「一匹の羊」をさがすマーケティングへ。
(2020年5月18日)

カテゴリ:マーケティング

まあ、だいたい羊のたとえ話が出てくれば、それは聖書に関係しているわけで、日本の話ではない。というわけで、新約聖書の「マタイによる福音書」にはこう書かれている。

「ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹をさがしに行かないだろうか。」

聖書にはたとえが多く、その解釈自体が学問になるくらいだけど、この話はスッと「気持ちが伝わってくる」感じがした。

会社員時代に3年ほど新人研修を担当していたことがあったけど、その時はこの言葉を頭の隅に置いておいた。それこそ100人あまりの新人がいたけど、もっとも歩みの遅い人に目をかけておく。これは精神論ではなく、実はとても合理的なのだ。

集団の中でもっとも疲れている人がいれば、その人は実は全体の象徴であり、実際には多くの人が問題を抱えていたりするので、対応しやすいのだ。

そして、この感覚はこれからの日本、つまりコロナ後の「おそるおそる」出口へ向かう時に大切になっていくんだと思ってる。

もともとマーケティングは「イノベーター」から「アーリーアダプター」のような、いわゆる「新しもの好き」からだんだん広めるもの、というのがセオリーとされていた。

ただ、よくよく見ると「一部の人しか買ってくれなかった」ことで消えてなくなる商品は山ほどある。

いっぽうで、「誰にとっても受け入れやすい」ことで一気に広まったものもある。その場合は、「先を行っている人」よりも「いちばん遅そうな人」に焦点を合わせたようなケースもある。

たとえば、小さな子どもに受けいれられるようなものって、大きなヒットになることがあって、それはiphoneから、「パプリカ」までいろいろあると思うんだ。それって「迷い出た一匹をさがす」感覚に似ているんじゃないか。

一部のエリアで営業自粛が解禁になっても、いきなりドッと人が出るわけではないようだ。濃淡はあってもそれぞれが不安を抱えている中で、いちばん立ちすくんでいる人の気持ちを想うくらいが、実はちょうどいいんじゃないか。さあ行こう!と煽るよりも「まず次の一歩」と言ってあげるようなマーケティング。自社の製品やサービスのなかでも最も基本的で役に立つものをていねいに訴求することに立ち返る時期だと思う。

甲子園大会が中止になるかもしれないという。そうやって「大きな物語」が失われて、でも一人ひとりの「小さな物語」は続いていく。そこでは「夢の舞台がかなわなかったエース」の話だけではなく、「ベンチ入りすらできなかったけどスタンドで応援を夢見てた」選手の物語も続いていく。

そうやって、「それもあるよね」というマーケティングやコミュニケーションはちょっとじれったいかもしれない。でも、曲がりくねった道を行くには、それが1番の近道だと思う。

 

※「コロナと広告、消費者インサイト」という切り口で、レポートを書いてみました。これからの企業コミュニケーションや広告についての考察です。こちらのnoteにアップロードしているので、ダウンロードしてご覧ください。