カテゴリ[ 雑記 ]

61umgNt+vIL別に40歳になってなくても構わないのだけれど、葉書を書くことに関心を持つのはちょうどその頃じゃないかとも思う。僕はその年で会社を辞めたこともあり、何となく手紙や葉書を書く機会も増えた。

もともと字を書くことが好きだったこともあるが、コミュニケーションのテンポやリズムを意図的に変えたくなるのかもしれない。

よくわからないけど、ちょっといいモノがほしいと思って鳩居堂の便箋や葉書を手元に置くようになった。詳しい人であれば、日本橋のあの店や、京都のあちらの老舗が、といろいろあることは承知している。

ただ、そこまで凝るつもりはないし、店舗の多い鳩居堂は何かと便利だ。絵葉書などをネットで買おうとすると、単価が安い割に送料が高く、その上好きなものが選びにくいので、店で買うことになるのである。

ふと、思ったのは「とらや」に似ているなと。

あまりにも有名になったので、通の方はいろいろと他の店の品を挙げることもあるようだが、口に運ぶたびに感心する。「ああ、やっぱり」という感覚だろうか。 >> 40歳過ぎたら鳩居堂の絵葉書でも。の続きを読む



sakura

桜が散っていく。

今年は、咲き初めの頃にそれなりに時間があり好天も続いたので、あちらこちらを散歩しながら花を満喫した。都心では外国人も多かったらしいけど、桜の花というのは誰が見ても、美しいものなんだろう。

ただ、自分のことを振り返ると、子どもの頃には、そんなに楽しみなものでもなかった。

花はきれいではあるが、心待ちにしたわけではない。花を見て、単に「美しい」と思うだけでなく、「いとおしい」「うれしい」、あるいは「せつない」と感じるのは何十回も季節が巡るのをかさねて、ある時に感じられるようなものかもしれない。

桜が咲いた時の気持ちの昂ぶりを感じるようになった頃から、夏の花火への関心が薄れた気がする。もっとも、これは人にもよるのだろうけど。

いずれにせよ、僕たちは桜を見るのではなく、そこにある記憶を掘り起しながら、将来へと思いを馳せる。春を喜ぶのは、そこに至るまでの冬を共有しているからだとも感じる。

そういえば、ストラヴィンスキーの「春の祭典」の迫力は、日本の春とは遠いなあと思っていたら、とある人に「ロシアの春」というのは、想像以上にメリメリ、バキバキとやってくると聞いた。

本当かな、と思っていたけれど、ある年の3月に軽井沢に滞在していた時に驚いたことある。まだ氷に閉ざされていたのだが、ある暖かい一日にすべてが溶けてしまったのだ。

ただし、その日は木から雪の塊が落ちて、屋根を氷が滑り、夜中まで大音響だった。「春の祭典」を実感した一夜だったことを覚えてる。

さあ、今週は仕事をしなければ。



(2014年9月12日)

カテゴリ:雑記
タグ:

週の半分は家で夕食を食べている。7時過ぎからは特に見たい番組もないので、大概は録画で、まず見るのがタモリ倶楽部だ。回によっていろいろだが、まあ十分に楽しめる。ていうか、あれを見ていると本当にテレビは企画力だと思うし、その企画力ってどこ行ったのかと。

で、気になるのがBGMの選曲だ。まあ、状況に応じていろんな曲をかけるんだけど、やっていることに合わせてビミョーなダジャレになっていることが多い。

先般は、北陸新幹線E7系を製造している工場で車輛製作の体験をするという企画だった。

台車の取り付けのシーンでかかった音楽が「フラッシュ・ゴードン」。これは、その台車が「5トン」と紹介された直後だった。 >> タモリ倶楽部の謎の選曲。の続きを読む



(2014年9月10日)

カテゴリ:雑記
タグ:

ali日本画家の菱田春草の展覧会が間もなく東京国立美術館でおこなわれる。

それはいいのだが、ここでもまた既視感のあるPRを見ることになった。

猫だ。

春草の代表作に「黒き猫」他、たくさんの猫作品があるのはいいんだけど、今回の展覧会は猫のシルエットがアイコンになるほど「猫シフト」になっている。ちょうど一年前に行われた竹内栖鳳の展覧会もポスターなどには猫を使っていた。

猫好きは狙われている。可愛い猫の絵があれば、とにかく出かけてしまう。そして展示替えという、困ったこともあり、今回は白猫が去ってから黒猫が来たりするのだ。

今年、山種美術館でおこなわれた「kawaii日本美術」も猫好き狙い撃ちだった。

この10年くらいの日本美術の展覧会は、たしかに人が集まる。2005年に東博で開催された「北斎展」は連日盛況だったし、相前後して若冲も相当話題になった。

そして、日本美術における動物は魅力的だ。独特の愛らしさは、西洋美術にはない視点を感じる。そして、猫はその先兵なのだ。 >> 猫は日本美術の最高の広報官だと思う。の続きを読む



(2014年9月4日)

カテゴリ:雑記

スマホを持ってない。そもそも携帯を使うようになったのが、会社を辞めた10年前なので、まあ、結構そういうものには天邪鬼なのかもしれない。

正確に言うと、2011年から2年ほど携帯電話と「二台持ち」だったのだが、スマホをやめてタブレットにした。iPad mini。実は、これが生まれて初めて買ったアップルの製品だった。

ちなみに、携帯電話は2009年に買った、SA001。SANYOのロゴが何ともいい味を出している。
スマホをやめた理由は単純で、「便利すぎる」ということだった。掌の中で、いろんなことができる。僕の場合、殆どが「読む」なのだけど、それがあまりにも簡単にできる。ちょっと、時間があるとすぐに見る。電車に乗った時とか、何となく出して何となく見る。

ニュースも読んでいたのだけれど、しばらくすると内容をすぐに忘れるようになった。ちょっとした数字とか、それなりに覚えているつもりが、忘れる。まあ歳なのかと思ったけど、スマホで読んでいたモノがどうも忘れやすいと気づいた。

読んでるものに関心がないと、どんどんスクロールが加速するので、読んだつもりでちゃんと読んでない。これはスマホをやめたら、大丈夫になった。

そのうち、街でスマホを持っている人を見ると「人間リモコン」に見えてきた。実はスマホを使っているようで、スマホが人間を動かしているような気がした。実際に地図を見ている時なんかはそれに近い。 >> スマホをやめたワケ。の続きを読む