2016年04月アーカイブ

元巨人の野球選手が賭博がらみの疑いで逮捕された。

プロ野球は、今世紀に入ってからの合併騒動あたりから球団経営も変わってきたが、まだどこか変わりきれないところがある。プロ野球は他を圧した興隆期があった。その頃の感覚が抜けてないのは、選手や経営者よりもメディアなんじゃないか。それは独特の言葉にも表れてくる。

2月のキャンプインを「球春」というのは、季語のようだけど、「球界=野球界」というのと同じで、球技はたくさんあっても「球」といえば野球だった。卓球をする若者を球児とは呼ばない。

だから、野球の外にも、そういう言葉が広がっていく。政治家や経営者が任期延長することを「続投」と普通に表現したり、場合によっては「ワンポイントリリーフ」などということもある。 >> 21世紀プロ野球にパラサイトする昭和メディア。の続きを読む



五輪の新エンブレムが決まった。まあ、万人が納得するデザインなどできるわけもないのだから、決まったものを大切に育てていくということだろう。それにしても、この選考で感じたのは、いわゆる「グラフィックデザイン」が転機、というより終焉を迎えているのではないか?ということだった。

一般的にグラフィックデザインというと、二次元上の作品を指すが、メディアも多様化ししているので、正確には「平面デザイン」と言った方がいいのかもしれない。紙を中心とした媒体を念頭に置いたものである。

当初の佐野研二郎氏の案は、類似性が問題になったが、個人的に感じたのは「グラフィックデザイン界の呪縛」が強いなあということだ。一方で、当時の審査員の顔ぶれを見ればあの作品が選ばれたことも理解できる。

僕が気になったのは、東京のTと、日本の日の丸についてのこだわりが強すぎるのではないか?ということだった。特にTの文字をモチーフにすると水平と垂直が強調される。それは、どうしてもスポーツの躍動性とは離れていってしまうように感じた。 >> 五輪新エンブレムで感じた、「平面デザイン」の終焉。の続きを読む



というわけで、まずはCMを見てもらいましょう。

サントリーBOSSのCM【プレミアム対談編】 タモリがジョーンズと“いいとも風”)

長寿番組だった「笑っていいとも!」の設定で、タモリが「宇宙人」をゲストに迎える設定です。

では、もう1つ。今度はペプシの「桃太郎」です

ペプシネックス ゼロ『桃太郎「Episode.ZERO」』篇 小栗旬 )

さて、タモリの番組に宇宙人は出てこないし、そもそもトミー・リー・ジョーンズは米国の俳優です。小栗旬は桃太郎じゃないし、そもそも桃太郎はいないし、ペプシとは関係ありません。

嘘と言えばウソです。ただし、こういうCMで「嘘つくな」とクレームが入ってはいないでしょう。CMで効能を偽ったりすれば問題になるし、ケースによっては法令に触れます。その一方で、あらためて考えると、私たちはメディアの中の「嘘」であることをたくさん知っているし、許容してます。でも、子どもの頃は、その辺が曖昧だったはずです。

3歳の頃に男子だったら「戦隊もの」の番組見てたでしょ?女子は?(セーラームーン、という答え)で、男子は戦隊の一員になれると思ってた?そんなことはない? >> 【講義覚書】岡崎体育「Music video」を理屈っぽく解説すると。の続きを読む



「住む」と言えばいいのに、「住まう」と書くのはマンション広告の常識のようになってしまった。個人的な記憶だが、関西出身の方から「どちらに住まわれているの?」と聞かれた経験はある。

だから、西の方の言い回しかと思っていたが、どうなんだろう。ただ、広尾には「住まう」ようだが、「大字狸洞」だったらどうなのか。「住まう」はどことなく上品な感じだが、会話ではまず聞かない。

こうした、ある種の「文語表現」は、ネットの広まりとともに目立つようになった。典型は「食」に関する言い回しだろうか。

「食す」というのは、「住まう」に近いのかもしれないが、文語的でどこか上品だ。ネット上にやたらと食事についての投稿で増える中で出てきたんだろうか。食べているものも、ちょっと上品で鮨やフレンチというイメージだ。

「食らう」というのは、ちょっとぞんざいな言い方になる。「喰らう」という表記もあるが、焼肉やお好み焼きとか、ガッツリした食事のイメージか。「パンナコッタを食らう」とか言わないだろうなあ。 >> 食す・食らう・食わせる、とかの言い回しが気になる。の続きを読む



昨日(4/24)のNHKスペシャルは「若冲」だった。

上野の展覧会も期間が短く、いつ行けば比較的空いているのかと算段していたくらいなので、この番組が混雑に拍車をかけるのだろうなぁと思いながら見始めたら妙な違和感がある。

ナレーションだ。女優の小松菜奈を起用しているが、どうしても気になる。先に言っておくと、彼女が飛びぬけて下手というわけでもない。ちょっと突き放した覚束ない感じだけれど「ドキュメント72時間」などだったらテーマによっては映えると思う。要するにキャスティングのミスだ。そういう意味では、ちょっと気の毒である。

画家の未知の世界に迫ろうとするあまりか、語りには妙な切迫感がある一方で、時折語尾に不要なアクセントがつく。「超高精細」ということばが「チョウ・高精細」のように聞こえてしまう。

イチゴのソースをパンケーキにかければおいしいかもしれないが、炊き立ての上質な白米にかければどうなるか。殆どの人が、「ちょっと待てよ」と思うだろう。

この場合、ソースに罪はない。調理人が無能だという話になる。 >> Nスぺ「若冲」のナレーションは、”白米にイチゴソース”だった。の続きを読む