岐路に立つ「東急」ブランド。
(2017年11月16日)

カテゴリ:世の中いろいろ
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田園都市線が、いろいろと大変なようだ。たまたま昨日は昼前に乗る必要があるあったのだが、まだダイヤが乱れていて車内アナウンスは謝りっぱなしだ。まあ、謝られても仕方ないけど、都営地下鉄みたいに「録音で謝る」よりはいいんだろうか。

ただ、田園都市線はトラブルが頻発しているようだ。昨日来、施設の老朽化や人材難などを指摘する記事が出てきたけど、構造的な問題なんだろうなと思う。

以前、外国人を連れてきて「日本すごい~」と言わせる番組をたまたま見たら、田園都市線の保守作業が取材されていたけど、いや、もしかしたら別の意味ですごいのか。いずれにしても、メディアが「日本ボケ」している間に、いろいろなことが起きているんだろう。

それにしても、東急のブランド力はいろいろと微妙だ。最も強固なのは顧客基盤で、東横線と田園都市線を中心にした城南から神奈川エリアは、人気エリアで所得も高い。

そして、知らない間に「目蒲線」はなくなった。蒲田は排除されて、目黒線と多摩川線だ。再開発の渋谷から、地下化した後の代官山へのエリアも注目されている。

そういう意味で、「いわゆるブランド戦略」は達者に見えるんだけど、地下化した後の東横線渋谷駅を「いい」と言った人に会ったことがない。

今回の件もそうだけれど、「鉄道をきちんと走らせてストレスなく移動する」という機能が不十分ということなんだろう。

それでいくらお化粧をすれば、「なんちゃってブランド戦略」だけが加速することになる。加速も一歩誤れば暴走だ。いや、新聞の整理部が好きそうな半端な冗談を言っている場合じゃなくて、東急ブランドは岐路にあると思っている。

もともと、東急は都市間路線であり優良顧客に支えられた「面開発」が得意だ。一方でリゾートなどはうまくいっているものもあるけれど、主要地方都市の東急ホテルは立地を生かしきれないまま老朽化しているものも多い。

百貨店に至っては、田園都市線が「三越前」に直通したかと思うと、今度は東横線がせっせと伊勢丹本店に送客している。どこかチグハグなところがあり、渋谷の東急本店はいつもゆったりと買い物できる、というか空いている。

でもそれなりにブランドが揃っているな、と店員に言ったら「うちは“空いてる伊勢丹”なんです!」と力強く話していた。いや、それはいいコピーかもしれないが。

しかし、一番の問題は東急沿線が「サラリーマン+専業主婦」というモデルを極めていることじゃないかな、と感じている。二子玉川はいまでもVERYがフェスをやっていたりするわけで、あの世界はそれなりに健在に見える。

ただ「共働き子育て」のいわゆるDEWKS世帯にとって、東急沿線というか郊外生活はむしろ不合理なことが多い。渋谷にオフィスが増えてもビジネスの重心は東で、品川から羽田が世界への「出入口」になる。(だから蒲蒲線が話題になるのだけど)

共働きであれば、ビジネスエリアまでの移動コストを抑えて育児の時間を捻出しようとするだろう。それなら海に近い高層マンションが選択される

「環境がいい」というのは、専業主婦が子育てをすることを前提にした「環境」だから、じゃあこれからどうなるんだろう。

もちろん、そうした家庭も一定数存在するけれど、大きな流れは「皆が働く」という流れにあり、しかも首都圏ですら将来的には人口減少の中で「コンパクト」になっていく。

「職住接近」が加速すれば、東急だけではなく郊外型私鉄は不利だ。座れる車両を投入して複々線にしても限界があるし、路線間競争は消耗戦になる。「職住一致」のような世界など、新しいモデルを提示することになるだろう。そこがまさしく「岐路」なのだ。

ただ、その前に「普通に電車を走らせる」ようにしないと、足元がガタガタになる。そういう意味で、東急は「ブランド」の本質を問いかけているのだと思う。

*鉄道が社会に果たす役割については原武史の著作がおもしろい。「思索の源泉」というと大げさなようだけど、決して大げさでないことがわかるだろう。「鉄道ひとつばなし」もおすすめだ。