クロネコヤマトの去った街で。
(2017年11月24日)

カテゴリ:マーケティング

つい先日のことだけど、自室の呼び鈴が鳴った。集合住宅なので、エントランスのカメラを見ると荷物を持っている。

普通だと「ヤマトです」とか「ゆうぱっく」ですとか言うのに、無言だ。ただ、注文していた心当たりがあったので開錠した。

部屋まで来て、外を確認すると配達の人が来ている。荷物を差し出し、無言で伝票を出す。何か言ってるようだが、聞き取れない。「ありがとう」と言っても、無言のままで去っていった。

聞いたことのない宅配業者だった。

もしかしたら外国人だったのか、それとも話をしたくない人だったのか。それだったら、ロボットの方がいいんじゃないかと思ったりもする。

頼んだのは日用品だったけれど、これからの時期にこんな感じでギフトが来たら、なんかガッカリだろうな。

そういえば、最近ヤマト運輸の方がめっきり来なくなった。アマゾンとの契約が変わったからだろう。近所を歩いていたら顔馴染のKさんと会って、元気そうではあったが「久しぶりです」と照れ笑いだった。

自宅が仕事場なので、何かとネット通販のお世話にはなっている。便利で快適だ。しかし、その品質は、たとえばアマゾンではなくヤマトが担っていたんだなぁと実感する。単にモノが届けばいいというわけではなくて、「心地よくモノを受けとれる」からこそ、ネット通販は重宝だったのだ。

ところが、ヤマトが姿を見せることは稀になり、「無言の来訪」がやってくる。翌日は家人も同じ経験をしたそうで、やはり心地いいものではないと言う。

実は、ヤマトが去った街ではちょっとした混乱も起きている。先日、夜に帰ってきたら駐車場に軽自動車のワゴンが止まっていた。中に人がいる。

すぐにクルマを使うわけではないけど、ちょっと気になったので声をかけた。どうやら宅配のクルマらしいのだけど、この辺りに不案内のようでいろいろ調べているらしい。ただ、それをどうして集合住宅の駐車場のスペース内でやるんだろう。

あと、細い道で「ここにだけは荷降ろしも停車はしない」という不文律の場所に平気で止めている配送のクルマも出てきた。

ヤマトがおこなってきたサービス品質は、当たり前のようになっていたけれど、それを引き継ぐのは容易ではない、という至難なのではないか。近年同様に、今年も年末にかけて物流は相当ひっ迫するだろう。

そこに、不慣れな、というか日本語すら怪しいドライバーが駆け回るのだから、相当混乱するような気もする。

さっき「ロボットの方がいい」と書いたけど、「戸口までの配送」という労働の代替は結構難しそうで、人の力に頼らざるを得ない。「仕事って人だよなぁ」と当たり前のことを、「ヤマトの去った街」で感じるのだった。