2016年05月アーカイブ

mweberマックス・ウェーバー 著 中山元(訳) 『職業としての政治』 日経BP社

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100年前の分析や批評が、いまでも通用する分野ってどのくらいあるのだろうか。

スポーツはまず無理だろうし、経済学も困難だろう。自然科学に至っては、話の前提が全く違っている。相対性理論は発表されていたが、重力波はもちろん、DNAも知られてない時代である。

ところが、政治をめぐる議論というのはちょっと趣が異なる。以前書いたマキャベリの『君主論』はいま読んでも頷くところが多いし、孔子や老子、あるいは古代ギリシャの議論も未だに通用する。

権力のあり方を巡るテーマの本質には普遍性が色濃い。恋愛を巡る心情もそうだが、両者ともある意味科学では説明しきれない側面がある。まあ、結局人がもっとも学べていない分野なのだろう。

この本は、1919年におこなわれた講演、つまり第一次大戦後の時代のものだ。政治家のあり方をめぐる課題は、現代においても十分に通用する。

日本はもちろん、混迷する欧州や大統領選で揺れる米国を重ねあわせて読むことができるし、ウェーバーが本質を見抜いていたことに驚く。

昨夏に、『プロテスタンティズムと資本主義の精神』について書いた時、想像以上の反響があったのだが、それだけ読みごたえがありつつ、洞察力に満ちた思想家であることを再認識した。

政治家に必要な資質を、「情熱・責任感・判断力」とキレよく述べつつ、その情熱は「不毛な興奮」ではないと釘を刺す。

一方で二種類の大罪があり、それは「仕事に献身しない姿勢」と「無責任さ」であり、虚栄への欲望のためにこの罪を犯す誘惑に駆られると述べる。

いわば、「100年コピペ」とでもいうべき、政治家のあるべき姿への洞察が語られているのだ。 >> 【GW本祭り】100年経っても色褪せないのは、いいことなのか、それとも…『職業としての政治』の続きを読む