【本の話】マキャベリ「君主論」に感じる知識人の哀愁。
(2016年1月2日)

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51HK4HEASJLマキアヴェッリ 著 佐々木毅(全訳注) 『君主論』 講談社学術文庫

今年は本や音楽について、いろいろと紹介したり書いていくことを増やそうと思う。そこで、正月2日はまず本から。

取り上げるのは「君主論」。マキャベリの作として有名だ。この訳だと「マキアヴェッリ」というなっているが、とりあえず本文はマキャベリでいく。初めて聞いたときは「野菜のような名前だ」と思ったが、多分「芽キャベツ」的なイメージがあったのだろう。どうでもいいけれど。

どうでもいいと言えば、こういう有名な本についてはきちんとした解説があちらこちらにあるので、このブログでは「どうでもいいこと」を含めて、ちょっと違った見方をしてみようと思う。

この本を読んで思うのは、「文化人として生きて行くのは、昔から大変だったんだろうな」ということである。マキャベリは共和制フィレンツェにおいて軍事や外交を担当する書記官だったが、政変によって失脚する。その後、メディチ家への接近を試みる過程で本書を書いたという。

いまの日本でも、何らかの理由で職を離れた元官僚が論者として活躍したり、失態をさらけ出しているが、マキャベリの立場も似たようなものだったのだろうか。そう思うと、この本に出てくる、“妙に大仰な言い回し”にも納得がいく。

彼は、自分を大きく見せる必要があったのではなだいろうか。当たり前のことを大袈裟に論じる。昔の文体もあるのだろうが、ついつい笑ってしまう。「君主論」で笑う、というのは聞いたことないだろうが、普通の感覚なら笑うと思うのだ。たとえば、

「ところである地域を支配してその獲得者の旧来の領土に併合する場合、この二つの領土は同じ地域に属し、しかも同一の言語を用いているか、あるいはそうでないかのいずれかである。(p.36)」

MECEといえばそうなんだけど、レトリックも相俟って中身と表現のギャップがすごい。

そして、この名調子はまだまだ続く。

「そこで私の見解によれば、君主が自らの領土を防衛するために用いる軍隊は自己の軍隊であるか、傭兵隊であるか、援軍であるか、あるいはこれらの混成軍である(p.105)」

誰の見解でもそうだと思うんだけどさ。まあ、僕の見解によれば朝食のジュースは、オレンジか、グループフルーツか、アップルか、あるいはこれらのミックスジュースであるわけだ。

しかしマキャベリはタフだ。次のページで、こう断言する。

「傭兵隊長はきわめて有能であるかあるいはそうではない」

いや、なんとコメントすればいいのだろうか。

もちろん、「君主論」には現在に至るまで読み継がれる理由はあると思うし、もちろん一読するべき古典だろう。でも、ところどころに「知識人の哀愁」が顔を出す。その悩ましさを想像しつつ、政治家と官僚の愛憎の普遍性をくみ取ることができる意味でも名著なのだと思う。