カテゴリ[ 雑記 ]
(2023年8月13日)

カテゴリ:雑記

うちの猫は、20歳になった。

2003年の8月30日にやって来たのだけれど、親とはぐれて拾われた猫だったので本当の誕生日はわからない。獣医の先生が「7月上旬」と推定したので、覚えやすい7月7日誕生日としている。

しかし、20年生きているのはたしかでそれなりに元気だ。

先月、誕生祝いをした。いつもは刺身や鶏肉を少々あげて、人間がちょっといつもよりごちそう食べるというくらいの勝手なお祝いだ。

しかし20歳というのは記念だしなあ、ということで旅の時などにお世話になっているキャットシッターさん2人をお招きして、祝いの花を用意し、小さなホールケーキを買った。

そして、やはり人間が勝手に食べるだけなのだが、花とケーキがあるといいものだ。

しかし、20年だ。めでたい。いまさら猫に対して「ありがとう」というにも違和感はあるけれど、そもそも感謝というより「なんなんだろ、これは」と言った感じだ。

たとえば小学校に入った時に猫と出会ったとして、20年経ったら26歳だ。ちょっと想像がつかない。「20年」という時間を、一頭の猫といっしょに暮らすというのはなかなかなんとも言えない不思議な気分なのである。

猫が来たときはまだ会社員だった。そして1年後に独立した。その辺りもちょっと感慨深いものがあって、いろいろと手探りで仕事をするのを見守ってもらったような気もするし、一緒にやってきたような気もする。

家族の一員というより、もう時空間の一部になっているようだ。

昨年まではキッチンまでジャンプしていたが、いつしかしなくなった。でも、ベッドやソファや膝の上には飛び乗ってくる。耳はほとんど聞こえないようで、苦手だった雷にもびくともしないで寝入ってる。ただ、眼の力は強いし、毛艶もいいように思う。

ここに来るまでは、健康上の問題もあったけれど、獣医の先生の判断や指導がとてもよかったと思う。5歳の頃に腎臓の状態が思わしくないといわれたのだが、その際にまだほとんど輸入されていなかった薬を処方されて毎日飲むことになった。餌に入れておけば勝手に食べてくれるのだけれど、これはとても良かったのだろう。

また14歳の時に便秘から内臓を圧迫して入院までしたのだけれど、これを機会に餌にサイリウムの粉末を混ぜることを提案された。これもまた良かったようで、その後は病気になっていない。

そんな感じで元気ではあるものの、時には考えたくないし、考えても仕方ないことを、ついつい考えてしまうことがある。考える、というより想像するという感じなのだが、結局は何も想像できない。

とりあえずずは、一日一日を大切に生きる。書くと陳腐になるけれど、歳を重ねた猫はそんなことを教えてくれているのかもしれない。



新しい本を出した。数学の本だ。まさか自分でもそんな本を出そうとは思ってもいなかったが、これは共著だ。そうじゃなくては、高校2年で数学を「終了」した者が40年経って書くわけもない。ああ、40年か。いや、そこで感慨に浸ってる場合でもないので、ちょっと解説をしておこうと思う。

共著者の曽布川君は、大学の同期である。ワグネル・ソサィエティ・オーケストラという音楽団体でいっしょに演奏をしていた。卒業してからはまったく会っていなかったのだが、アバドが他界したのがきっかけで再会したのが2014年。なんと「早稲田に来る」という。そして、その後も会って話すうちに「これからのビジネスって数学わからないとヤバくない?」と私が言い出し「だから、いま早稲田で文系にも数学教えてるんだよ」と彼が言ったあたりから、話が盛り上がって「じゃあ、本を書くか」という話になって、まあ時間はかかったけれども出版に至った。

僕の役割は2つだった。1つはビジネスの現場で「どれだけ数学的思考が大切か」ということを明らかにすること。もう1つは、文系代表として「数学を学んだ際のモヤモヤ」をあらためて書いてみることだ。

前者については数学スキルだけではなく、論理的思考の重要性も強調した。「数学嫌いの文系経営者」がいるのは仕方ないかもしれないけど、そういう人が論理そのものを疎んじた結果、けっこう大変なことになったケースはいろいろとあるのだ。

後者については「数列」「対数」「微分積分」など高校2年の教科書に立ち戻って、学び直して書いてみた。だから、まずは現在の教科書を買いに行くところから始めることになった。

というわけで、いろいろと曲折はありながらも、ようやく脱稿したのが今年の春。ただ、数式やグラフなどもいろいろ多い本なのでそこからが結構時間がかかって、発売になった。

僕たちは普段意識していないけれど、現在の生活がスムーズにおこなえているのは根底に数学的思考とそれに基づいてさまざまなことが成立しているからだ。

こうやってパソコンに向かい文章を書き、暑くも寒くもない部屋にいて、のどが渇けば冷蔵から飲み物を出し、出かけようと思えば歩くよりも遥かにスムーズな手段を選択できる。どれ1つとっても、科学の恩恵を受けているし、その根っこには数学がある。

なんだ、じゃあ文系はそうやって築かれた世界の中で何やってんだろ?と思ったりもした。ただし、それも数学のことをいろいろ知ったからだと思うし、文系の役割を改めて考えるきっかけになった。

いろいろと得難い体験だったし、ぜひ一読して「数の世界」に改めて浸っていただければと思う。
うちの猫も、一応推薦しているようだし。

 



春だ。なんだか妙に冷える日が続いて今日も雨だけど、この連休は本当に春だった

単純に嬉しい。

別に遠出をしようとは思わないし、何といっても自宅から半径数キロの辺りが、自分にとっては一番春らしい。

生まれてこの方、東京区部の西の方で育ってきた。公立の小中学校から都立高校へ行ったのだけれど、校歌の歌詞には「富士」か「武蔵野」あるいはその両方がある。幼稚園の園歌もそうだった気がする。

つまり、区内と言っても「江戸」ではなくて、武蔵野だ。高校では、昔の「第三学区」が行動範囲だった。そして、この辺りの春が好きだ。

昼過ぎに、近所にランチに行く。カフェでもいいし、蕎麦屋でもいい。何となくみんな嬉しそうで、ビールを飲む人もいれば子供連れもいる。そして、若い人が入れ替わる季節で、それが何とも言えない空気になる。

もちろん、東京のあちらこちらで、また日本中でそうなのかもしれない。ただ、このエリアならではの特徴がある。 >> 春は武蔵野、「第三学区」あたりの多幸感。の続きを読む



(2017年1月1日)

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nenga2017あけましておめでとうございます。

新年を迎えて不満をのたまうのもどうかと思うが、いきなり元旦が日曜日で明日が振替休日というのが「出落ち感」もはなはだしい。

最近だと2012年がそうだったようだが、第一週をコッソリ乗り切って三連休を目指すのが吉、ということか。

昨年は自分なりにいろいろと変えてみた。できる限り増やしたことがあって、1つはブログの更新。5月の連休前まで毎日書いてみて、その後も平日は殆ど書いた。書評や舞台評なども加えてみた。

もう一つは、舞台に行くこと。結構行ってたつもりだけど、時間を見つけて1人でフラリと行く機会を増やした。全体としては相変わらずオーケストラが多かったけど、ピアノソロや室内楽のように小ホールの静かな演奏に惹かれるようになった。

能楽は月2回以上は行く習慣になって、落語は相変わらず。といろいろ勘定すると、64回だった。まあ、仕事でもないんだからこのくらいだろうか。

ちなみに映画館へ行ったのはゼロだった。前年がスターウォーズの1回だから、まあだいたいそんなものなのだ。

旅で印象的だったのは、初夏の五島列島。かねてから行ってみたかった教会めぐりができて、その時の一枚を年賀状にした。

仕事では、日経ビジネスオンラインに「ミドル世代のキャリアのY字路」という連載を4月から始めた。隔週とはいえ、連載なんてできるのかと思ったが、始めてみると、まあどうにかなって来年も書こうと思っている。

というわけで「書くこと」に力を入れて、今月には久しぶりに単行本も出す予定だし、その次も着手してるんだけど、勉強する時間が思うようにとれない。

新しい本よりも、しっかりと古典を読みたいのだが、どうにかならないんだろうか。
そういうわけで、とりあえず始めてみたのが「冬でも朝型」だ。もともと朝は早いのだが「暗いうちに起きるのは嫌」という性格だか体質のせいで、夏や5時台に起きても冬は7時くらいまで寝ていたのだ。

夜ふかしが苦手という意味で「朝型」と自称していたのだが、秋の彼岸の頃から、ダラダラとなってきて当時の頃には単なる「昼型」だったのだ。なんと適当な。

というわけで、この12月くらいから「暗いうちに起きる」を始めてみた。通勤する人なら当たり前なのかもしれないけど、「勉強するために起きる」というのは書いてみると偉そうだが、実際は「あ、そうだメールの返事しなきゃ」とかで結構時間が過ぎていく。

でも、年初だからできないことでも書くのだ。今年は早起きして勉強するぞ。



watchあまり高い時計には興味がない。ずっと使っていたのは、大学入学祝いとして祖父に買ってもらったセイコーのクオーツだ。バンドだけを替えて、ずっと使っていた。

薄くて、ちょっと縦長のプロポーションだ。いまは、こういう形のものはあまり見ない。

その頃から、同じようなモノを選びたがらなかった性格で、とにかく「丸くない」デザインのものが欲しかった。

そして、会社を辞めてからも使っていたのだが、ある日気づかない間に電池が切れていた。朝の10時に出るつもりが、まだ9時半なので「なんかおかしいな」と思ったら、10時を過ぎようとしていた。気づいたタイミングが良かったので事なきを得たが、1人で仕事をするとなると、誰も「遅れるぞ」とか言ってくれない。

それ以降、ソーラー&電波しか使わないことにしてる。セイコーは時折使おうと思っていたのだが、しまったままなのでそのたびに電池を交換するような感じになってしまった。ただ、何度もオーバーホールをしていて、状態はいいようだ。

とりわけ出張や旅の時になると、電波の正確さとソーラーの安心感は大きい。

そんなわけで時計売り場にもあまり足を向けないのだが、最近人につきあってふらりと行く機会があった。 >> いい時計を手に入れるなら若いうちがいいと思う。の続きを読む