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やっと、5月。なんか年内に書ききれない感じになってきた。

この月はいろいろと面白い本があって、まずはバーナデット・マーフィー『ゴッホの耳』(早川書房)は、あの画家の「耳」がどのように削ぎ落されたのか?という謎に挑む。いや、これはミステリアスであり、かつ調べていくプロセスも面白く、しかもゴッホという画家の本質にも迫っていく。今年読んだ中でも、もっとも読みごたえがあった本の1つ。

海外のノンフィクションで、スティーブン・ジョンソン『世界を変えた6つの「気晴らし」の物語』(朝日新聞出版)は、『世界をつくった6つの革命の物語』の続編だけれど、これは2冊とも読むのがお薦め。楽器のキーボードと、いま使っているパソコンなどのキーボードの関係とか読むと、音楽というものがいかに技術発達と不可分な関係にあるかよくわかって、その辺が美術とはちょっと違うんだなと感じたり。

日本の小説では古処誠二『いくさの底』(KADOKAWAが、ちょっと意表を突いた設定で最後まで読ませるミステリー。第二次大戦のビルマの村における日本軍の中で起きる事件なのだけれど、これがある種の密室ミステリーにもなっている。雰囲気も含めて面白かった。 >> 【2018年の本から/5月】やっぱり『ゴッホの耳』は傑作だと思う。の続きを読む



7月6日におこなわれた、オウム真理教に関する死刑執行の時は、ちょうどミーティング中で、昼前になってニュースを見て驚いた。

いままで見聞きしたさまざまな事件の中で、何が一番インパクトが強かったか?それは人さまざまだと思うけれど、個人的には1989年のベルリンの壁の崩壊と、1995年のオウム真理教事件が双璧だ。

どちらも「人の為したこと」であり、それまでの前提を引っ繰り返されたことが強い印象だった。

死刑制度については、いろいろ思うところがある。ただし、この7人の執行が行われた途端に、唐突に疑義を唱えたり抗議することもあまり理解しにくい。

刑法の見直しを主張して活動している人ならともかく、個別の執行自体に疑問を呈したら、司法判断の否定になる。恣意で行政が執行しなければ、それもおかしい。これは、日本人が容認してきた制度の帰結で、最終的には立法府のテーマになるだろう。

しかし、それでも今回の報道を見て、疑問が残った。そもそも、死刑はここまでショー化されていいのか。それは多くの人が思っているだろうが、なぜそうなったんだろうか。

法務省の文書を見ると、平成10年(1998年)11月から「死刑執行の当日に,死刑執行の事実及びその人数を公表」となり、平成19年(2007年)12月から「 死刑執行の当日に,執行を受けた者の氏名・生年月日,犯罪事実及 び執行場所を公表」とある。 >> 最期までオウムをショーにしたメディア。の続きを読む



バイエルン国立管弦楽団 特別演奏会 

指揮:キリル・ペトレンコ ピアノ:イゴール・レヴィット

2017年9月17日 東京文化会館 大ホール

ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲 op.43/ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」より「愛の死」(アンコール)/マーラー:交響曲 第5番 嬰ハ短調

 

演奏も鮮烈だったけれど、それ以上に印象的だったのがオーケストラの表情。

それって、「音楽の表情づけ」の話ではなくて、出演者の「顔」そのものがとても幸せそうだったということだ。

1階の8列目ということもあったけれど、フィナーレの最後に近づいたころ、トランペット奏者の顔が微笑んでいることにきづいた。ふと見ると、表情がほころんでいる奏者があちこちにいる。

管楽器奏者は笑いながら吹けないが、休んでいる時になぜか嬉しそうだ。終演後に指揮者が去り、コンサートマスターが帰るしぐさを見せると、弦楽器奏者はプルトの隣り同士でハグ。舞台も客席も、みんなが「幸せになるコンサート」だった。

そして、その幸せの源はペトレンコだったと思う。

指揮は時には相当大胆で、左手を「野球の3塁コーチ」のようにグルグル回したり、金管に向かって「両手で黒板拭き」のように振ることもある。

ベルリンフィルのデジタルコンサートホールで見ると、顔芸も相当だ。感情のうねりを最大に表現しながら、アンサンブルを破綻させることなくグイグイと進める。

ラトルのような主体性を引き出すおおらかさや、アバドのように憑依された凄さとも違う。いつも、自分が「音楽の真ん中にいる」という意味では、雰囲気や音作りは全く異なるけれど、ある意味カラヤンに近いのかもしれない。

ベルリンフィルの次期指揮者ということもあって、ついついそんな比較をしてしまうが、それはあまり意味がないだろう。

ペトレンコは、空間を共有する人を幸せにする「何か」を持っている。また1楽章の最後の方で、ホルンのゲシュトップをキッチリ鳴らすなど、スコアの読み込みもしっかりしている。「なにかしてくれる」期待感があるから、また聴きたくなる指揮者だ。

ただ、終わった時の興奮が揮発していくスピードが意外と速いようにも感じる。上野の山を降りる頃には、「どこがどうだったか」がスーッと消えていく。個人的にはヤンソンスやバレンボイムが「揮発が遅い」指揮者なんだけど、それは良しあしというよりもまさに個性なのだろう。

なお、ラフマニノフのあとにレヴィットが弾いた「トリスタンとイゾルデ」が、魂を抜かれるような演奏だった。このアンコールに唖然茫然とした人も、また多かったんじゃないだろうか。



直木賞が発表された。今年はたまたまだけど、事前に候補作を2作読んでいた。

以前に書いた『会津執権の栄誉』と、もう一冊は宮内悠介『あとは野となれ大和撫子』(角川書店)だ。

中央アジアのアラルスタンという国を舞台に、少女たちが活躍するエンタテインメント。冒険小説でもあり青春小説の香りもするけれど、そういう枠には入らない。やっぱり「エンタテインメント」としかいいようがない。

宮内悠介氏はSFというイメージが強いが、近著の『スペース金融道』は、「宇宙を舞台にした消費者金融」という設定で全体のトーンは軽い。とはいえ、設定がしっかりして、構成も凝っている。

この小説も、まず「アラルスタン」という設定がおもしろい。架空の国なんだけど、地図が書かれていてウズベキスタンやカザフスタンの近くのようだ。で、このアラルスタン。気づく方は気づくかもしれないが、「アラル海」の地に生まれた国なのだ。

実際のアラル海について、調べていただければわかるだろうが、かつては広大な内海だった。それが、旧ソ連の灌漑で干上がってしまう。

実際は塩を含んだ地で荒れているのだが、小説上はその地に国家が生まれている。しかし、そこには当然ながら「仕掛け」があり小説全体に影響する。 >> 直木賞残念!でも『あとは野となれ大和撫子』は楽しいよ【書評】の続きを読む



三菱東京UFJ銀行から「東京」の名が外れるという報道が相次いだ。正式ではないが複数ソースが報じていて、おそらくそうなるのだろう。

今回の件のニュースでは「長過ぎる」ということも報じられているが、もちろんそれだけではないだろう。日本の銀行の行名変遷を見ていてくと、いろんな事情とおもしろいキーワードがあって、それは「財閥」と「英語」だと思う。

まず、財閥名だけれど、実は戦後に名を変えている。いわゆる財閥解体に伴うもので、三菱は千代田銀行、住友は大阪銀行、安田は富士銀行になった。三井はそれ以前に第一と合併して「帝国銀行」になっている。その後、結局袂を分かったので「帝銀」はあの事件でしか聞かなくなり、それもまた忘れられそうだ。

しばらくして、財閥名は復活するが「富士」のみは継続されて、その後「みずほ」となる。財閥名を残さなかったことも、まったく新しいひらがな行名を採用できた一因だろう。その後は安田火災も「損保ジャパン」になった。

一方で、住友とさくらが合併して時に「三井住友」になった時は、アッと思った。新行名どころか、太陽神戸を忘れるようにして三井が復活したのだ。当時、会社の先輩のCDが「なるほど……」と悔しそうにつぶやいたのを思い出す。保険も含めて財閥名を堅持しているようだ。 >> 銀行名には「日本の事情」が詰まってる。の続きを読む