五輪新エンブレムで感じた、「平面デザイン」の終焉。
(2016年4月28日)

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五輪の新エンブレムが決まった。まあ、万人が納得するデザインなどできるわけもないのだから、決まったものを大切に育てていくということだろう。それにしても、この選考で感じたのは、いわゆる「グラフィックデザイン」が転機、というより終焉を迎えているのではないか?ということだった。

一般的にグラフィックデザインというと、二次元上の作品を指すが、メディアも多様化ししているので、正確には「平面デザイン」と言った方がいいのかもしれない。紙を中心とした媒体を念頭に置いたものである。

当初の佐野研二郎氏の案は、類似性が問題になったが、個人的に感じたのは「グラフィックデザイン界の呪縛」が強いなあということだ。一方で、当時の審査員の顔ぶれを見ればあの作品が選ばれたことも理解できる。

僕が気になったのは、東京のTと、日本の日の丸についてのこだわりが強すぎるのではないか?ということだった。特にTの文字をモチーフにすると水平と垂直が強調される。それは、どうしてもスポーツの躍動性とは離れていってしまうように感じた。

「高跳びのバーをモチーフにしました」というわけでもないだろうし、むしろ「東京美術館」など建造物のロゴマークだったらよかったかもしれない。

結果として、ベルギーの劇場という「建造物のロゴ」に似ているという騒動になった。デザイン設計の経緯をしれば盗用とは思えないけれど、類似の必然性はあったのだろう。

垂直・水平のラインと円を組み合わせて、かつタイポグラフィーの展開も考慮していたのだから、グラフィックデザイン界の評価が高いのも当然だったと思う。

そして、今回のデザインについて作者の経歴を知って、ああなるほどと思った。野老朝雄氏は建築など空間デザインの世界でキャリアを積んできた人だ。あの市松模様は平面に閉じ込めてはもったいない。動画展開などによって、デザインのポテンシャルが発揮されていくのだろう。リオ五輪のエンブレムもそんな感じだ。

いずれにしても、平面デザインの「お作法」のようなものは、学習対象としては継続されるものの、存在意義を問われることになるんじゃないかと思ってる。

まず、メディアの中で「平面・静止」の比重は減少していく。動画が掌におさまる中で、新たな文法が開発されているプロセスにある。

また、類似性の問題も大きな要素になるだろう。殊にアルファベットは、大概の手口が試されている。どう捻っても、何かに似てしまうのではないか。

そんなことを考えると、デザインの概念とスキルが相当変わっていくだろう。

デザインの世界は、結構細分化されている上に、そこに学科や師弟関係も絡んで相当に蛸壺的になっている。若い人が、そういう壺に閉じ込められているのはもったいないと思うし、今回の一連の騒動が何かの契機になればいいと思う。

と、きれいにまとめてみたが、デザイン界の人は頑固な上に、保守権威的な空気が強いので、まあ実際には相当難しいんだろうけどね。