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ラトルとベルリンフィルを聴いて、一週間が経とうとしているが、いろいろと反芻したくなるコンサートだった。チケットの入手自体が相当難しそうな中で「第九」に行けたのは幸運だったと思うが、曲の特性もあって終わった直後はホールも自分のアタマの中もグワングワンと揺れ続けたような感じだ。

ラトルがステージから語り掛けた、最後のメッセージを聴いて、もうベルリンフィルとの来日は最後になるんだろうな、と思った。個人的にはロンドン交響楽団とのコンビにも、別の期待をしている。

ベルリンフィルとの来日では、王道の名曲が多かったけれど、シベリウスやエルガーなどを聴けたら面白いだろうなぁと思う。いずれにせよ、これほどの余力を残してベルリンフィルを去る指揮者は初めてだろう。

ラトルとベルリンフィルの活動を「評価」できるほどの経験も知識もないので偉そうなことは書けないが、少なくても相当の危機感を持っていることはたしかだろう。

ちょうどラトルが就任してまもなく、クラシックの世界では「新譜」の価値がどんどんと失われてきた。

そもそも、昔の曲の新譜が後から出てくるのも不思議だが、20世紀はそうだった。録音技術が発達して、「新しい録音」自体に一定の価値があった。そして欧州以外でもファンが広がり、大衆化が進んだ。そして、カラヤンに代表されるスターが、覇を競い、メディアも煽った。 >> トップランナーこその危機感。ラトルとベルリンフィルの続きを読む