21世紀プロ野球にパラサイトする昭和メディア。
(2016年4月30日)

カテゴリ:メディアとか
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元巨人の野球選手が賭博がらみの疑いで逮捕された。

プロ野球は、今世紀に入ってからの合併騒動あたりから球団経営も変わってきたが、まだどこか変わりきれないところがある。プロ野球は他を圧した興隆期があった。その頃の感覚が抜けてないのは、選手や経営者よりもメディアなんじゃないか。それは独特の言葉にも表れてくる。

2月のキャンプインを「球春」というのは、季語のようだけど、「球界=野球界」というのと同じで、球技はたくさんあっても「球」といえば野球だった。卓球をする若者を球児とは呼ばない。

だから、野球の外にも、そういう言葉が広がっていく。政治家や経営者が任期延長することを「続投」と普通に表現したり、場合によっては「ワンポイントリリーフ」などということもある。

ただ、「主演女優の降板」のようになると、もう代わりの言葉も見つからない感じだ。そこまで浸透したと言えるが、「実は昔野球が流行っていた頃にできた言葉」という注釈になる日が来るかもしれない。

そして、野球的な言葉は、疲弊した男社会を象徴しているようだ。

セットアッパーやクローザーという表現も出てきたが、「守護神」という表現は相当違和感があった。簡単に「神」を持ち上げる一方で、優勝を逃すと「戦犯」探しになるあたりが、日本のとりわけ企業社会のネチッとした感じを連想する。

もっと奇妙だと思ったのは、捕手を「女房役」かな。あれ、米国人が聞いたらどう思うんだろう。そうか、日本野球のバッテリーにはそういう関係があるのか、と。

日本の野球は独特の言葉に取り巻かれて、発展してきた。それは、プロアマ問わずにメディア産業の経営と密接につながっていたことが理由だと思う。必要以上に、演出が増えて言葉が飾られる。

メジャーリーグのシンプルでリズミカルな実況と比べると、日本の野球中継はOB再雇用の互助会みたいなもので、ものによっては飲み屋談義を公共の電波に持ち込んだような感じだ。

そして年寄りのご意見番が幅を利かせるあたり、没落した大企業とよく似てる。

どうも日本のプロ野球は、取り巻きメディアによって損をしているんじゃないか。

言葉はスポーツを彩るが、言葉による粉飾も多い。それは選手たちが勘違いした一因だし、ファンも錯覚する。挙句の果ては「信者」だから覚せい剤を打ったという意味不明の話が出てくる。

親会社の顔ぶれは変わり、フランチャイズも分散して経営は着実に変わってきた。そして、現代のプロ野球は、昭和のメディアに寄生されているようだ。

ちなみに、米国の野球を彩った言葉は本当に豊かなだ。『野球は言葉のスポーツ』このタイトルは、米国が舞台だから成り立つのだと思う。