日本人はISの人質になった事件の時に、いわゆる「自己責任論」への是非が話題になった。

こういう局面で「自己責任」という言葉が出てくること自体、海外から見ると「なぜ?」と思う人も多いらしい。

ただし、「だから日本人は冷たい」というのもピンと来ない。むしろ、それは日本人の多くが受けてきた「躾」から生まれる価値観に関係していると思ってる。

それは「人に迷惑をかけてはいけません」というものだ。

この教えに立てば、紛争当事国に出かけるというのは「人に迷惑をかける」可能性は高いのだから、そういう教えを受けた人たちにとって「よりによって…」という心境になるのだろう。

で、この「人に迷惑をかけない」というのは、いろいろと日本人の行動特性に関係しているのかな、と最近思うことがある。

ビジネスで考えても、この教えが自然に浸透している文化というのは、第二次産業においては相性がいいだろう。生産現場というのは、時間を守り、それぞれが自分の仕事をきちんとおこなうことが求められる。

ただ、その一方でこの教えが強すぎると行動が束縛されるようにも思う。何か思い切った行動をしようとした時は、それなりに迷惑をかける。若手が上司に反抗すれば、間に入った先輩に迷惑がかかる。内定を断れば同じゼミの後輩たちに迷惑がかかる。

もう、心配したらキリがない >> そろそろ「人に迷惑をかけない」を疑ったらどうなんだろ。の続きを読む



ノーベル賞を受賞した中村修二氏が日亜化学との「和解」を求めて、これを日亜化学がやんわりと断った。最近はやや死語になってきている「慇懃無礼」という言葉を説明するのに、あれほどの好例もないだろう。

彼の心境の変化などは、僕等には想像もできない。ただ、それまでは「怒り」を前面に出している人だった。10年以上前の著書にも「怒り」という言葉があるくらいだから、彼の場合はそれが原動力だったのだろう。

ただ、一般的にいって「怒り」という感情は、その人のキャリアにとってプラスになるのか?というと結構難しい。

一定の成果を上げるのだが、どこか過剰になっていく。とあるキャリア論の先生が「ダークサイドに落ちる」と言っていたが、言い得て妙だと痛感した。

最近だと、ゼンショーの小川賢太郎社長がその典型だろうか。元々吉野家出身だが、経営危機の後に袂を分かつように、退社してゼンショーを設立したという。先般、吉野家の安部修二会長と何かのパーティで握手して話をしたということが、新聞ネタになったくらいだから相当根深い感情のしこりがったあったのだろう。 >> 「怒り」とキャリアとダークサイドの微妙な関係。の続きを読む



転勤を断って会社を辞めた。最近、この手の話を聞く機会が増えた。

僕自身は20代の後半に転勤を経験している。辞令を聞いた時は「エ?」と思ったが、逆らってもどうしようもなく、引っ越した。今になっては「視野を広げるいい経験」だったと、まあ歳を重ねた中年らしいことを言っているが、当時別のチャンスがあったら、どうしていたかはわからない。

身近に聞くのは、若い人が多い。とはいえ、結婚して子供がいて、しかも独立というケースもある。こうなると、単純に「すげ~頑張れよ」という気持ちになる。ただ、転勤拒否→退社というパターンが続けば人事としては相当辛いだろうな、とも感じる。

ただ、こういうのは若手の身勝手と片づけるわけにもいかない。少し前にテレビ(クローズアップ現代)でも取り上げていたが、そもそも転勤システムが持たなくなってきているのだ。

この番組では、共働きや介護など、家族の事情を配慮して転勤猶予や勤務地限定正社員の制度導入が紹介されていた。ただ、制度以上に働く側の意識が相当に変わっているように思う。

「居住、移転及び職業選択の自由」は、憲法では22条でワンセットになってる。企業が転勤を命じるのは、契約上当然あり得る話なんだけど、じゃあ個人が「職業(会社)」と「居住地」のどちらを優先するか、というのは、まったく人によって異なるはずだ。 >> それは「転勤拒否」なのか、「居住地優先」なのか。の続きを読む



これは、「50代からの働き方」とかいうお題ではなく、最近感じる備忘録のようなもの。

自分で仕事を始めたのが40歳で、先般10年経った。考えるのは、次の10年だ。ところが、これがなかなかに悩ましい。ちょっと前に書いたけれど、「10年後はまだ50」と、「10年後はもう60」という差は結構大きい。

そもそも、50代というのは相当ややこしい年代なのだ。

ちょうど先般発表された、内閣府の「国民生活に関する世論調査」では、毎年「日常生活での悩みと不安」を聞いている。大体、2:1で「悩みや不安がある」人の方が多いのだけど、1990年頃は1:1だった。その後、どんどん増加している。

そして、今回もピークは50代だ。これは、遡れる範囲で数字を見られる1999年でも同じなので、世代の問題ではないと思う。

他の調査でも、50代というのは幸福感が薄かったりする。

社会的には、十二分に大人だ。50代以降で子ども扱いされたければ、政界入りするくらいだったけど、そこでも段々と若返っている。40代までは「何をすべきか」ということ書かれている本があって、定年後の人々へのアドバイス本もあるが、50代対象は少ない。

つまり「自分で考えろ」ということなんだろうけど、そうそう簡単ではない。

仕事においては、大体見通しがついてくる。ボードメンバーになるのはごく一部だ。そうなると、現在それなりのポジションにいたとしても、そろそろ「身の処し方」は考えるだろう。既にマイペースを決め込む人もいる。

とはいえ、そうそう引退できる感じでもない。漠とした不安はあるが、結局は「自分で考えろ」になる。 >> どうする? 50代の10年。の続きを読む



DSCN0622昨日書いたように、会社を辞めた理由というのはいろいろと書けないこともあるんだけど、それとは別に“グイッ”と加速したような瞬間はたしかにある。

僕の場合に印象的なのは、とある土曜日の朝。

「ああ、会社にずっと勤めるんじゃなくて、別の生き方もあるよなあ」

と、強く感じたことがあった。それには、猫が深く深く関わっている。

2001年の春、土曜日の朝食の後でのんびりしていた。当時飼っていた猫は長毛のバーマンという種類で、僕は猫の毛をブラッシングしていた。

その時、FMから知っている曲が流れてきた。 >> 独立の背中を押したのは猫とユーミンだった。の続きを読む