2016年12月アーカイブ

年の瀬になり、振り返って書きたいことはいろいろあるけれど、一度自分の中でも整理しておきたいなと思うのが「働き方」に関することだ。

10月に電通で過労死の労災認定がなされて、その後は厚労省による強制捜査という異例の事態になった。自分も新卒から18年間広告会社で働いていたし、現在でもビジネス上や私的な関係もある。またキャリアに関わる仕事をしているだけに、いろいろと感じることがあったのだ。

まず、いろいろと議論になった「長時間労働“だけ”が原因なのか」ということについて、改めて整理しておきたい。こうした不幸な事件が起きると、超過勤務の量が問題になるけれど、それを制限すればいいのか?という疑問は耳にした。

ただし、この疑問にしても人によってニュアンスが異なる。

「時間だけ制限しても、いわゆる“サービス残業”になってるでしょ」という声。これは、一般的なサラリーマンの感覚のようだ。

また「そもそも長時間労働だけが、原因なのか?」という疑問もある。これは、その通りで、たしかに労働時間が短くても追い詰められることもある。

ただし、広告業界にいた人などは、ここから別のロジックを語ることがある。

「長時間労働でも平気な人もいるし、一律の時間制限や消灯などは無意味じゃないか」という意見だ。

たしかに、「平気な人」もいる。ただし、いろいろな声を読んでみたが、こういう意見の人自身が「平気な人」なのだ。

ちなみに、僕は長時間労働が「平気な人」ではない。それが社内転職した事情の一つであることはこちらに書いて、いろいろな人から「わかります」という声をもらった。 >> 【働き方再考】やはり「長時間労働」から変えていくべきだと思う。の続きを読む



「本質的」という言葉がある。

辞書を引けばそれなりの定義があるけれど、これは結構難しい。

「これからのIoTの本質を突いている」という大上段な話から、「スープの本質を知っているラーメン」までさまざまだ。

そして、「生きることの本質」とかいう言葉を、簡単に使う人もいる。

最近ネットメディアを巡る事件が目立ったが、「そもそもメディアとは」というような議論も目立ってきた。メディアと言いつつ、実は「プラットフォームじゃないか」という指摘もあれば、そういう話にもなるだろう。

まさに本質的な話だ。

ところが、一部にはこういう本質的な話をすると思考が止まる人がいるらしい。「理屈っぽい」「難しい」と感じてしまうようだが、傍から見ていると往々にして理解しようとする気がないらしい。

つまり「本質とは」と突き詰めて考えたことがないのだろう。

たしかに、「本質」という言葉を議論するのは根気がいる。ただし、マーケティングや広告、特にブランドに関するミーティングはこのような繰り返しだ。

なにか企画を考えて説明したとする。すると先輩がいう。

「面白いけど……それってこの商品の本質じゃないだろ?」 >> 「本質を考える」は、「自分の辞書を豊かにする」こと。の続きを読む



12月は嫌いだ。

まず、意味もなく慌ただしい。12月になった途端にソワソワし始める。まだ1ヶ月もある頃から「もう年末はいろいろ大変ですから来年にしましょう」という人もいる。

まあ、「それならいいけど、でも着々と時間は経つんですよ」というのを堪えて、来年の仕事となるわけだ。

そして、忘年会が始まって、街がグチャグチャになる。だから、先週末くらいからは夜の予定がない。そもそも1人で仕事をしてると、忘年会との縁が薄い。たまにあっても面倒だから行かないうちに、最近はまったく行かなくなった。

というか。昔から忘年会は嫌いだ。

じゃあ、ゆっくり舞台とかがいいんだろうけど、オーケストラはやたらと「第九」ばかりになる。あの曲は、たまに聴けばいいので年末には滅多に行かない。落語も最近は「文七元結」や「芝浜」が多くて、あれも噺家が「いい話だろ」とばかりに演じるのが鬱陶しくなって、やっぱりこの時期はいかない。

つまり、クライアントも社内のことで慌ただしく、友人もバタバタして、舞台もいま一つなので、師走は嫌いといいつつ、気が付くと例年静かだ。

今年は、この時期には珍しくトレーニングプログラムの仕事があり、本の校正もあるけれど、世間に比べれば落ち着いてるし、やっぱり忘年会がないのは実はとてもいいなあと実感している。 >> 「忘年会ゼロ」の12月は静かでいいよ。の続きを読む



シュトーレンが、流行っている。いつから、というわけでもないが気がついたら、クリスマスの新しい定番になっている感じだ。

ドイツのクリスマス、というのは「クリスマス・マーケット」のイメージなんだろうけど、六本木ヒルズで結構前からやっていたように思う。調べてみたら、今年が10周年らしい。

それだけが理由じゃないだろうけれど、シュトーレンが流行るのは、いまの日本のクリスマスを映している気がする。

そもそも、日本におけるクリスマスを真面目に論じることをはあんまり意味がないと思う。最近のハロウィンもそうだけど、「欧米では」と言っても仕方ない。ケンタッキーに行列は「変だ」と言う人もいるけど、日本は海外の祭りを飲み込むことについては相当達者なんだろう。

それにしてもシュトーレンは、いまの日本らしいなあと思う。クリスマスケーキと言えば、イチゴの乗ったホールケーキが定番だったし、今でもそうなんだろうけど、基本的には子どもが喜ぶものだ。

少子高齢化で、世帯人数が減って、ああいう生菓子を一気に食べるのは大変になった。別に統計はないかもしれないけど、長期的にみれば減っているのだろう。

一方で、シュトーレンはまったく違う。クリスマスまでの間に食べるものだ。日持ちがするし、少しずつ食べていけばいい。1人暮らしでも楽しむことができる。

大概はラム酒を使っているので、いわゆる「大人の味わい」だ。華やかさよりは、滋味を楽しむケーキだと思う。

ただ、シュトーレンはキリスト教と密接に結びついている。アドベントという、クリスマスまでの約4週間ほどの間に食べていくという習慣の菓子だ。

アドベントは待降節などと言われるが、教会に通っていればこの期間が特別なものであることがすぐに感じられる。アドベントの始まりは日曜日になるので、その日の礼拝から「クリスマスを待ち望む」気分が段々と高まっていくのだ。 >> 「クリスマスにシュトーレン」って、いまの日本らしい流行りだなあ。の続きを読む



年末が近づくと、掃除関連のCMが目立つ。

そして、フト気が付くと、トイレはことごとく男が洗っているような気がする。いや、少なくてもCMの上ではそうだ。

たとえば、大王製紙の「キレキラ」は昨年からバカリズムが掃除していて、今年も同じ路線だ。

また、ジョンソンのトイレスタンプクリーナーは、まず出てくるのは女性。トイレを見ながら「今日も掃除してくれたんだ」と言うと、男性が「してないよ」とつぶやく。「週1回のスタンプクリーナーでキレイ」という訴求だけど、どうやら夫がいつも気を遣っているという設定になっている。

そして、ふと気づいたんだが山下智久もトレイを掃除していた!LIXILのCMではアリの恰好でゴシゴシやっている。茶々をいれるキリギリスは、ピエール瀧だ。さすがに、洗剤で自宅の掃除をしてる設定ではない、このキャスティングが逆では全く面白くないだろう。

ネット上でザックリ調べると、こんな調査があって「トイレ掃除は奥さん(彼女)に任せている?」に、ハイと答えた人は31.2%で明らかに少数派になっている。

CMが、「男女役割を固定させるな」という声に気を遣ったというよりも、それがリアルな風景なんだろう。

もっとも、トイレの汚れについては男性が敏感になる面もあると思っていて、それは使用方法による。便座をあげて用を足すことが多いので自然と汚れに目が行くんじゃないだろうか?

と思ったんだけど、こちらの調査によると「”座ってする”派の男性は約6割」だという。(しかし、トイレのことで、掃除やら座り方やらこんなにいろいろ調査している国って他にあるんだろうか)

つまり、どう使うかとかに関係なく、トイレ掃除については「男の時代」になっているのだ。

広告などでは1970年代後半くらいから、つまり40年くらい「女の時代」と言うことになっていたけれど、トイレ掃除はちょっと違うようだ。

ちなみに、海外だとどうなのか。定番商品のLysol Toilet Bowl CleanerのCMなどを見ると、家族は出て来るけれど誰が掃除するかはわからないようなつくりだ。

そういえば、男性はトイレ掃除するのか?と思ってtoiletや cleaningとぁ husbandなどと英語で検索してたら、恐ろしいページがサジェストされてしまった。

何か疲れたので、とりあえずこの辺りの話は以上で。