2016年04月アーカイブ

IMG_1520桜が散って行く。

今日は天気が良かったので、近所を歩きながら花吹雪を眺めた。自宅の部屋から街を眺めると、あちらこちらに桜が見られる。公園もあるが、立派な桜のある個人邸も結構多い。昭和の風情が残る住宅地ならではの光景だ。

大きな公園の桜よりも、こうした一本桜を眺めながら街を歩くのが、毎年の習わしになっている。

それにしても、最近は桜の開花を心待ちにして、それを喜ぶ空気は近年に一段と強くなってきたと思う。

もちろん、計量できるものではない。全体的に高齢化が進むとそういう感じになるのかもしれないが、スマホのカメラを向けている若い人もたくさんいる。

たしか1990年代後半に東京ウォーカーが桜や紅葉の特集をやり始めた。映画や演劇など「人工的なエンタテインメント」を網羅した“ぴあ”から、流れが変わったなぁという話を会社の同僚と話したことを覚えている。

それにしても、なぜ桜に惹かれるんだろうか。

もちろん、花の美しさはある。ただ、それ以上に何か心を動かす不思議な力があって、それは他の花にはないように感じる。

よく散り際が美しく、それが無常観や死のイメージを喚起させるという話も聞く。ただし、それは西行の歌や梶井基次郎の影響かもしれない。

僕は満開の桜を眺めていると、なんか「いろいろなことが赦される」ような感覚になる。氷が溶けて、水も温んで、風も爽やかな春の日に、花が咲く。眺めているだけで、ふと俗事を忘れる。じゃあ、原稿が遅れた時の言い訳にこんなのはどうだろう。

「すいません。桜があまりに美しくて」 >> 桜って、すべてを赦してくれるような気がする。の続きを読む



冨山和彦氏がNEWS PICKSで自伝のような連載を始めたのだが、予告編のタイトルがちょっと気になった。

「日本のサラリーマンなんかクソ食らえ」というのは、さすがに乱暴じゃないかなぁ。じゃあ丁寧に言えばいいのか。
「日本のサラリーマンなど、お通じを召し上がれ」

多分、それも違う。
それにしても、そもそもコンサルティングというのは、サラリーマンが働いた利益から報酬を得ているはずなのに。

と、野暮を承知で言ってみたけど、実際には数々の会社の現場に飛び込んで成果を上げてきた素晴らしい方だと思っているし、書かれていることにも納得する。つまり、この見出しが「今の時代の気分」という編集の判断なのだろう

会社員であることの意味、というのも結構揺れている。いま就職活動が始まっているが、多くの学生は「会社員になること」に必死だ。ところが、会社員になった人で、積極的に「いいよ~!」という声はあまり聞かない。

ネット上だと、フリーになったり起業した人の方が声がでかい。まあ、それは当たり前だと思うが、会社員向けの情報って結構限られているんじゃないかと思う。

ビジネススキルやハウツーの話はもちろんあるが、「出世術」のような本や、管理職向けのテキストもある。 >> 「会社員なんて…」の空気が気になる。の続きを読む



本日から、日経ビジネスオンラインで執筆を始めることになった。久々にキャリアの話だ。

キャリアに関する単行本は、20代向けのものが殆どだった。今度は、ちょっと違う。

「ここでひと息 ミドル世代の“キャリアのY字路“」

という連載タイトルだ。

ミドルがどこを指すかは曖昧で、編集の方ともなんとなくで進めていたのだが、1回目は「いよいよ50代 自分のキャリアをどう見切る」という見出しでスタートした。

これでわかったのだが、どうやらメインターゲットは40代半ば以降の方ということだ。なんか後付けで申し訳ないが、そんな感じで進めて行こうと思う。

僕は40歳で会社を辞めている。その後はフリーなので、ある意味もっとも「会社員らしいシーン」というのを知らないで50代になってしまった。「会社員らしいシーン」というのは、なんというか『島耕作』に出て来そうな、ちょっとドロドロしてウネウネして、それでいて「すべて呑み込んだ」ような世界である。

もう、現実を知らないので妄想が進んで申し訳ない。

ただし、一つだけ言えることがあって、人はいつまでも第一線でいられるわけではない。もちろん、執行役員や取締役になれば、責任も重くなるし、人生を捧げることにもなる。ただし、それでもいつかは引退がある。 >> 新連載「キャリアのY字路」@日経ビジネスオンラインです。の続きを読む



ここ何年か「渋谷に福来たる」という落語イベントがある。セルリアンの裏手にある大和田のホールを2つ使ってやるのだが、第一線の噺家が揃う。土日の間に、計8つの公演があって、今回は2度足を運んだ。

2日の夜は、柳家喬太郎、林屋彦いち、春風亭昇太の3人が一席ずつ。このイベントは、冒頭に出演者のトークがある。3人ともかつての「SWA」の仲間だけあって、こなれた感じで、その後に柳家小太郎の「のっぺらぼう」で幕開け。

喬太郎は「寝床」、休憩をはさんで彦いちは「遥かなるたぬきうどん」、昇太は「愛宕山」という流れ。この愛宕山は後半に昇太の創作による続きがあって、結構にぎやかになる。

3日の夜は、柳家三三と、桃月庵白酒の二人会。トークは10分足らずで、すぐに白酒の「風呂敷」から三三の「不孝者」と続く。休憩を挟んで、三三の「元犬」から白酒の「井戸の茶碗」でお開きとなった。

この二人会はとても楽しめたのだが、それぞれが達者なことに加えてバランスがよかったこともある。前半は男女の機微を描いた話だが、白酒が軽く入って、三三はしっとりと。

後半は三三が滑稽に犬を演じて、白酒がテンポよく噺をすすめる。 >> 「喬太郎・彦いち・昇太」と「三三・白酒」を渋谷で。の続きを読む



 

今年になって、毎日ブログを書いてみた。

前からやってみようと思ったのだが、キリがいいので始めてみた。そして、ちょうど3か月が経った。

大きな理由は、「毎日違うことを考えてみよう」ということにあった。1月1日に書いたのだが、「歳をとると時間が早く経つ」理由の1つは「恒例のこと」が原因だと思ったのだ。

「今年もここに来た」とか同じことをしていると、記憶が同じフォルダに入れられる。

「定例の仕事」ばかりだと、スケジュールは埋まっていくが、それをこなしてあっという間に時は経つ。

だから、毎日いろんなテーマでブログを書いていくというのは、「毎日を違うものにする」という意味ではいいように感じたのだ。

僕が書くのは、テーマもバラバラだ。マーケティングやメディアを論じたものは、結構多くの人が読むこともあるが、能舞台の感想などはタイトルを見ただけで通過されているようだ。

だから、毎日違うことを考えるのだが、これはよかったと思う。

何となく時間が経つのではなく、1月からの歩みをハッキリと意識しての3月だ。ブログを書くのは、自分でコントロールして時間をつくることになる。何となく追われて時間が経つのとは、ちょっと違う。 >> 毎日ブログを書いてみたら、時間の流れが変わった。の続きを読む