小澤征爾の”アリア”
(2012年3月8日)

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近所にあるワインバーで、大変いい店なのだが一つ困ったことがある。お手洗いに入ると、どのセンサーがどう働くのか「G線上のアリア」が鳴るのである。酔いが覚めるというか、回るというか。
そして、ふと思い出した。それは、1995年1月20日の東京文化会館。冒頭に演奏されたのは、プログラムにはなかったバッハの管弦楽組曲第3番より”アリア”。つまり「G線上のアリア」である。
この曲に先立って、舞台に登場した小澤征爾が客席に振り向いた。
「先の震災で亡くなった方々のために、バッハのアリアを捧げます」
この時の客席の空気感を伝えることは難しい。演奏が進むにつれて、心なしかすすり泣きも聞こえた気がする。最後の余韻が消え去っても、誰も拍手をしない。一度、袖に戻った小澤征爾が再度登場して、タクトを振りおろす。
誰もが知っている、あの動機。そう、この日の一曲目はベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調。いわゆる「運命」だったのだ。
そして、バッハの曲とベートーヴェンのシンフォニーはあたかも一つの曲のようだった。小澤征爾の演奏を聴いた中でも、この日の印象は大変に強い。阪神大震災の直後、ということも影響していることはもちろんだが。


その後しばらく、新日フィルの定期演奏会の会員だったので年に2回ほどは演奏を聴いた。しばらくすると、タクトを持たなくなり、その後ウィーン国立歌劇場の音楽監督となった頃には、僕も他のオーケストラの会員に替わった。
今回、彼が1年ほど指揮活動を休養するというニュースを聞いた時に少し悪い予感がした。もう一度復帰してほしい、と思う一方で、それがかなり困難なのではという気もするのだ。そして、振るからにはいい音楽を聞かしてほしいという思いもある。
最近、村上春樹との対談集が話題で、僕も少し前に書店で手に取ってみた。おもしろそうだったのだけれど、どうしても今の状況を考えると読む気になれない。
昨年、震災があり、何度となくあの夜の”アリア”を思い出す。そして「運命」も。