2017年06月アーカイブ

【読んだ本】鹿島茂『神田神保町書肆街考』(筑摩書房)

大学を卒業して入った会社の本社は神保町にあった。住所表記は神田錦町だが、ざっくりと神保町エリアだ。1ヶ月半の研修の後に丸の内で働くことになり、その後はしばらく疎遠だったが30歳の頃に神保町のオフィスの部署に異動した。

それから3年近くは、神保町勤めだったが、最高の環境だった。仕事が研究開発だったので書店に行くのは「仕事」だ。毎日のようにウロウロして、喫茶店に行ってた。そのうち、さすがに忙しくなってきたが、それでも自分のペースで働いていた。

この本は明治以降の、神保町の「書肆街」ができていく過程を追っているのだが、街の成り立ちを通じて、日本の知的文化の形成を追っている本でもある。

だから書肆街の話にならず、わき道にそれるのだがそれがまた面白い。東京大学の前身、開成学校から、明治、法政、中央、専修などが創立される過程にある種の必然性があることがわかり、またそうした学校と古書店街との縁もよくわかる。 >> 古書店街に未来はあるのか『神田神保町書肆街考』【書評】の続きを読む



コンビニで「毎日はきたい」というというトランクスが目に入った。なんだか「毎日履き続けるより洗濯した方がいいんじゃないか?」と突っ込みを入れたくなったが、まあそんな意味じゃないはずで、でも、下着だったら同じもでいいという人だっているだろう。

ていうか、下着だけじゃない。昨年くらいから話題になっているが、日本におけるアパレル関連の低迷を見ると、もう服の選び方が根本的に変わっている気がする。

で、色んな記事を見ていると、「すべてごもっとも」と思う一方で、「まだまだ業界の人は甘く見てるんじゃないか」という感じもするんだよね。

ファッションという言葉があって、「最近のファッション」と言えば「服の流行」という意味だろう。fashionという言葉自体は「流行」だから「食のファッション」と言ってもいはずだが、そういう時は「食のトレンド」という。fashionとtrendの意味の話とかをいうと微妙に違うはずだけど、まあ日本語的にはそんなものだ。 >> 「服=ファッション」というのは、業界の思い込みなんじゃないか。の続きを読む



「食べログレビュアー」という人がいるようで、そういう人のプチ・スキャンダルが話題になっていた。どんな領域でも、頑張ればそれなりの評価を得られて、チヤホヤされて、きっちりと落とし穴がある。素晴らしい自由主義!

どこか、気になる店があって情報を知りたくて検索するとたいてい「食べログ」が上位に出てくるが、できるだけクリックしない。あのサイトのレビューの文章を読みたくないからだ。

そこには、「できれば文化人になりたい」ような人のこじれた承認欲求が漂って、どこか物欲しげだ。いや、「物が欲しい」というより、「認めて欲しい」ということかと思っていたんだけど、まさか本当にモノをもらっていたそうだから、なにか哀しい。

以前も書いたけど、どうもあのようなレビューの文章には哀愁が漂っている。

そもそも、「食の批評」のカテゴリーは成り立つのか。アートや音楽、あるいは文学のようなものと、「食」は異なる。そもそも、食がなくては生きて行けず、あるいはその糧を手に入れることができない人は、世界にたくさんいる。

そういう中で、食を評することにはちょっとした後ろめたさがあってもいいのではないか。だから、多くの作家が食について書いても、彼らはそれを日記のような体裁にする。食のみをああだこうだと書くことは、どうしてもさもしくなるからだろう。 >> 食べログと「味覚成金」。の続きを読む



今どきのメディア行動、みたいなテーマの記事を読んでいたら、こんな意味のことが書いてあった。

「インスタグラムに写真をアップすることで“セルフブランディング”になる」

いや、たしかにインスタグラムの影響は大きい。大学生、特に女性に自分の消費行動を振り返ってもらえばすぐわかる。見栄えのいいものを食べたくなり、「死ぬまで行きたい」絶景を見たくなる。

それも、インスタグラムという「出口」があるからだ。それが消費に結びつくのはよくわかる。外食は、まず見た目優先。メシも見た目が9割だよ。

ただ、それが“セルフブランディング”とかになるのか。もし、ブランディングというものにちゃんと関わって、おカネを頂いた人なら苦笑するだろう。でも、仕方ない。いつの間にか、「自分を良く見せる」ことがブランディングになってしまった。

特に「セルフブランディング」と言うことを唱える人は、そう思っているようだ。

「ブランドは見た目を決めればいいわけではありません」

広告会社は、そうやって企業に説明を重ねて、「ブランディング」をそれなりのビジネスにしてきた。単にロゴや広告でおカネを頂くわけにはいかないから。

でも、まあいつの間には自己啓発系の人が「セルフブランディング」を唱えるころから、ブランディング自体もインフレを起こして、まあそうなれば「インスタグラムに写真アップして、セルフブランディング」になっても、そんなものなのか。

と思ってよく見たら、大手広告代理店の人が書いた文章だった。うわ、そうだったのか。ブランディングのプロフェッショナルも、そういう風に考えるんだなあ。

だったら、いまクライアントの企業に対して「ブランディング」をどう説明しているんだろう?

「毎日社員食堂のメニュー写真をアップして、御社の企業ブランドを向上させます」

いや、それはないだろと思いつつ、ふと感じだ。

いや、もはや”ブランディング”はそんなものになってるのかもしれないな、と。

企業ミッションをや行動姿勢やらをこねくり回すより、「働きやすい職場」であること、少なくてもブラックでないこと。そして、その時のニュースになること。そういう情報の断片みたいなものが、いつしかブランドのように見えてくるのかな。

情報は爆発的に増えても、人の記憶容量は変わらない。そして、人々の長期記憶に入り込んで、指定席を確保しているブランドの数もそうそう増えない。そういう環境では、企業のブランディングもたしかにきつい。

しかし、それは結構前から起きたことかもしれない。「ブランドディングの極北」として「まいばすけっと」について書いたブログはもう6年前のことだった。

とはいえ、企業にとって「ちゃんとした」ブランディングはまだまだ必要だと思う。じゃあ、それは誰が担い手なんだろう。

「インスタグラムでセルフブランディング」に突っ込むつもりが。しみじみしてしまったよ。