード会社の思惑もあっただろう。

というわけで、シカゴ響についての個人的な思い出を書いておきたい。

ショルティの演奏は1986年に上野で聴いた。ハフナーとマーラーの5番だったが、心底驚いた。トランペットのハーセスと、ホルンのクレヴェンジャー。終演後に立って挨拶する2人を見た時に、特に好きではないが「全盛期の王と長嶋」という連想をした。

あまりによかったので、翌週のバレンボイムのチケットをロビーで買った。残席があり、曲はワーグナーの「指環」からの抜粋などだった。

ところが、これが全く違うオーケストラだった。バレンボイムは金管を抑える。左手の掌を、管楽器に向けて弦楽器にうねうねとしたタクトを振る。シカゴ響という最高のエンジンにリミッターをかけていたような感じだ。

バレンボイムはベルリン国立歌劇場で「指環」を演奏した来日公演などが本当に良かったと思うが、どうもシンフォニーは辛気臭くなることがある。その後、2005年に「シルヴィ・ギエム 最後の“ボレロ”」という企画でCSOと来日したのだが、ボレロのトロンボーンがこけるは、「春の祭典」もグシャグシャで、まったく緊張感のない演奏だった。

この頃は、シカゴ響にとっても世代交代などで、過渡期だったんだろう。 >> 【音の話】柔らかな鋼、シカゴ交響楽団。の続きを読む



51HK4HEASJLマキアヴェッリ 著 佐々木毅(全訳注) 『君主論』 講談社学術文庫

今年は本や音楽について、いろいろと紹介したり書いていくことを増やそうと思う。そこで、正月2日はまず本から。

取り上げるのは「君主論」。マキャベリの作として有名だ。この訳だと「マキアヴェッリ」というなっているが、とりあえず本文はマキャベリでいく。初めて聞いたときは「野菜のような名前だ」と思ったが、多分「芽キャベツ」的なイメージがあったのだろう。どうでもいいけれど。

どうでもいいと言えば、こういう有名な本についてはきちんとした解説があちらこちらにあるので、このブログでは「どうでもいいこと」を含めて、ちょっと違った見方をしてみようと思う。

この本を読んで思うのは、「文化人として生きて行くのは、昔から大変だったんだろうな」ということである。マキャベリは共和制フィレンツェにおいて軍事や外交を担当する書記官だったが、政変によって失脚する。その後、メディチ家への接近を試みる過程で本書を書いたという。

いまの日本でも、何らかの理由で職を離れた元官僚が論者として活躍したり、失態をさらけ出しているが、マキャベリの立場も似たようなものだったのだろうか。そう思うと、この本に出てくる、“妙に大仰な言い回し”にも納得がいく。

彼は、自分を大きく見せる必要があったのではなだいろうか。当たり前のことを大袈裟に論じる。昔の文体もあるのだろうが、ついつい笑ってしまう。「君主論」で笑う、というのは聞いたことないだろうが、普通の感覚なら笑うと思うのだ。たとえば、

「ところである地域を支配してその獲得者の旧来の領土に併合する場合、この二つの領土は同じ地域に属し、しかも同一の言語を用いているか、あるいはそうでないかのいずれかである。(p.36)」 >> 【本の話】マキャベリ「君主論」に感じる知識人の哀愁。の続きを読む