「服=ファッション」というのは、業界の思い込みなんじゃないか。
(2017年6月14日)

カテゴリ:マーケティング

コンビニで「毎日はきたい」というというトランクスが目に入った。なんだか「毎日履き続けるより洗濯した方がいいんじゃないか?」と突っ込みを入れたくなったが、まあそんな意味じゃないはずで、でも、下着だったら同じもでいいという人だっているだろう。

ていうか、下着だけじゃない。昨年くらいから話題になっているが、日本におけるアパレル関連の低迷を見ると、もう服の選び方が根本的に変わっている気がする。

で、色んな記事を見ていると、「すべてごもっとも」と思う一方で、「まだまだ業界の人は甘く見てるんじゃないか」という感じもするんだよね。

ファッションという言葉があって、「最近のファッション」と言えば「服の流行」という意味だろう。fashionという言葉自体は「流行」だから「食のファッション」と言ってもいはずだが、そういう時は「食のトレンド」という。fashionとtrendの意味の話とかをいうと微妙に違うはずだけど、まあ日本語的にはそんなものだ。

でも、本当に服というのは流行が大事なのか。それで、たくさんの服を持つことが普通のことで、最近の日本人は変なのだろうか。

服を「ファッション」にして楽しむようになったのは、いつからだったのか?そりゃ、紫式部の時代でも十二単があったけど、それはごくごく限られた人の話だ。世界のあちこちで服の流行はあったわけだが、産業革命などを経て18世紀になってから西洋で既製服が売られるようになった。

誰もが「流行」を追える環境になって、ファッションと言えば服の話になる。

ただ、衣食住のすべてがファッションとなり得ただろう。ところが、「食」などは、そうそう広がりにくい。

服のように大量生産をするならば、それは加工食品になる。一方で、パリのレストランの流行りが、すぐにロンドンで広まるか?というとさまざまな障壁があるだろう。世界のどこでもそうだけど、食の分野は大量生産できる領域が限られていたわけで、「最先端」のものほど、現地でしか食べられない。

それが、ここに来て様子が変わってきた。一つは、食のグローバル化が進んで、様々な流行りが国境を超えて広がった。料理人のスキルが共有されて、寿司などは変化しながら世界のあちらこちらで食べられる。

また流通の変化によって生鮮品も広いエリアで食べられるようになった。日本にいても世界各地のジビエがやってきたりする。

そして、「自分が何を食べているか」を、写真に撮って発信することができる。それをブランディングと呼ぶかはともかく、少なくても自己顕示欲求は満たされるだろう。

人には顕示欲求があり、それは服によって満たされると業界の人は思い込んでいた。そして、クルマもまたファッションと結びつきながら、その欲求を肥大化させる。

でも、自分で情報発信できれば「食」でも「住」でも欲求は満たされるし、「旅」で満たす人もいる。それが、社会の流行つまり「ファッション」になるはずだ。桜の花見はもちろん、藤棚もネモフィラもファッションになる。
一早く大量生産に成功した服飾分野が「ファッション」の代名詞となったけど、それは「たまたま」なだったんじゃないかな。

そういう常識がガラガラ崩れれば、そりゃアパレルの縮小はさらに進むだろうし、それは景気とも関係ないし、少子化も理由じゃない。時代によって「何がファッションになるか」は、変化する。だから、将来はこんな会話もあるだろう。

「昔の若い人って、いちいち食べるもの写真に撮ってネットにあげて、それがしたいために色んな店を探してたんだって~」

「へえ~嘘みたい。食事なんか一汁一菜で別にいいじゃない」