メディアを解体しちゃったイチローのメタ的記者会見。
(2019年3月22日)

カテゴリ:世の中いろいろ

もう寝ようかという頃、やっと始まったイチローの記者会見を見ていたら、「引退」という言葉が出たタイミングで日本テレビがCMを入れて、結局その後はAbemaTVでついつい見続けてしまった。

いや、しかしこれはある意味歴史残るかもしれない。いや、日テレのCMじゃなくて、イチローの記者会見の話。スポーツ史に残るのかは専門外だけど、メディア史には残るんじゃないか。

というのも、この記者会見は「記者会見ってこんなものだよね」という視点からのイチローの言葉が何度も出てきて、そのたびに「記者 vs. イチロー」という構造が解体されてしまったのだ。そして、それを見ている視聴者も含めた三角関係の遥か上、ある意味「神の視点」のようなところからイチローは言葉を発する。

まず、第一声からしてそうだった。

「こんなにいるの? びっくりするわ。」

というのは、記者とイチロー、そしてモニターの前で固唾を飲む視聴者をまとめてどこかの高みから見ている感じだ。

いわゆる「メタ的視点」ということなんだろうけど、これがナチュラルに進んでいくのがイチローらしい。

「そんなアナウンサーみたいなこと言わないでくださいよ」

「それはいわない方がいいいんだよね。やぼったくなるから」

このあたりは、記者の質問をちょっと上から見て評してる。でも、「上から目線」的ないやらしさは感じない。

「僕には感情がないと思っている人もいますけど、意外にあるんですよ」

「何になるんですかね。元カタカナのイチローになるんですかね」

こんどは、自分自身をまた別の視点から見て、自分をからかっている。そうやって、この会見の間「ちょっと別のところから見ているイチロー」が何度もいた。

これが続いているうちに、もうこれはある種のメディア批評の極致なんじゃないかという気がしてきた。だって、何度も出て来て流行語にもなりそうなあのフレーズがそうでしょ。

「おかしいこと言ってます?」

もう、これ自分に向けてるわけじゃないわけで、記者の方に向いている。ふつう記者会見は、記者側が「相手の姿を明らかにしてメディアで伝える」プロセスなのに、この会見では「記者たちのセンスがメディアでバレちゃう」プロセスに反転しちゃったのだ。

でも、こんなのフツーはあり得ない。これ渦中の企業の首脳、たとえばあの自動車会社の社長が元会長のことをいろいろ話してから一言

「おかしいこと言ってます?」

聞いてみたい気もするけど、まあないだろう。

「なんか立派なこと言ってるけど、メディアの記者ってどうよ」と薄々誰もが感づいている時代に、それを軽々と明らかにしてしまった80分以上の会見。

でも、僕がイチローの矜持を感じたのは「生きざま」という言葉を発した記者の質問への返答だった。

「生きざまというのは僕にはよく分からない。生き方という風に考えれば……」

と切り返したのけど、これは痛烈だったなあ。いつ頃からか、やたら「生きざま」という言葉が流行ったのが何か嫌だったんだけど、イチローもそう思ったのか。

マスコミの言葉選びの”雑な感じ”が、一瞬にして浮かび上がったようだった。

かくして、イチローによってメディアは解体されてしまった。後に残ったのは「人々を代表して質問している」はずのメディアや記者たちの「ちょっと残念な風景」だ。

と、いまになってちょっと分析してみたけど、見ている間は心が揺さぶれることが何度もあった。選手を退いた彼は、これからいったい何を見せてくれるんだろうか。