ドラッカーより桑田真澄。
(2013年1月17日)

カテゴリ:キャリアのことも
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私は、営業ノルマは必要ないと考えています。「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で課せられるのがノルマです。社長が判断ミスをして社員に叱られますか? ビジネスで最も恥ずべきひきょうな行為です。ノルマが嫌で、あるいは上司が嫌いになり、会社を辞めた仲間を何人も見ました。ビジネス界にとって大きな損失です。
 経営者が怠けている証拠でもあります。ノルマで脅して社員を思い通りに動かそうとすしくじった社員を叱ると、次の営業はどうすると思いますか? 何とかして売り上げの数字を作ろうと、提案が縮こまります。それでは、正しいビジネスを覚えられません。「コミュニケーションができてないよ。どうすればいいか、次の会議まで他の社員の行動を見て勉強してごらん」。そんなきっかけを与えてやるのが、本当の指導です。
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さて、上記の文章は私が書いたものではない。朝日新聞デジタルに掲載された桑田真澄氏の文章を少々いじらせて頂いた。原文は、以下のとおり。例の大阪の高校で起きた体罰と自殺をめぐる問題へのコメントである。


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私は、体罰は必要ないと考えています。「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。スポーツ界にとって大きな損失です。
 指導者が怠けている証拠でもあります。暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法。昔はそれが正しいと思われていました。でも、例えば、野球で三振した子を殴って叱ると、次の打席はどうすると思いますか? 何とかしてバットにボールを当てようと、スイングが縮こまります。それでは、正しい打撃を覚えられません。「タイミングが合ってないよ。どうすればいいか、次の打席まで他の選手のプレーを見て勉強してごらん」。そんなきっかけを与えてやるのが、本当の指導です。
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あの高校で起きた問題は、単なる「教育と体罰」という問題ではないと思っている。今でも、日本社会のあちらこちらにある「思考停止と慣例服従」という、歪んだ組織の問題であり、それは学校の部活どころが、あちらこちらの企業で起きていることだと思う。
いわゆる「ブラック企業」をあえて定義するなら、この「思考停止と慣例服従」が蔓延している企業だと思っている。職権による命令ではなく、慣例という空気感によって服従される。それだけに、責任の所在が曖昧でタチが悪い。
厄介なことに、多くの思考停止社員は、その環境をあたりまえだと思っている。そのために、違和感を覚えるまっとうな人間がかえって少数派になる。
今回の学校の事件でも、内外に擁護論があると聞く。このあたりもブラックな感じが実に似ている。きっと、思考停止している人々にとっては「自分たちは平気だから、いまの奴が変」ということになる。
「思考停止と慣例服従」それは、学校、企業あるいは家庭や地域社会でも存在する。
そして、ある時に真っ当な組織が、黒く変化することもある。
「考えることを止めない」それだけが、難を逃れるただ一つの方法なのだろう。高校野球のマネージャーがドラッカーを読むなら、経営者は桑田真澄の言うことに耳を傾けたらどうだろう。