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71eHQ9iq5ZL僕は本については、子どもの頃からいろいろ読んでたと思う。ただし、古典などにもいろいろ穴があるし、いわゆる乱読の方だろう。

そして、ある頃まで多読がいいと思っていた。今でも自宅の仕事場にオーダーメイドの本棚がありつつ、トランクルームを借りている。ただし、ここ何年か考えが変わってきた。どうやら、本をたくさん読んだからといって、それ自体に本当に価値があるのだろうか。

きっかけは佐々木中の『切りとれ、あの祈る手を』という本を読んだことだった。2010年秋の本だが、修善寺へ旅しながら読んだ。

「本は少なく読め。多く読むものではない」これは、多くの文人が言ってきたという。ただし、それがスッとわかるにはタイミングがあるように思う。僕は「そうだよな」と思ったのは、ちょうど40代半ばで単なる多読への疑問があったのだろう。

まず「繰り返して読みたい本」ってそんなにはない。ところが、繰り返して読む本には、よむたびに発見がある。「一度だけ読む本」がどんどん家の中に増えて、そこからはみ出していく中で、果たして「蔵書」に何の意味があるのか。それって、背表紙をズラリと並べることへの満足だけなんじゃないか。

一方で、僕は「聖書」一冊も満足に読んでない。これから頑張れば読むことは可能かもしれないが、そもそも聖書は「一通り読む」ものではない。その言葉から、何を読み取り考えるべきか、ということは千年の単位で議論されてきた。そして、今でも聖書一冊に一生を費やす聖職者の方がいる。 >> 本をたくさん読むのはいいことなのか?の続きを読む