2016年03月アーカイブ
(2016年3月11日)

カテゴリ:見聞きした

812r7PxRGtL._SL1500_声楽というか広くヴォーカルというのは、苦手とまでは言わないけれど、「敢えて聞かない」音楽の方だった。だから、「好きな歌手」というのはカテゴリーを超えて特にいない。理由はよくわからないが、それだけ楽器による演奏が好きってことだろう。

まあ、何の説明にもなってないし、どうでもいいような話に聞こえてしまうだろうが。

ところが、ある時に楽器の音をまったく聞く気がしなくなった。というよりも、音楽を聞く気分になれない。

それが、5年前の震災からしばらくの間に起ったことだった。

オーケストラは何を聞いても耳障りに感じられて、かといってピアノや室内楽だと「国営放送がとりえあず無難な音楽を流してます」のようで、それもまたしっくり来ない。

そのうち、声楽の曲なら聞いてもいいような気分になって、手元のディスクを聴いてみると、スッと気持ちが柔らかくなったように感じられた。いきなり「レクイエム」などを聞く気にもならず、とはいえオペラもお門違いのような気がしたので、モーツアルトのミサ曲ハ短調を聞いてみた。カラヤンとベルリンフィルのディスクだ。

それからは、そうした声楽曲ばかり聞いていた。そのうち、いろいろな音楽を聞くように戻っていったが、声楽曲を聞く機会は増えた。

「人間の声は究極の楽器」という表現を聞くことがあるが、それは発想が捩れているような気もする。むしろ、すべての楽器は声のように歌えることを目指しているようにも感じる。

なぜ、あの頃に声の音楽だけを受け入れられたのかはわからない。そうした話を聞いたことはないので、もっぱら個人的な感覚だったのだろう。

今日の東京は朝から冷えているが、東北では雪になるところもあるようだ。5年が経ち、さまざまな人が、それぞれの時間を過ごしているのだろう。僕は、その頃の音楽を聞きながら、ひとりで仕事をしている。

どうやら、小雨が降ってきたようだ。

 



埼玉のとある市の中学校では、毎年3月に「卒業祝い献立」をおこなっていたが、今年はスケジュールの関係で3月11日になったそうな。そうしたら、『教職員から「震災のあった日にお祝いなんて非常識」という声が一部で上がっている。』というニュースになっていた。

埼玉新聞のニュースだったのだけど、こういう話を聞くたびに「追悼」という行為の二面性を感じる。個人の内面における思惟と、社会儀礼としての二面性だ。

別に大災害ではなくても、そのように感じることはあるのではないか。それは、宗教的な営みにもついて回ることだ。

祈る時は1人のこともあれば、複数のこともある。ただし、何万人が一斉に祈ろうが、人が何を祈るかは、その人にしかわからない。だから、祈りの間は、沈黙となる。そう考えると、祈りとは孤独な営みであって、本質的には個人的な行為のように思える。

しかし、人は弔いを社会の行為としておこなったきた。文化人類学の専門書を紐解くまでもなく、それを感じることはできるだろう。葬儀は、集団によっておこなわれる。それが極大化したのが、国葬を頂点とする権力者の葬儀だ。もちろん、民間でもある。ただし、長寿の人が増えて現役のまま没することは減ってきたこともあり、社葬というのもあまり聞かない。

「親族のみにて」というケースは増えており、いまの日本では、弔いという行為はまた内面へと向かっているのかもしれない。しかし、それでもセレモニーには一定の意味がある。先日、会社員時代の先輩が他界して、一か月強を経ておこなわれた「お別れの会」に行ってきた。1人で献花しただけだが、行ってよかった。 >> 震災の日に卒業祝い給食は非常識、という教師の方が不見識だと思う。の続きを読む



ik1瞬間的に湯がグツグツと沸き立ったかと思ったら、何か妙なものが入っていたのかヤカンごと爆発してしまった。「育休議員」をめぐる騒動はまさにそんな感じだ、残ったのは「やっぱ、ああいうヤカンってどうよ」という印象。つまり、育休を求める男性にとってはロクなことにはなってない。

じゃあ、実際世論的にはどうなんだろうか。と思って調べたら賛否について結構前から調べているデータがあった。博報堂生活総研の「生活定点」だ。「男性でも、育児休暇を取るべきだと思う」という項目に対して、肯定的に応えた人の割合である。

隔年で偶数年にレポートが出るので、この最新データは2014年だ。

ザックリいうと、女性はどの年代も40%を超えていて、一番高いのは50代の47.1%という数字だ。

一方で、男性は全体に低く年齢が上がるにつれて、さらに低くなる。そして、20代30代でも40%をわずかに下回っている。

女性の50代が高いのは、本人たちが雇用機会均等法以前か、施行直後の世代であり「頑張りたくでも、頑張れなかった」ということもあるだろう。また、仮に娘がいればちょうど働き始めたり、結婚を検討している人もいるだろう。いずれにせよ、女性は世代を超えた「応援体制」ができている。

それに比べて、男性の50代以上はいわゆる「岩盤」状態だろう。男性の育児休暇の壁のありかは浮かび上がってくる。 >> 「男性育休賛成」がジワジワ低下している年代は?の続きを読む



IMG_1438今回の京都行は、ミホミュージアムの限定公開期間に合わせたこともあり、その後から寺社を選ぶことになった。折角なので、冬の特別公開に合わせて、土曜には大徳寺から妙心寺へ行くことにした。

どちらも臨済宗の立派な寺ではあるものの、観光地としてはそれ程に込み合っているようでもないし、ガイドなどにもあまり詳しく載っていない。ここしばらくは京都に行ってなかったのだが、近年は訪日観光客の増加でごった返しているということもあり、静かなコースを選ぶにはちょうどいいようにも思ったのだ。

大徳寺は北大路にほぼ面したような位置にある。千利休にまつわる逸話や、一休さんなどにも縁がある寺で、20を超える塔頭があるが常時公開されているのは少ない。

朝ということもあって、人影も少ないが、まず聚光院から入る。こちらは創建450年の特別公開ということで、まずは狩野永徳と父・松栄による本堂障壁画である。

ある程度予想はしていたものの、この旅の「狩野派お腹いっぱい」の第一弾。しかも、いきなりのメインディッシュという感じである。かつてパリのルーブルからモナリザが来日した時の返礼としてフランスで展示されたという作品だ。

「瀟湘八景」「竹虎遊園」「琴棋書画」など有名なモチーフの作品群であり、障壁画のエッセンスが凝縮されている。

庭から裏手に回ると「閑隠席」「升床席」の2つの茶室があり、書院には千住博による襖絵がある。明るめの群青で滝をモチーフにした障壁画で、2013年に完成した作品の初公開ということで、ある意味これがもっとも驚きでもあったし、別の意味で稀少性があるともいえるだろう。

続いての芳春閣は、前田利家の妻松子(まつ)による建立。庭は大好きな桔梗を植えていたそうだが、開花時期以外は草が伸び放題になることもあり、現在は枯山水になっていて、中井金作氏の設計になるという。 >> 週末京都行①大徳寺と京野菜がうまい理由。の続きを読む



miho国内の美術館の多くは都市部にあるが、郊外や山麓などにもユニークなものが結構多い。

関東圏だと箱根や信州などの観光地に有名なものがあるが、その他にも千葉県の川村記念美術館や群馬の大川美術館など、「そのために」行くような立地の施設もある。

今回行ったのは信楽のMIHO MUSEUM(ミホミュージアム)だ。「信楽」というのも関東在住の者にはなかなかピンと来ない。狸で有名な信楽焼の町らしいとわかるが、アクセスを調べると石山駅から送迎バスで50分というが、石山駅というのもよくわからない。

結局、京都からレンタカーを借りて向かうことにした。1時間くらいで行けそうなのだ。そうなったら京都へも行こうかということで金曜の朝に出立して、その日はミホミュージアムへ行き、京都に戻って日曜夕まで滞在しようという計画にした。

ミホミュージアムは前々から関心があった。コレクションに定評があるし、建造物としてもユニークだという。今回は伊藤若冲の「樹花鳥獣図」が静岡県立美術館よりやって来て、プライスコレクションの「鳥獣花木図」と一緒に展示される。

後者の方は、2006年の東京や2013年の福島でも見たが、前者の方は静岡へ行こうかと思いつつタイミングを逸していた。 >> 向かい合う若冲~春のミホミュージアムの続きを読む